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A「農民兵は農繁期に出兵できない。」
B「信長だけは兵農分離して常備軍を作って農繁期でも出兵できた。」

歴史小説ではおなじみのAとBですが、間違いです。
旧暦と新暦の違い、田植えと稲刈りの時期の変化を計算にいれると、
桶狭間は田植えの真っ最中。川中島の5回の出兵期間もすべて稲刈りシーズンにかかります。今川も上杉も武田も農繁期に出兵できています。
そもそも、源平合戦も南北朝も農民兵が「器量に堪うる者」として出兵できているのに、戦国時代にだけ出兵できないのはおかしいです。

作家だけで無く、小和田先生も2008年以前は似た事を書いていました。私は、作家や出版社に配慮した大人の事情で仕方なく書いたのだと思っていました。しかし、先日、70年代の永原先生の本にも「農民兵は農繁期に出兵できない。」の言葉が。

歴史学者の間でも、農民兵は農繁期に出兵できないとされていた時期があったのでしょうか?出兵期間を調べれば、間違いに気づくのに。

A 回答 (7件)

>「研究者」とはどういうカテゴリーなのでしょうか。

学者?作家も含む?
基本的に学者を中心とする史料に基づいた考察ができる人を指して使っています。
大学に所属していなくても作家でも史料をちゃんと自分で読んだ研究をしている人であれば研究者とみなしています。
よって歴史評論家やら『逆説の日本史』の作者やらは含みません。

戦国期の戦争の実態についての研究はあまり進んでいません。
さしあたって下記の雑誌が最新の研究状況と論点を示していると思います。よければご参照ください。
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/magazine/c …
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この回答へのお礼

買ってみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/05 17:39

別のカテゴリーなんか読みませんよ いちいち

この回答への補足

http://okwave.jp/qa/q7962478.html

自分の質問に対する回答ぐらいは読むべきでしょう。このカテゴリーのあなたの立てたスレッドに対して、No.8のizuhara氏が、正月の出兵の例を複数書いてますよ。

補足日時:2013/04/22 07:06
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おっしゃるように信長は他の大名と違う存在だったとする思いこみからきた間違いですね。


農繁期・農閑期関係なく戦争は日本全国で行われていますし、そもそも信長が兵農分離を達成したというのが実は史料を拡大解釈したもので、最近は否定的な研究者が多い状況。
小和田氏に限らず、今も農繁期は出兵できない・信長は兵農分離という通説に疑問を持っていない研究者はけっこういます(特に一般向けに多く本を書く人)。しかし、研究雑誌ではこの辺りの見直しはかなり進んでいます。十年後には確実に学会の常識となるでしょうが、一般に古い通説が流布している現状はきっと変わらないでしょう・・・。

この回答への補足

小和田先生は、2008年の本に「信長の兵農分離は一部」(原文はもっと長いけど)と訂正されています。実質の撤回でしょう。

補足日時:2013/04/21 23:12
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
「研究者」とはどういうカテゴリーなのでしょうか。学者?作家も含む?

下に間違った事を書いてしまいました。藤木先生は「戦国の作法」冒頭に新潟出身と書かれています。
米所出身の先生が食糧不足の時期をなぜ、「端境期」と書かないのか?それとも、これは他の引用者の誤引用を原文として、私が間違ったのか?

永原慶二先生の70年代の本も「農繁期」よりも、主従関係の甘さから、長期の出兵の困難さに力点を置いているようにも思えます。
とにかく、この農繁期の出兵は、作家の明らかな間違い、学者の不明確な文章、が目につきます。

お礼日時:2013/04/21 23:53

そのとおりです。


信長は兵農分離制を導入したと言われていますが、実はそれも信長軍のわずか数%にすぎず、実際の主力は自分の「支配下の村」から連れてくる農民兵だったのです。
「農民兵は農繁期に出兵できないから年中戦える傭兵で組織した織田軍には誰も勝てない」という説は年表を見てない人や歴史認識の薄い人の説ですよ。
なんせ「当時はどの戦国大名も軍制に大きな違いは無く、兵農分離は豊臣政権からようやく実現した」が近年の学者達の定説です。要するに兵農分離を事実上成功させたのは信長ではなく豊臣秀吉ということ。
つまり「信長は兵農分離させてるため織田軍は傭兵で構成されている」というのは大嘘。
さらに「農民兵が年中戦えない」というのも大嘘。
16世紀半頃には、日本全体で、農村の中で出兵に積極的な『軍役衆』と、村の自治と農業一筋を求める『百姓衆』の分裂ができあがってきています。。『軍役衆』の存在により兵農分離などしなくても、年中遠征できるのです。
『百姓衆』は百姓の長男が親と共になり、次男三男が『軍役衆』になることが多かったようです。

