プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

何から書いたら良いのやら。根本的考えは、「自分が宇宙と他人の全てを創造している」です。。(私しか意識ある人が宇宙にいない?・・・)

言えそう・・・なのは・・・

「私が生まれてきた理由は、宇宙や人類の学習のため」
だということでしょうか。。。・・・・・(意味不明ですが。)

エヴァンゲリオン26話でも、「世界にはあなたしかいないのよ」と、ミサトが言います。
あの辺は、独我論だと思いますが・・・。エヴァは独我論の話で、碇シンジの妄想みたいなものだと思う。

http://baco-crispy.cocolog-nifty.com/bacoblog/20 …
参考。宇宙には1人しかいない。これは、宇宙1つが、人1人に与えられていて、部分的に世界同士が接触している?というものです。

でも、違うと思います。と言うのも・・・「幻覚 建物」でGoogle検索しても、私の体験と同じものが出なかったのもあるし、、、幻覚とは何か・・・違うように思えるからです。
幻覚=現実とそっくり。

こんなこともありました。
1,ミルクティーを机の部屋へ持ってくる。
2,扉を閉める。
3,家族の1人が「廊下にこぼれている。こぼしたな?」と扉を開けて言ってくる。
4,1-2年前にこぼした場所と同じ場所に、何故かこぼれていた。しかし、こぼした記憶は無いし、その後の「机のカップの中身」は減っていなかった。=中身が移動したわけではない。

これについて、ここで質問したこともありましたが、答え出ず。
そして、「過去の現象が、今に映ってきたのだろう。」と思ってましたが・・・どうも・・・違うくさい。
昨日辺りに気づきました。
「これは、扉の向こう側は、自分から見えず、観測されていない。だから、ミルクティー事件も、揺らぎの状態が変わったからだろう。」と思いました。
この辺はブログに、「遠い駅は存在しない」というような意見があったので、最近考えています。
事実、自分の身の回り、見える範囲だけ、存在すれば良いわけであって、TVの中などもその範囲だけ存在すれば、「現実そっくり」になります。宇宙全体からすれば、その方が効率は良いでしょうし。

上記のポイントとしては、「見えない場所にこぼれていた」というのがあると思います。
扉は閉まってて、、、向こう側は見えなかった。これは、事実です。
そして、何故か、「こぼれた状態」が廊下に現れた。見えない扉の向こうで。瞬間的に。
そして、タイミング良く、家族の1人がそれを発見した。(これまた偶然にしては・・。私が無意識に動かしたようでもある。)

この謎の現象は、自分でもよくわかりませんが・・・・。
<私>が、<宇宙>及び<身の回りの現実>を、自分の脳?だと・・・・わかりませんね・・・。
ともかく、自分のどこかに記憶していて、それはどこか、本当にわかりません。単純には、脳ですが。

しかし、宇宙全体を、自分の脳だけで、記憶し、そして、創造していくことが、可能なのでしょうかね?(疑問)容量不足かな?・・・。

ともかく、、、私がカップのミルクティーを運んできました。机に。
その、「過程」でしょうか。その、「記憶」を「書き換えた」のかもしれません。現実って、自分の脳の記憶だけで出来ているのでしょうか?
その場合というか、そういうのを、幻覚とも言いそうですが、しかし、それでは、「家族の1人が幻覚のミルクティーを発見した。」という事実を覆せません。しかし、全てを私が創造している、とすると、私の幻覚体験?は全て説明がついてしまいます。

~~~~~~~~~~~
そう・・・・ネット上の書き込みでも、3次元世界の現実の、外の世界も、外を歩く他人も、全ては自分の創造による存在、、、と考えても矛盾が出て来ません。(勿論異常な考えですが。)
そして、このことは、異端者となり、そして、3次元世界の現実世界は、
「どうあがいても、お前が世界や宇宙を創造していることは、教えないぞ。」と、言ってきているようでもあります。

それは、自分自身が他人が人形のようで、機械のようで、意識が無く、生きていない、生まれても死んでもいない、そして、「世界、宇宙で意識があるのは、自分だけ。自分1人ぼっちの世界。」であることが怖いから、だとも言えそうです。

「完全にロックされている現実世界」のようでもあります。外を歩いていても、他人は自分のことが変わっていると、気づかないし、家族は当然、自分を一般人の1人として話してきます。
これらは作り物かもしれませんが(哲学的ゾンビ)、否、創りモノかもしれませんが、
「本物そっくりの、完全にロックされた3次元体験世界」として、本物そのままに、現れています。

宇宙に自分1人しかいなくて、宇宙は人1人ずつでなく、宇宙がたったの1つしか存在しないとしたら?
「もしも、自分が生まれた瞬間に、宇宙が瞬間的に創造されたとしたら?」
「もしも、自分が自殺したり、事故で無くなってしまったら?宇宙は消えてしまうのだろうか?また、自分の意識は無くなってしまうのか?」
と、疑問に思えます。死後の世界は誰もが疑問に思いますが。
~~~~

