牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

今日、NHKラジオ第一放送「かんさい土曜ほっとタイム」に「ベルサイユのバラ」で有名な漫画家、池田理代子さんが出演していました。
この番組は大阪発というのを売りにしているのか、ホストの佐藤 誠さんも、相方の奥野 史子さんも大阪アクセントで話しながら番組を進めています。

今日のゲストの池田さんが大阪出身であるというので、佐藤さんは「じゃあ、今日は大阪弁で行きましょうよ」と誘いをかけた時、一応彼女はOKしたように私は受け取ったのですが、その後の実際は最初から最後まで100%の東京弁で受け答えしました。

そこで私は何故だろう?と考えたのですが、ひょっとして彼女はもう大阪アクセントで喋れなくなっているのではないか?大阪生まれで千葉育ち、高校も東京だから元々大阪弁というのを体質になるまで獲得したことがないのではないか?

いや、そうでもないかも知れない。私の姉は27才で大阪から神奈川に嫁入りしたけど、大阪弁を喋らず神奈川弁になっている。

評論家の竹村健一や平和運動家の小田実をご存知でしょうか?2人とも大阪出身ですが、東京のテレビに出ても実生活でも絶えず大阪アクセントで喋っていました。小田氏の場合は、方言というものに価値を置き、大阪弁で小説を書いたりしましたね。

斯く言う私も20才までは大阪に住んでいましたが、その後日本各地に住み、沖縄や北海道の人たちは標準語アクセントで喋っていますが、私は大阪アクセントを通しています。標準語に合わせようという気持ちが起こりません。仮に無理に喋ったりすると気持ちが悪くて、自分じゃないように感じるのです。

東京に移住した人が懸命に東京弁を喋ろうとするのは、東京に対する劣等感から来るのではないでしょうか? というのは、日本人は自分の氏名を英語で言う時、名前を先にして家名を後にする、つまり、英語に合わせようとしますが、中国人や韓国人は、日本人のように前後をひっくり返さないでそのままで言いますね。これは英米を上に見ている日本人の劣等感の成せるわざだと思っています。
中国人や韓国人は自分の姓名をひっくり返されたら「こんなの、俺じゃないよ」と言います。

で、最初に戻りますが、池田理代子さんのHPを見るとエレガントでバラの香りがします。東京弁というのは大阪人からすると上品でカッコ良過ぎるのです。とても自分などが喋る言葉ではないと感じるのです。多分これは私だけではないと思います。池田理代子さんは、あのベルサイユのバラを描いた人ですから、東京弁に上品さとエレガントを感じ、大阪弁を泥臭い下等な言葉として捨てたのではないでしょうか?

以上が私の分析ですが 「おい、お前間違っているよ」というところがありましたら指摘して下さい。
他府県から東京に移住された方、東京弁に対してどう向き合われましたか?何故、東京弁を喋る努力をされたのですか?
勿論、鹿児島の方がそのまま鹿児島弁を喋れば殆ど理解されないだろうと思いますが、鹿児島アクセントはそのままで、単語だけ標準のものに置き換えるということではダメなんでしょうか?

私はどこに住んでも「関西の方ですか?」と言われますが、関西訛りは一生死守したいですね。

例えば、他府県の人が富山に住んだら富山弁で喋れるように努力するんでしょうか?新潟に住んだら? 広島に住んだら? その土地の言葉をマスターしようとするのでしょうか?

