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敬語、上下関係について。
こんにちは。高校2年生男子です。僕は、「敬語」というのに疑問を持っています。何故、目上の人には「敬語」を使わなくてはいけないのでしょうか?確かに、年上の人は敬わなくてはいけないのは確かですが、何故「敬語」という言葉を使わなくてはならないのですか?敬語とは確かに、人を敬う時に使う言葉ですが、そこには必ず「壁」が存在します。上司部下の関係も、敬語をなくせば親近感が沸き、より仲を深める事により仕事が色々やりやすくなるかもしれません。年上の人を敬うのは大切ですが、自分の身分を低くしてまでまるで神を拝む様に接しなくてもいいじゃないかと思います。僕は敬語が大嫌いです。まるで自分が支配されているかの様に感じ、不愉快に思います。今日アルバイトの面接に行って来て、まず上司は部下に対し、お前と言ってきます。初対面で、言葉遣いに気をつけろって行ってくるくせに、その張本人が部下を名前で呼ばないのはどうかと思います。僕も実際に呼ばれ、実に不愉快でした。まるで、奴隷にされたかの様な気分です。僕はインターナショナルスクールに通っていて、そこでは上下関係は無く、先生達には普通にあだ名で呼び合ったり、ため口で喋ったり、イジったりイジられたりまるで友達の様な関係です。ですがいざ面接に行くと、社会では敬語を使えと言われます。何故、日本の会社の上司は『壁』を造ってまで自分を尊敬させたいのですか?アメリカでは上下関係は合っても、日本よりは厳しくありません。何故そこまでして上下関係にこだわるのか、不思議でたまりません。僕が先生に対してため口を使うのは、ただ友達と思っているだけではなく、心から尊敬できる大人だと思っているからです。僕は、こう思います。仕事上敬語を使うという事は、それは仕事のできる先輩として尊敬しているからです。優しく、皆を平等に見、心から尊敬できる大人ならまだいいでしょう。しかし、敬語に対する執着心が強い人は、ただ単純に敬われたい、『お前より高い地位にいるんだ、俺偉いだろ、神だ。尊敬しろ』と行ってるようにしか思えません。そういう人は、仕事ができる先輩としてはリスペクトはしているものの、人間としては、心からは尊敬できません。

A 回答 (13件中1~10件)

なぜか、というと宗教の話であったり学問の話であったり伝統的なものがありますので、一概にこれだというものはありません。



アメリカではお互いにフランクな関係であっても、ここは日本です。どちらが良いとかどちらが悪いとかいう話ではなく、違いはお互いに認めるべきでしょう。ご自身でその考えを貫きとおすことは良い事ですが、それなりにデメリットが多く存在することも理解してください。日本で暮らすのであれば日本的思考をすべきだし、海外で暮らすならその国なりの思考をすべきでしょう。

英語に比べると日本語は複雑(例えば一人称にしろ二人称にしろ英語よりも日本語の方がずっと多い)ですね。
英語にも丁寧な表現はありますよね?

>敬語に対する執着心が強い人は、ただ単純に敬われたい
人によりけりですが、「このままだと苦労するだろうから助言してあげよう」と思っている人もいますよ。
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逆に考えて御覧。



部活の後輩、近所のガキんちょに馬鹿にされた言葉を使われても何とも思わないんですか?
名前を呼び捨てにされたり、なれなれしくされたり。


敬語というのは、尊敬するから敬語ではないんですよ。
それだけあなたを大事に思ってます、という意志を伝えるための言葉です。

英語に敬語がないと思ってるんですか?
敬語と言う形は無いにしろ表現の仕方がタメと尊敬する相手とでまったく違います。

壁だと思うなら、まずあなたは高1の後輩に対し、俺を呼びしてくれ、馴れ馴れしく呼び捨ててくれ、
とでもいってはどうでしょうか?少なくとも高1の後輩から見てあなたは壁そのものです。
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学校はお金を払って行くところ


会社はお金をもらうところ
そのお金を効率よく生み出すために
組織があり上下関係は絶対です
アメリカの企業の方が厳しいですよ?
大袈裟に言えば軍隊もそうですよね?

