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道三が信長に会うために正徳寺で会見することになったとき 道三は物陰に隠れ信長を隠れ見ていましたよね?そのとき現れた信長は うつけの姿で こんなうつけなら正装する必要はないと道三は平服で会見場に行った
ところが さっきまでうつけ姿だった信長は凛々しいまでの正装をし威厳を放つ若殿姿になっていた…というエピソードですが

信長は道三が隠れて見ているのをしっててあえて うつけ姿をさらしたのか
それとも本当に普段のままの姿でいて 会見だからさあ着替えるかとなった ただそれだけの事だったのか?どっちが真相なのでしょうか?

後者だとしたら マムシと呼ばれた道三は意外とあぽ~んだったことになりませんか?
結局それで濃尾同盟が結ばれちゃうわけだし…

A 回答 (2件)

 小説ではそうなっているのが多いですが実際はどうなのかわかりませんが・・・・・・


移動ではラフな恰好の方がよいけど会見の場所では清掃してきたと言うことは、今で言うとTPOを使い分けている人物と見ることが出来ます。つまり信長が合理的な人物であることを表していると思います。
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この回答へのお礼

まぁ 信長も普通の格好なら道三の気持ちもわかりますが うつけ姿からの正装は してやられた と思ったのかもですね

お礼日時:2012/07/23 19:35

 そのエピソードは小説などによく描かれるところですが、私は信じません。



 私は、道三は、信長と話し合ってその器量の大きさに惚れたのであって、服装は関係ないと思っています。

 なぜなら 道三が「信長は行軍中と同じ格好で来る」と信じていたら、なにも行軍中の姿(真実の姿)を見ようという発想は出て来ないはず。

 織田家の軍装や武器の種類・数を知りたいなら、雑兵にでも数えさせればいいわけで、自分の目で見る必要はありません。

 隠れて、自分の目で行軍中の信長を見ようとしたと言うことは、「信長が行軍中とは違うようすで自分の前に現れる」「盛装した姿を見ただけでは真実の姿は分からないかもしれない」と考えていたことを意味するはずだ、と思うのです。

 予想通り、盛装して現れたからといってなにほどのことやあらん。驚きも感激もしますまい。


 一般論、信長の立場としても、着替えるのは常識だったと思われます。

 あの時代、下位の者が上位の者と会うには服装から顔の上げ方、膝の進め方まで、作法があります。

 そのため、権力を握った後の信長から京都の奉行に任命された秀吉でさえ、たいへん苦労しています。

 もっと時代を遡る、信長若かりし頃、いかに下克上が始まったとはいえ、身分としても斯波家の家老の家臣の家系である信長が、美濃の主であり義父でもある道三に会うときに衣服を改めるのは当然だったと考えます。

 したがって、信長としても、なにか特別なことをしたという感覚はなかっただろうと思っています。


 私としては、道三と信長は(既存の小説では黙って飯を食べた、みたいなのが多いですが)、天下国家について語り合ったと思います。

 「義父上のなさった楽市楽座はすばらしゅうございます」「ほう、あれの良さに気がついたか。家臣どもにも、なにかと反対する者が多くて難渋しておるが」「いかさま、既存利益の上にあぐらをかいた者は反対いたしましょうな」

 などという会話の末、道三は信長の才能に気がついての同盟だと思っております。
 
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この回答へのお礼

そして息子の義龍がおろかだったという事ですね

お礼日時:2012/07/24 06:23

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