準・究極の選択

 私は今、(軽くですが)長編の小説を書いています。
少年漫画風の登場人物に近未来SFを加え、最後は感動物にしたいと思っているのですが、
どうもいまいち最後に感動をさせることができません。
どのようにすれば感動できる展開が書けますか?


 とりあえず基本としての起承転結は、

起 主人公の位置づけ、登場人物慣れ
承 重要人物との出会い、行動
転 重要人物の失踪、それと重なる別な私情
結 重要人物との再会、ハッピーエンド

 としたいと思っています。

感動シーンと言えばやはり「結」の部分、
しかし感動的な「結」につながる「承」の部分がどうも上手くいきません。
主人公の心の動揺や、希望→落胆等どういうものを心理的描写すればいいかが分かりません。

 感動的な「結」につながる「承」が書けるにはどのような描写をすればいいのですか?
良ければ感動できる「結」のほうも教えていただけると助かります。

A 回答 (4件)

 1.構造


 別に起承転結にこだわる必要はないが、まず明確な主人公のキャラ設定とサブキャラを含む環境設定が必須。
  *主人公の性格。内面のこだわり。
  *サブキャラと環境。=主人公が動く空間の表現。特にサブキャラと主人公の関係には細心の注意がいる。ということはサブキャラの性格と、主人公から観た性格や関係が表現できないと無理。
  *感動を引き起こすには主人公が達成したい目標が必要。人生でも、楽をしたいという考えや行動に感動しないように、主人公の「絶対に」達成したい目標は不可欠。当然、一見不可能な目標でなければならないし、あくまで(偶然ではなく)努力で達成される事案であることが必要。これば骨に当たる。

 2.表現
  *表現が分からないのは、ただの勉強不足。
  *いろいろ読んでいるうちに自分か納得できる文章を見つけたら、とにかく(写経みたいに)真似をする。一つ一つの文字や文がなぜ選ばれたのかを読み砕き、納得のいくまで理解する。
  *まず単文で状況を作って、いろいろ入れ替えたりして表現を試みる。ただし大げさな表現になってはいけない、もちろんここへ至る苦難としての伏線はきっちり張っておくことで、より大きな感動をつくり出せる。

 【例】http://www.webmysteries.jp/topic/1206-01.html?ma …
 詳しくはこのページを読んでもらうとして。いきなり最初の書き出しから読者をミスリードする伏線が張られている。
 まだ読んでいないが、買おうと思っている。

 【単文改造例】
 中学英語の「これはペンです」を書き換えてみます。
 →「これが…ペンなのか!」「ペンってこれなのか?」「これってペン?」「これが!ペンなんだ!」「ペンてこれだ!」
 これくらいすぐにできなきゃ言葉を操るなんて無理。
 もっとたくさん読んで勉強しよう。
    • good
    • 0

自分自身がまず「感動」することが必須であります。



いや、ベタな回答で申し訳ないですが、なんでもいいから、感動しないと。

本を読んで感動、からはじまって、映画に、旅行で、健康で、おいしい、試験に合格した、恋愛成就の感動、何かほしいものをみつけた、などなどあります。自分が知らないことは基本的に、書けないと思った方がいいと思います。

逆に負の感情が動かされる「感動」も重要でしょう。だれかを心底憎む、ねたむですね。それらを実際にすれば、その逆のよい方向への「感動」もあると思うのです。なんでも経験しましょう。

あと、起承転結についてうかがわれるレベルで長編は難しいと思います。
まず短編で、序論・本段・結果、の3つに分けると書きやすいです。それを続けていくうちに、序か結が2つにわかれて、気がつくとあら不思議、起承転結です。私はこの経験を、論文の授業で実際にしました。いきなり起承転結の論文が書ける人は、いません。しかし、繰り返せばかならず、できます。

そして、短編を連作にすれば長編ができあがります。

ファイト、おー!
    • good
    • 0

wanrokkaさん、こんにちは。

長編大河小説を書いている者です(笑)

これだけの材料ではなかなか適切なアドヴァイスをするのは無理かもしれません。

>起 主人公の位置づけ、登場人物慣れ
質問者さんは「起」をおろそかにしていませんか?
ここは大事です。細心の注意を以って書き込んでおきましょう。ストーリーの骨子が決まっているのなら、一番最後に書いてもいいかもしれません。わたしはそうしてますよ。
その設定が実は・・・
というのもアリです。