話をミルクティーに戻すと・・・「ミルクティーを机まで運んできた」「記憶」が、書き換えられてしまい、「現実が変化してしまった」ということだと思います。
まず・・・分子的に考えると?・・・・・モノとして。ミルクティー+こぼれたミルクティーとなります。
机のミルクティーは、いっぱいでした。だから、こぼれた分を足すと、こぼれたでしょう。
つまり、「持ってきた量が増えていた」ことになります。変です。

「新規に廊下上で、ミルクティーが出現した」とすれば、辻褄が合います。
いや・・・・「記憶」でしょうか。記憶=情報?・・・。
「廊下でこぼさずに持ってきた」情報と、「廊下でこぼしてしまった」情報が、入れ替わってしまったのです。
ちょっと、量子論の揺らぎの宇宙・・・?というのもわかりませんが、AとBの2種類が存在に与えられているのでしょうか?それとも、無限又は多くの種類が存在するのでしょうか?観測で。

何はともあれ、今の宇宙は不安定だと思います。私の脳が不安定なだけ。。。という可能性もありますが。

幻覚体験?は書ききれません。
ともかく、変、です。FEZというネットゲーム(50人vs50人対戦)で、アップデートが変でした。
半年間、ダガー島という1つのマップが、「違っていた」のです。マップの形が。
しかし、この現実を、他人は一切騒ぎません。そう、「私だけの現実」なのです。。。・・・

この場合、疑問が出ます。シュタインズゲートの時間線とか、パラレルワールドがわかりやすいと思うのですが。

1,ダガー島のアップデートの無かった世界(偽世界?)
2,ダガー島のアップデートがあった世界(真世界?)
の2種類が存在したことです。私は、いきなりマップが変わっていたので、調べたら、半年前にアップデート情報が載っていました。

この、1と2がありますが、両方とも、「他人がゲームプレイしていた」わけです。そのマップで。
しかし、「1の世界でプレイしていた人々は、どこへ行ってしまった?」という疑問が沸きますが、
今思いつきましたが、「1の世界は2の世界の記憶に上書きされた」が正しそうです。
今思えば、私が世界を変えてしまった、、、。。。ようでもある。

また、FEZゲームで、攻めと守りが切り替わるのですが、そのタイミングで、「私のゲーム画面が5-10秒止まっていた」のです。そういう日がありました。ネット回線切断された様子と同じ。
これって、、、、他人も同じ状況になれば、チャットで騒ぐはずです。しかし、それはありませんでした。
そう、これは・・・・「まるで、他人=ネット内のキャラがプログラムのロボットのようだ。」と、思えます。
ネトゲなのですが、1人のソロゲーだという。。。
FEZは、仮想戦場で攻めと守りを繰り返します。しかし、その切替タイミングで、止まる、という現象が起こるというのは・・・・実は、他人=ロボット人間じゃないか?と疑ってしまいます。
要は、3次元現実世界がプログラムで出来ていて、自分の周りの現実もプログラムのようなもので出来ている、という可能性です。
「止まる」という現象が5秒ほど起きていたのは・・・・「処理落ち。思考中。」だったからだと考えられます。
PCでも、ゲームでも、よくありますよね?処理落ち。昔のFC、SFCならよくありました。
しかし、正常なFEZでは、その攻守切替がスムーズに行われているように、「見せられている」という。