とはいえ結局は日本の文化です
礼儀を重んじる人種なのです

逆にあなたのような考え方は日本の文化では無礼とされます

たとえ文化がおかしいと貴方が疑問を持たったとしても
我々はその中で生きてきました

世界中にそれぞれの文化があり
互いを尊重するならまだしも
否定するのは現代社会においてナンセンスです
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インターナショナルスクールはそういう校風なんだと思ってください。


それをそのまま社会に適応させたら、辛い思いをすると思います。

海外の人と会話をするために「英語」というスキルを身につけていると思いますが、
それと同じように、目上の人や上司などと会話をするのに「敬語」というスキルを身につけたほうが円滑に進みます。

「敬語」が壁を作るとおっしゃっていますが、実はまんざらそうでもありません。
上司、先輩、初対面の人など、最初からタメ口で話せば逆に壁は高くなるし溝ができます。
最初はみんな初対面です。
社会に出て初対面で壁のない人なんてまずいません。
その壁を無くすためのアイテムが「敬語」だと自分は考えます。


>仕事上敬語を使うという事は、それは仕事のできる先輩として尊敬しているからです。
これは正解だと思います。

>敬語に対する執着心が強い人は、ただ単純に敬われたい
ん~~まぁ確かに居ますw
これは自分の考えですが、敬語ってバカにもできるんですよねw
自分がバカにするときは、無表情で抑揚を付けず、感情を込めずに敬語で話します。
そういう変な上司や先輩に当たらなければ、敬語を使っても上司と部下という一線はあるものの、
人間関係としては壁を感じたことはないですよ。

>上司部下の関係も、敬語をなくせば親近感が沸き、より仲を深める事により仕事が色々やりやすくなるかもしれません。
なので、経験上これはありえません。

>自分の身分を低くしてまでまるで神を拝む様に接しなくてもいいじゃないかと思います。
就職した時に上司や先輩は現時点で自分よりスキルも経験値も上なのです。
決して対等じゃないんです。
自分の身分を低くしなきゃならないのではなく、立場は下なんですよ?


これから何年か先、あなたが日本の社会に出て就職しようとするならば嫌いだろうが敬語は必要です。
自分が嫌な思いをしないため、円滑に進めるための物として割り切るしか無いでしょう・・・


面接に行った所の面接官は常識が無いんだと思いますw
他の面接に行って、バイトして、痛い目にあって敬語の重要性を学んでください。
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それは別に敬語が嫌っていうか、そのバイト先の人が尊敬できないから敬語で話したくないっていうだけじゃないんですか?


ということは仕事でタメ口=あなたのことは尊敬できませんっていうアピールですから、相手も良い気持ちはしないでしょう。
自分のことを尊敬してくれない人に敬語で話しかけろって言うほうが乱暴だと思いますが…

敬語=神っていうのもどうかな…
じゃああなたは今回のご質問文で敬語を使っておられますが、回答者のことを神に等しい存在だと思っているということでしょうか。

日本での敬語文化に納得できないのであれば、アメリカの企業で働けばいいだけの話のような気がします。
その国ごとの文化ってありますから。

しかし私の友人もインターナショナルスクールに通っていましたが、普通に日本語で敬語使えてたけどなあ…
ここで質問するより同じ学校の友達と話し合った方が近い目線で討論できるんじゃないの?

敬語をなくせば壁が取れるとか、でも尊敬できる人には敬語で話したいとか、そういう割にはここでの質問文は敬語だし、何だか主張が一貫してなくてよくわかりませんでした。
改行してないから読みづらいし。
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日本は管理された社会なので公私を混同する事を嫌います。


趣味の話のときは 普通の友人としての話し方。仕事の話は敬語 と使い分けてスイッチを切り替えます。
ただし 上司が部下に対して乱暴な話し方をするのは 正しくはありません、
きちんとした人は 同僚や部下にもきちんと敬語で話します。
いままで 米州や欧州で何年か駐在で仕事をしてきましたが、上記の対応で問題が発生した事はありません。
また 敬語で業務を伝えるというのは単なるプロトコルです。
其処に個人的な尊敬があるかどうか? というのは公私の混同です。
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「年上の人を敬うのは大切ですが、」


あなたはどうやってその敬う気持ちを表現しているのですか。

「自分の身分を低くしてまでまるで神を拝む様に接しなくてもいいじゃないかと思います。僕は敬語が大嫌いです。まるで自分が支配されているかの様に感じ」
敬語を使うと、使われた方が“神”で使う方が“奴隷”というのはちょっと極端じゃないですか?