>どのようにすれば感動できる展開が書けますか?
>主人公の心の動揺や、希望→落胆等どういうものを心理的描写
これは良質の作品に触れましょう。ライト・ノヴェルに限らず『感動作』に接して、文章を鍛えましょう。

とエラそうなことを言っても、わたしもアマチュアにすぎません。
楽しく書きましょう。とりあえず書いてみる、というのもいいかもしれませんよ。


 西暦1006年夏。南の夜空に突如エトワール(星)が現れる。それは急激に光を増し、クロワサン(三日月)ほどの明るさをエトワールの点光にして地上を照らす。その冷たい光はリュヌ(月)とともに夜の世界を、ノルマンディーを照らす。
 新しくノルマンディーの首都になったカーン。そのシャトーにそびえるトゥール(塔)の屋上に一人の少年が立っている。いや、一人ではない。数人のお付きの者たちがその後ろに、退屈そうに控えている。もう何日も、少年はその新しいエトワールを見ている。今宵は昨夜とは明るさが違う。見よ、今宵は薄い雲を光が突き抜けてくる。今宵はことのほか美しい。今宵は少しく暗いではないか。お付きの者は誰も少年の言う変化に気づかない。少年は優れた目を持っていたのか? いや、そうではない。そのエトワールの光は実際そうだったのだから。超新星爆発の光は一様であるはずない。だが11世紀の人々はそのようなこと、知る由(よし)もない。
 おとなが気づかないことも子供は気づく。その少年は終生少年の心を忘れない。それは純粋な、というだけの意味ではない。残酷な、独りよがりな、という意味をも含んでいる。
「ロベール様、もう夜も更けました。お部屋へ戻りましょう」
 守役(もりやく)の侍臣の言葉など、聞く耳は持たない。ただ、このロベール少年は人好きのする凛然とした子供でもあった。頭も良く、人から聞いたことはなんでも良く覚えていた。勉学からくだらない噂話にいたるまで。真実も偽りも。
「エトワールというは、いつも同じ所にあるというわけではないのか。その方(ほう)はそう僕に教えたが。季節が巡ればまた同じところに帰ってくる。人の生のようだと」
「いや…それは…」
「あれは明星(金星)の如きプラネトゥ(惑星)のたぐいなのか?」
「いえ、学者は違うと申しおります。古い文書(もんじょ)にもこのような突如現れる妖星のことが有り、しばしまばゆく光り輝いたのち、跡形もなく消えたと」
「それこそ人の一生ではないか! 僕はそのような生を生きたい。光り輝き、人の記憶に残るような生を生きたい」
「ご立派な志。感じ入ってございます」
「追従などいらぬ! なあ、その方はどう思うか? どのようにすればそれは成せるのか」
「さあ、ご領地を倍にするとか…」
「くだらぬ! それならばおじい様がすでに成している。パリの方ではなく、反対の方に広げたのだけど。モン・サン=ミシェル…ふん、モナステール(修道院)なんぞ!…パリ…パリか…ロワ…悪くない。それには――
「兄上様がおられますが」
 ロベール少年は返事をしなかった。飽かず新しいエトワールを見つめている。エトワールに照らされた顔は希望に燃えているようにも見え、遠謀にふけっているようにも見えた。その瞳はエトワールの冷たい光を映している。いにしえから多くの人々を導いてきた北斗星に背を向けて。


下書でした。お後がよろしいようで(汗)
    • good
    • 0

私も昔、小説を書いてみたいと思った時期もありました。


人が小説を書きたいと思うのは、起承転結の最後の「結」の部分が脳裏にはっきりと
した現象で現れるとき、その現象に自分が感動している自分に気づく時です。
すなわち、人が感動すると言うのは
普通の人が想像できる末のハッピーエンドでは感動しないだろうと言うことなのです。
ハッピーエンドばかりが感動すると思うのは間違いです。

 例えば人を愛すると言うのは必ずしもハッピーエンドで終わるのではなくその人を
深く愛してるからこそそっと去って行くと言うのも傍から見ると感動する恋愛ではないでしょうか。
最近の若い人が何に感動するかはその時代によっても変わるでしょうが
思いもしない結末に至って、感動すると言うこともあるのではないでしょうか?
私ならそんな結末が目に見えてから、その過程、さらにその発端を考える。
全く出会うはずの無い異質な者同士が出会って、物語を形成していき、
人が想像もつかない意外な結末に至る、そこに人は感動するのです。
それを考えるのが小説家ではないでしょうか?
せいぜい、多くの人を感動させてくれるそんな小説を書いてください。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!