だから、その日は簡単なゲームでした。だって、相手が攻守切り替えが起きるまでは、相手全員がずっと逃げていくんですから。それまで、自分は攻めてれば良いだけと。FEZは6年ぐらいやってます。

もう文字数が・・。携帯電話が11日間だけニュースが流れていたのも、携帯そのものが書き換えられたからでしょう。新機能・・。

あと、他人の怪我した方の足で階段を上っていたり・・。(左右逆)

幻覚?で、コンビニ店員が手を変に動かしてたり。
J.C.STAFFというアニメ会社の看板の酒場が何故かあったり。
幻覚のファミリーマートが出現したり、デパートの1Fがジュース売り場に書き換えられてたり。
幻覚の建物の3Fで、熱いシャワーを自分が浴びることが可能だったり。(現実は全く違う建物だが、扉・階段にぶつからない。変。)

だから、幻覚でなく、現実だと。
言いたいのはこれらが本当だとしたら一体いつまで世界中で茶番劇してるの?と

A 回答 (8件)

>世界中で茶番劇してるの?



 そろそろ人間の固有特性から離脱したらどうですか。
 世界も宇宙もあなたが作り出したものものですから、さっさと離脱するということです。

 茶番劇はもういい加減うんざりでしょう。沢山の人がもう気づいています。

 それこそ、ご自由に・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

オカルトなどにも詳しいのすね、恐らくは。

最低でも、1人1宇宙の可能性は高そうなので、世界中の人が考えるべきだと思いますが、

他人が人形みたいだと考えるのは怖いし、不気味な点もあります。(その意味では他人は知らない無知の方が幸せかもしれない・・・?)

ベストアンサーにしても良いと思いますが、長文の方にしようと思います。

お礼日時:2012/10/14 23:06

こんにちは。


このようなテーマについては、私も時々考えてしまいます。
ネットゲームやアニメの内容については、よく知りません。
ごめんなさい。
この文章が、回答になるかどうか分かりませんが、ともに
考える一人の仲間のような感覚で書かせて頂きます。

質問の中で、あなたが感じることは、もっともだと思います。
ひとは自分から見た世界が全てであり、他人の見た世界を
感じ取ることはできませんから、この世界は自分だけではな
いか?すべては、自分の想像の産物ではないか?と思ってし
まいますよね。
その部分については、私も同感です。
自分がこの世界の全てであり、この世界の全てに自分が存在
するとか。
或いは、自分はどこにでも存在するが、どこに居るわけでは
ないとか。もし、そうだとすると自分自身を特定することが、
とても難しくなりますが、それって、どうでしょうか?
とても自由で、何に縛られることもなく、いつどこにでも
存在できる。とてつもなく壮大な自分自身がいるのです。
言わば、存在のすべてです。
しかしながら、あなたも私も生きています。
頬をつねると痛いですよね。空想ではありませんよね。
自分は、存在のすべてでありながら、このすばらしい
自然界に生きている。生きていることを体験できる。
朝目覚めて、小鳥たちの声を聞き、朝もやの森の中を
散歩する。可憐でちいさな花が咲いている。
何気ない日々の生活のなかに、自分自身を見いだせる。
自分自身を経験できる。難しいことは考えずに、自分を
感じて生きていきたい。今を大切にしたいですよね。

あなたの中に、私を見ることができます。
同様に私の中に、あなたを見ることができます。

神社の御神体が鏡であることなど、よく考えられたもの
です。昔の人は、大したもんですね。
御神体に映るのは、自分自身であり、周囲の景色です。
自分自身に問いなさい。自分を見つめなさい。
「そこに私が居ますよ」と言われているようです。