「僕はインターナショナルスクールに通っていて、そこでは上下関係は無く、先生達には普通にあだ名で呼び合ったり、ため口で喋ったり、イジったりイジられたりまるで友達の様な関係です。」
それはあなたが勝手にそう思っているだけで、インターナショナルスクールでも校長がいて一般教員がいて生徒がいて、上下関係はあるのです。ニックネームで呼んでいるからといって対等の関係ではないのです。教わる側が教えてもらう人に尊敬の念を持つのは当たり前のことではないでしょうか?

私も職場内ではボスや同僚のことをファーストネームやニックネームで呼びますが、フォーマルな場所ではラストネームに敬称を付けて呼びます。それは壁でもなんでもなく、立場が違うのですから。

「アメリカでは上下関係は合っても、日本よりは厳しくありません。」
それはアメリカの方が実利をより大事にするからです。部下がフレンドリーに話してこようと、ちゃんと自分のために働いて結果を出してくれたら問題ないのです。日本(アジア)の場合は、実利にそこまでこだわっていないから逆に目上の人に対する接し方が大事になってくるのです。

それだけのことです。

因みにあたなは小学生からタメ口でフレンドリーに話されたらWelcomeなわけですね。
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そう。



それでしたら、敬語を使わないと、決めればいいじゃないですか。

ローラみたいに、それでも許される人は、いますよ。

あなたなりの人生哲学があるなら、そうすればいいのです。

ぼく?

ぼくは、敬語を使いたいから、使っています。

いきなりタメ語を使われると、イヤです。

むかつきます。

論理ではなく、感情の問題です。

道徳論の問題ではなく、好き嫌いの問題です。
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あなたの考えにはいくつか間違っているところがあります。



まず、敬語は「尊敬する気持ち」を表すものではありません(「『敬』語」と呼ばれているのでそういう誤解はありがちなものでしょうが)。ある種の「上下」がある人間関係において(上司と部下とか、師匠と弟子とか、先輩と後輩とか、年上と年下とか、昔であれば親と子とか)、「下」の者が「あなたが上で自分は下だということをわきまえていますよ」ということを示すために敬語は使われます。もうひとつ、あまりよく知らない人や、友達のように親しくない人(見知らぬ人とか、他社の人とか)と話すときに、「私たちは友達として遠慮なく話ができるほどの仲ではないことをわきまえていますよ」ということを示すためにも敬語は使われます。
いずれにしても、敬語を使うことと相手を尊敬することは関係ありませんし、敬語を使えという人も「自分を尊敬しろ」と思っているわけではないのです。だから、敬語と尊敬の気持ちは分けて考えましょう。

