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GHQはなぜ日本政府が作成した憲法改正案を認めなかったのですか?

A 回答 (1件)

<日本政府が作成した憲法改正案


これは松本試案(憲法改正要綱)という事で話を進めます。

GHQのマッカーサー元帥の占領の基本方針は「日本人にやらせる」統治、日本政府を存続させたまま行う「間接占領」方式をとりました。つまり、憲法改正は日本国政府が行うべきだと考えていました。
そしてGHQは「10.4覚書」を内閣に叩き付けます。(「近衛憲法」のことは省略します。)
これにより、幣原喜重郎内閣の元、政府に松本烝治を委員長とする「憲法問題調査委員会」(通称:松本委員会)を作ります。
しかし、1946年になってもいっこうに日本政府から憲法草案が上がってこないことに、GHQはいらだちはじめます。
この背景には日本占領の最高意思決定機関である「極東委員会(FEC)」ができたことがあります。
FECは日本占領に、アメリカだけでなく、ソ連などを含めた多くの国が参加することになります。特にソ連、イギリスは昭和天皇の戦犯指定などを要求してきていましたので、アメリカ中心の対日政策が揺らぐ可能性が出てきたわけです。アメリカはFECが天皇制廃止などをいわないうちに、憲法改正にけりをつけたかったのです。
さてそんな中、秘密裏に審議をしていた松本委員会の案が、突如、毎日新聞によってスクープされてしまうというできごとがおこりました。ここで報道された案は、最終的なものではなかったのですが・・・
その内容はあまりにも、保守的な内容でした。
そして、GHQはいよいよしびれをきらせます。
マッカーサーは、GHQ内の民政局(GS)に、独自の草案「マッカーサー草案」を作らせます。
それは、2月13日に、最終的な、松本試案に対する回答を聞くためにやってきた政府代表らに、いきなり突き付けられます。これをつきつけたGS局長ホイットニーは、「これは強制ではない。しかし、天皇制を守るにはこれしか方法はない」ということをいって、半場、押し付けられるように改憲するよう迫ったわけです。
多少、混乱した幣原政権ですが、しょうがなくこのマッカーサー草案にそった形で憲法改正案を作成しました。

このように、日本政府が作成した憲法改正案が保守的であり、すぐにでも憲法改正したいGHQにより認められず、結局はGHQの案が元になりました。

簡単にすると、
アメリカ以外の国「天皇制を廃止しろ! 昭和天皇は戦犯だ!」
 ↓圧力
アメリカ「このままじゃまずいぞ! さっさとマッカーサー草案をもとに憲法を改正しろ!
 ↓圧力
日本「ひえぇーーー-」
と、まぁ、こういった状況でしたww
これが質問者様の回答に沿えば幸いです。
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