一緒に、今を生きていきましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

不思議なのは、自分も他人も、同じ体をしている、同じ脳を持っているのに、
独我論のような考えが出ることですねー。

お礼日時:2012/10/14 23:22

答えというより感想です。



真実とは錯覚をも含んでいる のかもしれませんね。

太陽は東の空から昇り、西の空に沈む
太陽は動き、大地は動かない
誰がどうみても確かに見えます。

でも、本当はそうでないことを誰でも今は知っています。
人の目に そう見えてしまう理屈を知っています。
理屈は分かっていても、太陽は実際に動いて見えてしまいます。
人間の感覚に立てば、天動説は真実のようです。

>家族の1人が「廊下にこぼれている。こぼしたな?」と扉を開けて言ってくる。
>何故かこぼれていた。しかし、こぼした記憶は無いし、その後の「机のカップの中身」は減っていなかった。=中身が移動したわけではない。
>何故か、「こぼれた状態」が廊下に現れた。見えない扉の向こうで。瞬間的に。

失礼ながら 身近な天動説 といった感じがしました。

>言いたいのはこれらが本当だとしたら一体いつまで世界中で茶番劇してるの?

失礼ながら  いつまで太陽は動きつづけるの? と仰っているように聞こえてきました。
ご自分の感覚を大切にしながらも、時には、そうしたものへの過信を離れてみるようにお勧めします。
答えは案外簡単なところにあるように思うのですが いかがでしょう。
お分かりになっているとは思いますが・・・。
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この回答へのお礼

>ご自分の感覚を大切にしながらも、時には、そうしたものへの過信を離れてみるようにお勧めします。
答えは案外簡単なところにあるように思うのですが いかがでしょう。
お分かりになっているとは思いますが・・・。

 すいません、わかりません。。。
他人は、自分が操作している、「自作自演なのか?」どうかが。
でも、現実ってのは、明らかに、ふつーの世界ですね。
ただ、最近のニュースは、変な感じします。

しかし、このまま現実世界が展開されていくのならば、私も、「他人は意識がある。」と、考えなければならないのかもしれませんが。

ただ、宇宙の前が無だけ=自分だけ、だとして、
暇つぶしというか、何もない自由な世界だったが、自由を忘れてしまいそうだったから、
制限のある世界=宇宙を創造した、というようにも思えます。(オカルトで見かけた内容)
エヴァの26話もそういう内容です。

自分1人だけの無の世界だったから、制限のある、他人のいる世界を自分が創造した、、、と。
自分としては、納得行く理由なのですが、他人からすると変人になってしまいます。

そして、これらのことを、現実の人々に話しても、変人あつかいされるでしょう。
だから、ネット上で話します。
結局は、自分の考えを他人に聞くのが、不可能に近い状況なのです。

ただ、そろそろ質問もやめるようにしないとな、と思います。

それは、肝心の私の幻覚体験を誰も説明できないからです。悪いですが・・・。


ありがとうございます。

お礼日時:2012/10/14 23:19

2012年もそろそろ終わりに近づいてきましたね。



世界は滅びそうにないけど 古き良き日本は滅んだみたいです。

そういう意味では 私たちの世界が滅んでしまったといえるのでしょうか?

ひと と くにとを くらべると どちらが強いのでしょうか?

そういう意味では

 世界人口の40パーセント以上が 漢民族+インド人ですから 結局 解釈の問題になるのではないでしょうか?

中国 と インドでは 日本の民主 が 実行不能であるとしてもです。

問題は

馬鹿や犯罪者(脱税・被告人)に責任を与えて 果たせなくても まあいい

という 私たちの「内面」ではあると思います。
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この回答へのお礼

今後の世界は、人口爆発がやばいと思う。

それにしても、こういう私の意見は、死後の世界が怖いから、というのもあると思う。

ありがとうございます。

お礼日時:2012/10/14 23:09

気づいてしまったか.....

