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外国人に「次の文の誤っている箇所または不適切な箇所を訂正せよ」という問題を解説しています。
「あんなへまをするようでは、あいつの実力が見られたよ」は、「~実力がしれたよ」とでもすればいいと思いますが、ここで妙な疑問がわいてしまいました。
誤用または俗語的な表現だと言われればそれまでのことですが、それと同じ意味で「あんなへまをするようでは、あいつの実力が見れたよ(見れたね)」と言うことはないでしょうか。「見えたね」ならば「しれたよ」と同じ意味だろうと思いますが、このあたりはどうなのでしょうか。私が若いころには「見れたね」という表現も周囲では使われていたような気がしますので、ふと疑問に思って質問しています。そのあたりの説明など、よろしくお願いします。
なお、できましたら下記のURLで投稿した質問についても、忌憚のないご意見をいただければ幸いです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8055654.html

A 回答 (4件)

#3です。



>善意で書いているか悪意で書いているかによっても左右されそうな感じですし、このような表現はまだ「定着」していないということでしょうか。

「(たかが)しれている」というのは、「(相手の能力について)簡単に知ることができる」という意味ですので、悪意、あるいは皮肉以外の何ものでもないと思います。
「あいつの能力は知れている」は、「(あいつの能力は、簡単に知ることができる程度のものなので)すでに十分に知れ渡っている」というニュアンスでしょう。
こうした表現で、可能形として「見られた」とか「知れた」という要素を加えようとすると、「能力を測ることができた」という意味も可能になってしまうわけです。
そうすると、「能力を測る」という行為自体には悪意も善意もありませんから、両方の可能性が含まれると考えざるを得なくなる。
そうではなく、「知られている」という受身形として捉えると、(あいつの能力は、簡単に知ることができる程度のものなので)という理由は必然的に付随してくるわけで、それが正しい解釈になるのではないか、と思うわけです。
時々刻々変化するものもたしかにありますが、そうでないものも多くあるように思われます。
   
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この回答へのお礼

追加のご回答、ありがとうございました。
なるほど「知れている」ならば、そのような意味しかなさそうですね。この問題文冒頭の「あんなへまをするようでは」に注目すると、どうやら「知れている」「知れたものだ」のような表現が適切だと思えます。
他のご回答の意味や関連性も、はっきりしてきました。外国人には、この線に沿って説明するのが良さそうですね。

お礼日時:2013/04/26 20:48

「あんなへまをするようでは、あいつの実力はしれたものだ」


あるいは、
「あんなへまをするようでは、あいつの実力はしれてるよ」
と訂正するのが自然だと思います。
これは、「たかがしれたもの」「たかがしれてる」という定型句の略でもあります。
この定型句は受身形だと思うのですが、実力が見れた / 実力が知れた、のような可能形としての表現は、寡聞にして私は存じ上げません。
「しれた」は、あくまで連体形ですので、「実力が知れた。」という使い方はおそらくしないように思います。
他の表現としては、
「あんなへまをするようでは、あいつの実力の底が見えたよ」ぐらいでしょうか。
  
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございました。
「寡聞にして私は存じ上げません」という表現も、私個人としては見聞きした覚えがあります。
善意で書いているか悪意で書いているかによっても左右されそうな感じですし、このような表現はまだ「定着」していないということでしょうか。たとえ定着しても、言葉とは時々刻々変化するものですけれどもね。

お礼日時:2013/04/26 18:31

おもしろいので、こちらにも参加させてください。



#1の方に賛成です。
【「あんなへまをするようでは、あいつの実力が見られたよ】

見られたよ・・・は’見ることができた’という可能を意味すると前提からわかりますから。

それに、ら抜きというのを私的には好かないので、見れた、食べれたって、教えてほしくないとか、思うのです。

へまして・・・の実力がなら、あえて、
【あんなへまをして、あいつの実力’を’見せられたよ】ではないでしょうか?

結末からいうなら、実力相応ということだと思うのですが。
これを発言する人のある意味の悪意も感じられるような感じにもなりますけど。
そうでなければ、そもそもが、’あんなへま’という頭出しは、しないでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
確かに善意で書いているか悪意で書いているかによっても、左右されそうな感じですね。そう考えると単純に結論が出るような問題ではなさそうな気がしてきました。

お礼日時:2013/04/23 09:58

「実力がしれる」とは、この場合は否定的な意味合い(あんなへまをするようでは、お前の実力はその程度なのだな)ということですから、「見れたよ」だと、否定的なのか肯定的なのかが曖昧な感じになってしまうと思います。



「見れた」は単に「見られた」のら抜き言葉であり、同じ意味合いですから、この場合「実力が見れた(見られた)」とすれば、「そんな実力があったんだね、知らなかったよ」といった肯定的な表現に聞こえるので、「あんなへまを~」と組み合わせるとおかしな感じになると思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
言われてみるまで、否定的・肯定的という観点は眼中にありませんでした。その意味で「目からうろこ」でした。
「見れたよ」では否定的なのか肯定的なのかが曖昧な感じになってしまうとのことですが、換言すればどのような場面でも使えるということでしょうね。
個人的には「見れた」は否定的な表現にも使っているような気がしますが、果たしてどうなのでしょうか。

お礼日時:2013/04/23 09:47

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