この回答への補足

信長軍の数%
積極的な軍役衆
どこかで見たような文章・・・・。(笑)

なぜ、農民兵は農繁期に出兵できない、といった誤った論が流行ったのでしょうねえ。

補足日時:2013/04/20 14:20
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この回答へのお礼

一家の中で、百姓衆と軍役衆に分かれるパターンよりも、家単位で分かれている方が普通だったと思います。たぶん原作者(笑)である私の訂正です。

お礼日時:2013/04/21 23:26

あのね、「可能/不可能」と「する/しない」は、別。



可能だから、と言っても必ずそれを実行するとは限らない。
むしろ逆に、可能なんだからやっているはず、という短絡的な考えの方がおバカちゃん。

何故、出来るはずなのにやっていないのか?と、その前後の時代背景を検証するのが学問。
その検証の結果、あの時代は出兵しないのが常識だった、という結論が出たわけ。

はっきり言って、こんなレベルの疑問は誰でも持ちます。
でも、やろうと思えばできたがこれこれこういう事情でしなかった、という理由があって、それで皆、納得してるんですよ。

もし、それを覆すような学説をお持ちなら、どこかで発表なさったら?
一躍、有名人になれますよ。

この回答への補足

私の質問文は分かりにくかったようですね。もっとわかりやすく書きます。

川中島の戦いは5回とも、農繁期の出兵でした。
桶狭間も農繁期の出兵でした。
小和田先生も2008年の本では、信長の兵農分離は一部だけだと訂正しています。主力は農民兵だったのです。信長も。

補足日時:2013/04/20 14:17
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
おわかりいただけたでしょうか?
農繁期の出兵なんか珍しくないんですよ。
実行しているんですよ。上杉も武田も。
さらに、
農繁期に出兵できない説は、父親が出兵すると農業ができない、単婚家族・核家族を想定しています。戦国の名主や地侍は、大家族+従属民。一家に何人も成人男子がいて普通です。

お礼日時:2013/04/21 23:23

農繁期に出兵しなきゃ意味ないでしょ



上杉軍は有名ですが、出兵の目的は青田狼藉です。

俺の家の田んぼは稲刈りを終えたぜ!
shirouudaはまだ刈ってないな
その稲は俺が戴くぜ!!!
shirouudaの一門にいい女がいるじゃん(○_○)
正しい愛を教えてやるぜ!!!

って事です

群馬や長野北部ではあまりにも知られています
上杉が来ると地獄
武田・北条が来ると収入の半分は持っていかれる

この回答への補足

雑兵物語の研究は、引用されまくってますな。もはや、戦国の戦史研究の基礎資料ですね。

補足日時:2013/04/20 14:12
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
雑兵・・・を書いた藤木久志先生なのですが、まさに当代一流、網野善彦先生亡き後では最大のスター学者だと思っています。しかし、どうも、農業の実態を分かっていない都会人なのかな?と疑問を持つことがあるんです。田んぼで遊んできた私としては。本を読んでいて、「そりゃ農繁期と言うより、端境期だろ。」と一人つっこみを入れたくなるページがあるんです。

お礼日時:2013/04/21 23:20

出来ないのではなく「しない」


これは戦国の暗黙のルール

川中島合戦はその盲点を突いた戦い
「今は農作期だから相手は兵力が手薄なはず」と考え出兵
しかし出兵する側も兵力を集めないといけない
なので農民を動員


正月に戦をしなかった事が暗黙のルールだったように
無秩序の戦国にもルールってものはあった

この回答への補足

11年間に5回も農繁期に出兵し、しかも、直行せずに寄り道したりしています。
これが、盲点を突いた戦いでしょうか?
そんなルールは無かったのでしょう。

補足日時:2013/04/20 14:11
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
正月の件は、すでに別のスレッドで否定されていたと思います。読まれなかったのでしょうか?

お礼日時:2013/04/21 23:14

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