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

しかし、観測や宇宙の謎を考えれば、創造も有りだと思いませんかね?・・・

まぁ、私もオカルトブログ読むまでは信じませんでした。

あと、エヴァンゲリオンの最終話も参考になります。

お礼日時:2012/10/14 23:07

確かに、家族の1人が「廊下にこぼれている。

こぼしたな?」と扉を開けて言ってきたのは、不思議だとも考え得ますけど、その時のその家族の1人もが、幻覚だった、というオチでしょう。

後、前から俺が言ってますけど、積極的に整合性を確かめているでしょうか?
幻覚が起きたと思ったら、近くの様々な人に見えたり触れ得たりするかを聞いたり、ビデオカメラを確認したりしたら良いと思います。
前にも言った通り、そうでないと、どうとも結論できないままだと思いますよ。

なんか、都合が良い部分だけ、自分が作っていると主張していると感じます。
前にも言った通り、なぜ、vanticeさんが制御できない他者や物体などをもvanticeさんが作っていると判断しているのでしょうか?
まさに、vanticeさんが制御できないから、vanticeさんが作っていない、という結論になると思いますけど、どうでしょうか?
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この回答へのお礼

>前にも言った通り、なぜ、vanticeさんが制御できない他者や物体などをもvanticeさんが作っていると判断しているのでしょうか?
まさに、vanticeさんが制御できないから、vanticeさんが作っていない、という結論になると思いますけど、どうでしょうか?

これについては、オカルトでよくあるのですが、「潜在意識」「創造」などでGoogle検索などすると、わかります。
潜在意識で無意識に創造している・・・?らしいのですが。。。事実は謎。所詮は、オカルトなのですが、私の幻覚体験と関係あるのかな?・・・と思ったり、思わなかったり。

夜は静かなせいか、自分が創造しているようにも思えます。
しかし、昼間などは、外に人もいて、音がたくさんするせいか、他人やモノは、創造してない、ただあるのみ、と普通に思います。



>確かに、家族の1人が「廊下にこぼれている。こぼしたな?」と扉を開けて言ってきたのは、不思議だとも考え得ますけど、その時のその家族の1人もが、幻覚だった、というオチでしょう。

こういう意見を求めていました。
確かに・・・・・一見すると・・・、、、「廊下にこぼれていたミルクティー」
だけが、幻覚か、創造されたか、どちらかとして、現れた、出現したと思えます。
しかし、その時の、「家族の発見者」もまた、幻覚か、創造された?か、何か起きていた、という可能性もありそうです。

これは、別の幻覚、、、自転車屋の人が、幻覚だった!?事件と関係ありそうです。
自転車のサドルを前かがみにしてもらったのです。しかし、次の日、元に戻っていました。
恐らくは、サドルを変更してもらったという事実が、幻覚の偽物の体験だったと思われます。
サドル+自転車屋の方が、幻覚だった、と。つまり、「人でさえも、幻覚に成りうる」ということかもしれません。

つまり、A世界が現実世界で、Aの人々が世界に住んでいる。
そして、B世界が一時的に部分的に?現れる。Bのルートの人々が世界に住んでいる。
パラレルワールドみたいな感じでしょうか。

それならば、池袋マルイ・ファミリーマート幻覚なども、説明できそうです。
マルイ前にファミマが無いはずが、幻覚で出現していたのです。(まぁ、私の脳の幻覚体験・・・な感じはします。しかし、あれだけ大規模な幻覚が出現するというのは、私の脳だけで現実世界を創造できてしまう・・・という考えにも繋がってしまいました。)
この辺は、長文になってしまうので、割愛したいところですが。。

まぁ、池袋のその建物変化幻覚=ファミマ・マルイの建物内の変化、ですが、
その変化を知っていたはずの人々は、私の幻覚であった、ということでしょうか。
そして、その記憶はないと。
A-B-A と変化したが、A-A-Aという記憶に人々はなっている、、、ということですかね。
「幻覚の人々」に関しては、謎が未だ多いです。他人の意識・記憶はわかりませんからね・・。



>幻覚が起きたと思ったら、近くの様々な人に見えたり触れ得たりするかを聞いたり、ビデオカメラを確認したりしたら良いと思います。

えぇっと、池袋幻覚の時に、幻覚な建物、がありました。
そこは、「本物の現実の建物」とは、全く異なった建物でした。中入りました。。
まぁ、2度目に入ろうとしたら、男性が1人いて、無言で押し戻されました。相手の体は、本物そのものでしたが、幻覚の建物内にいたので、幻覚の人、だったでしょう。