次に、上下関係によって言葉を使い分ける習慣が日本にはあり、アメリカにはそれほどない(英語圏でも、例えば社員が上司と話すときと同僚と話すときとでは話し方に違いがあるでしょうが、日本のように明確な「敬語」はないでしょうね)ことについてですが、これは「文化の問題」と言ってしまえばそれまでのことで、様々な要因が考えられるのでしょうが今はそこには触れません。そしてどちらがj性にあうかというのは人によるでしょう。あなたのように敬語を鬱陶しく思う人もいれば気にしない人もいます。ただこれは繰り返しますが「文化の問題」なので、単純にどちらがいいと言えるものではありません。たとえば韓国語には、かしこまった丁寧な言い方と、少し親しい関係の人が使う言い方と、いわゆる「タメ口」の三段階の表現がありますが、日本人が「そんなのめんどくさそう」と思っても韓国の人にとってはそれが普通なのですし、他のいろいろな国にも私たちには理解しがたい不思議な習慣がたくさんあるのだと思います。そして文化というのはある意味「多数決」の世界なので、その国や文化圏の中で「たいていの人がそう思っている」「たいていの人がそうしている」ことが正しいこととされますから、韓国では韓国の、日本では日本の、アメリカではアメリカの多くの人が当然のこととしていることから外れた行いをすると「変だ」「間違っている」と思われてしまいます。だから、日本では敬語を使わない人が「礼儀を知らない」「変なやつだ」と思われてしまうのは仕方がないことで、それ自体が間違っているわけではありません。
もちろん、あなたがそれをいやだなと思ったり自分にはあわないなと思ったりすること自体は自由ですよ。
ただ、文化というのは敬語に限らず地域によってさまざまに異なっているのが当たり前なので、アメリカを基準にして日本の文化を「おかしい」と考えるのは間違っています。たとえば私にとっては、三単元のSとか、数えられる名詞について単数か複数かを常に明確にすることとか、英語を学んでいて不思議に思い、面倒に思うことはたくさんありますが、それを「英語は変だ」「間違っている」とは思いません。それだって文化の違いなのです。

それと、あなたはアルバイトの面接で「お前」と呼ばれたそうですが、それはその人が失礼な人だということで、敬語の問題ではありません。ちゃんとした人ならアルバイトの面接に来た高校生を「お前」などとは呼びません。名前を呼ぶか、「あなた」と呼ぶか、せいぜい「君」くらいでしょう。いやなやつに当たってしまい、不愉快な思いをしたのはお気の毒でしたが、それは敬語とは切り離して考えましょう。

でも実は私自身も学生時代、一学年でも上の人に敬語を使わなくてはならない習慣が大嫌いでした。生まれた年が一年違うからという理由で言葉を使い分ける必要はないだろう、とは今でも思っています。だから当時は学校の中では誰にでもタメ口で通しましたが、いやな顔をする人はたくさんいました。
それと、敬語は確かにある種の「壁」になることがあります。私が以前勤めていた小さな会社で、みんなで和気あいあいと話をしているときでも、上司に話を振るときには敬語、同僚に話すときはタメ口、というのはかなり面倒なものでした。そこで私が提案し、社内では敬語を廃止する、ということにしたのですが、これはよかったですよ。すごく楽になりました。ただこれは、少人数でみんな仲がよかったからできたことで、あまり簡単にできることではないでしょう。

長くなりましたが、私があなたに望むことは、敬語や文化に対するあなたのいくつかの考え違い(よくあるものではありますが)を正していただきたいということです。その上で、日本の社会で面倒を起こさずやっていくためにアルバイト先や就職先では敬語を使うか、「何があっても敬語は嫌いだから使わない、それで損をしてもかまわない」と考えるか、それはあなたの自由です。もちろん、日本のそういう文化が自分にはあわないから外国で頑張ろう、という手もあるでしょう。起業して「社内では敬語禁止」の会社を作る、というのもいいのではないでしょうか。
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なぜ敬語があるのか、という点でいえば「秩序維持のため」です。



日本または東アジア的な文化である敬語は東アジアの文化的特性や秩序維持の方法と密接に関わっています。

東アジアの特徴は、農耕民族である、ということです。日本だけでなく朝鮮民族も漢民族も農業を代々営むことで生活を成り立たせてきました。この際、何が問題になるのかというと「世代交代時の農地の継承」「農耕技術の会得」「集落などの集団としての社会的安定性」などです。

世代交代する際に、昔のような子沢山の場合、男子だけでも分割して農地を与えてしまうと、3代もすれば農地が生活できないほど小さくなってしまいます。それらを避けるためには長幼の序つまり兄弟の序列を厳密化し、兄の指導には従う、長兄は父の次に偉い(次の家長ですから)という意識を徹底する必要がありました。

農耕技術の会得は、年間を通して様々な技術があり、教える年配者の教えを忠実に実行することが求められます。特に河川を切り開くような土木工事などは技術のほかに危険も伴いますので、作業の序列や教育の序列をしっかりと担保する必要があります。