また、幻覚のファミマで、機械の電話で、おばさんと話しましたが、本物そっくりでした。
しかし、幻覚のおばさんだったのでしょうか。

また、PC内の動画も変化したことがあり、怖くて一度消しましたが、今でも残った動画ファイルあります。勝手にありました。記憶にないのです・・・。幻覚で出来たファイル・・・・・・・・・・・変です。気持ち悪い。
2011/11/23 ぐらいになってます。1年ぐらい前ですね。

ここ1ヶ月ほどは大丈夫かな?・・・。

どうも、「幻覚にしては、変過ぎる・・」と思えてならない、と。
幻覚体験は調べましたが、これらはないです。

私の脳が異常なだけ、かもしれないし、
「自分の観測結果が周りに変化を与えているから」のようにも思えるのです。

ありがとうございます。

お礼日時:2012/10/14 23:03

量子論的世界像において、有限な存在性(=宇宙)は認識されることによって派生しています。


換言すれば、「自我仮説(心=時間の流れ=記憶)と時空仮説(存在=空間的広がり=予測)が、(不確定性原理の相補的不確定性を介して)相補分化している=全てはあなたが存在するための(物理的原理性にまで遡った)補完である」という事なのです。

「全ては、あなたが存在するための(物理的原理性にまで遡った)補完」なら、宇宙は自己の必要であり、完全に自由であって然るべきものにも思えます。
しかし、物にぶつかり、人と争うのはなぜかというと、その場合の自己は「物理的原理性にまで遡った」ものではなく、現象表面的&刹那的な「自己チュー」なものだからです。
いわば、「存在」とは自己矛盾であり、自己チューな意識に対する「規制」なのです。

そうした短絡的自己から、認識の深まりによって“環境”を自己として自覚化し、社会に対しては他我(愛=社会生命的自覚=自律的社会行動)において生きるなら、その意志は永遠の未来においても、宇宙の果てにおいても、予め達成されるものとなり、完全なる自由と無限の幸福が約束されるのです。
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この回答へのお礼

>そうした短絡的自己から、認識の深まりによって“環境”を自己として自覚化し、社会に対しては他我(愛=社会生命的自覚=自律的社会行動)において生きるなら、その意志は永遠の未来においても、宇宙の果てにおいても、予め達成されるものとなり、完全なる自由と無限の幸福が約束されるのです。

これは何となくわかりました。
アニメのエヴァンゲリオン最終話で、自分のモノ・他人は、自分を認識するための存在、という説明がありました。

お礼日時:2012/10/14 22:42

>幻覚=現実とそっくり。



そうでは無いと私は考えます。
なぜなら、現実に対して理想を考えることが出来るからです。

理想を追い求めれば追い求めるほど、理想こそが幻覚であると思い知らされます。

常に良い状態を追い求めると、それが何処にも無いのだと気付きます。
そして、現実はちぐはぐで不完全だと感じる様になります。

建物を作るとき設計図を描きます。
しかし、現実に出来上がる建物はわずかながらズレが生じます。
設計図は概念の世界です、線には幅が無くまた、建材が持つゆがみも計算されない場合もあります。
そして、時が立つ毎に建物は劣化し続けるのです。

実は、様々な概念こそが理想で有り、現実には確かに存在しないと言えます。
多くの人と目標を定め仕事をすれば、それは常に実感し続ける。
時として個人が歪みそのものとなって、目標より遠ざかってしまうことが多々あります。
それは失敗と呼ばれます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

書き込み、返信=他人の意見ですが、
それが自分の意見と違う、批判される、というのが、最近は怖いです。

数年前までなら、全く怖くなかったのですが。。。・・・
それは、こういう変な質問したりしているからかもしれませんが。

さて・・・・質問文でも、文字数制限があって、全て書ききれませんでしたが、

http://shion518.blog.fc2.com/
ここのブログで、自分=創造している、というオカルト?な内容であったりします。
もう1つブログありますが割愛。

お礼日時:2012/10/14 22:38

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