集落の集団という点についても、上記の二つの問題のほか、社会生活を営むのに必要な協力体制を維持するには、長老などを頂点とした自治組織が必要であり、ここで出された決定には従う必要がありましたので、その長老の権威をつける必要がありました。

これらの秩序を維持するために東アジアでは「礼節」を中心とした序列システムを導入したのです。

これが敬語の基礎ですし、だからこそ年長者は年幼者に対して尊大な態度をとることができ、年幼者は(いずれ年長者になって指導する立場になるまで)それに師事していく、ということになっているのです。

これは日本や韓国などでは社会を安定させるシステムとして機能してますので、個人的にいくら「嫌いだ」と言ってもなかなか変えることは難しいでしょう。中国も共産主義でかなり変化した部分もありますが、名詞に大人や先生など尊称をつけて敬意を表します。これを忘れると、社会的には評価されません。

ではアメリカなどのヨーロッパではどういうシステムなのか、ということも重要だと思います。
欧米ではキリスト教の影響で「個人間は平等」という意識があるため、年齢で秩序を維持するというシステムはとっていないといえます。

しかし、実際には秩序を維持するシステムがないと、安定した社会は求められませんから、なんらかのシステムはあるといえます。

欧米のシステム、それは命令できる立場の者と命令を聞く立場のものをはっきり分ける、というシステムだといえます。簡単に言えば階級社会、ということです。

たしかに、質問者様は現在インターナショナルスクールで友人も先輩後輩も、場合によっては教師でも仲良くフラットな関係性を維持しているように見えます。

しかし、社会に出て働くようになると、そこには「階級」が存在します。アメリカは自由で平等なように見えますが、実はかなりの階級社会です。

たとえば24のようなドラマを見ると「俺の席を狙っているな。取れるものならとって見ろ」というような会話が良く出てきます。また「俺がやれ、って言ったんだからすぐにやれ!」というような言葉もよくでてきます。
つまり命令権者の命令は絶対に従う、従わないなら即クビにされても文句は言えない、ということです。
日本では敬語さえちゃんと使えるなら、口答えしても意外とゆるされる、という文化があります。

また、アメリカなどではブルーカラーとホワイトカラーは食堂でさえ分けられており、飲むものも使うレストランや飲み屋も厳然と区別されています。そういう階級社会のきつさがあるからこそ、同じ階級の中ではフレンドリーであり、経営者同士でも掃除夫同士でも年齢を考慮せずにフレンドリーに話せるのです。ただし、雇い主である形絵者と従業員である掃除夫が同じ口調でフレンドリーに話すことはありえません。

こういうシステムなら、秩序は確かに保たれるでしょうが、そこで使われている言葉は敬語なんかよりもえげつない命令調であり、大学でMBAを取った若造がなんのてらいも無く、定年間近まで会社に尽くしてきた部下に、命令できるわけです。

質問者様は「年長者が偉そうに年若に指図する」といいますが、欧米のシステムでは若かろうが年配だろうが命令権者が勝ち組で、命令されるほうは負け組みです。つまり、支配者と被支配者なのです。そこには厳然とした階級差があるのです。

またそのような場合、英語でも敬語的表現があります。部下は敬語的な表現を上司に必ず使う必要があります。自分が年齢が上でも立場が下なら、絶対的に敬語が必要になりますし、特に英語では上司に向かって「してください」という言葉は越権行為ですのでタブーです。

インターナショナルスクールにいるなら、そういうビジネス環境の違いを聴いてみるといいでしょう。また、日本語にはmustにあたる言葉はありません。
日本には絶対的な階級はないので、mustという絶対命令が必要ないのです。

また、東日本大震災で世界が驚いたように災害時においても日本人は秩序を維持します。これは敬語を含めた秩序システムが機能しているからそこできます。残念ながらアメリカのハリケーン・カトリーナの際は、壊滅的になった都市では命令権者の監視が行き届かなくなるために、暴動や略奪がかぎりなく行われました。

アメリカだけでなく世界中でそういうことが起きますが、日本だけはおきにくいのです。そういう部分も敬語には含まれていますので、使わなくても結構ですから、日本と世界とよく比較して考えてみてください。
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