しようとする人、しようとしない人、あなたはどちらですか?あなたの心理状態を教えて下さい。
長い質問文で済みませんでしたが、宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

こんにちは。

僕は青森出身で、学生時代に仙台にいただけですが、言葉の問題ではかなり苦労したので、少し書いてみます。

やはり、言葉というのは、「相手に通じるかどうか」、これに尽きると思います。僕も試しに何度か故郷の言葉をしゃべってみたりもしたのですが、相手の怪訝な顔(宇宙人でも見るかのような)を何度か見ているうちに、イヤになってあまりしゃべらなくなってしまいました。また、相手の言葉も覚えていかないと、なかなか情報が耳に入ってこないのです。(もちろん聞くのとしゃべるのとはまた別ですが)

関西の人はあまり言葉を直さずに受け入れられることが多いですよね。それはその人の個性もあると思いますが、関西弁がある程度普及していること、また標準語と同じぐらい、聞き取りやすく、話しやすい言葉である、ということも多分あると思いますよ。マイナーな方言を使うのは勇気もいりますし、それが許されるような個性や、話術のようなものも必要になると思います。(僕は直してしまうのが一番簡単だと思ったので、できるだけ直すようにしました)

あるとき、僕の顔を見て、言葉が通じにくい人だと思ったのか、非常にゆっくりと丁寧にしゃべってくれた女性(おばさん)がいました。お互いに顔や目を見ながら、ゆっくりと丁寧にしゃべっていけば、言葉は違えども、しっかりとした意思疎通が可能になるのだということを、そのとき初めて知りました。

ですから、質問者様の言われるように、おそらく方言のままでも、工夫すればちゃんとしたコミュニケーションを取ることは可能だと思います。分からない単語だけを置き換えるか、もしくは解説をくわえながら話せば良いのです。

以上です。ご参考になれば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
青森と仙台とでは、もう通じないのですか!驚きです。

関西と関東ではアクセントが丸で逆のことが多いですから、かなり意識努力しないと関東アクセントはものに出来ないのですよ。

<<お互いに顔や目を見ながら、ゆっくりと丁寧にしゃべっていけば、言葉は違えども、しっかりとした意思疎通が可能になるのだということを、そのとき初めて知りました。>>---本当にいい話を聞かせて戴きました。私にとっては初めて聞く事実です。

お礼日時:2013/06/23 07:15

日本では、どこ出身だろうと、ビジネスの場面では、標準語になるのがふつうのよう



なきがします。とくに、首都圏ではそうですね。

唯一の例外があるとすれば、関西人です。もともと首都が関西方面にあって文化の

中心だったからでしょう。

私個人は、育ての親との会話がほとんどなかったため、標準語で話す方が楽という

より、方言でははなせません。耳障りにおもえてつかれてしまうので。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
関西は例外なんですね。

お礼日時:2013/06/23 07:17

アクセントにしろ単語の違いにしろ、育ったところの言葉を使い続けることに良いも悪いもありません。



ただ、各地から多くの人が集まる場所で話をする場合に通じなかったり、誤解を生じやすくなり、他人に迷惑をかける、というだけのことです。
そのことについて自覚ができないというような無責任な方は生まれ育った地で暮らしたほうが自分も他人も幸福だと思います。

>東京に移住した人が懸命に東京弁を喋ろうとするのは、東京に対する劣等感から来るのではないでしょうか? 
単に利便性を優先している人の方が多いと思いますよ。通じやすい言葉をしゃべる。
自身の方言に固執しているひとにとっては「あいつらは劣等感から言葉を変えたんだ」ということにしたほうが気分はいいと思いますが、それは無駄に人の心を穿っているだけです。

それに、ある程度の年になって地方から上京したひとは東京弁ではなくて標準語を話そうとしていますよ。
このあたりの認識からしてかなりずれていると思います。

>富山に住んだら富山弁で喋れるように努力するんでしょうか?新潟に住んだら? 広島に住んだら?
その土地で生活がしやすいように土地の言葉は学ぶでしょうが、標準語をベースにする人がほとんどでしょうね。
標準語で喋って何を言っているのかわからない、というひとはそうそういませんからね。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
「実利上の利便性」ということですが、心理的な側面がある筈だと思ったので、逢えて心理学カテで質問しました。
心理学者宮城音弥氏が次のようなことを書いていました。「東北人の言葉だけが問題になりやすいのは、東北人が弱気に傾いており、劣等感を持ちやすいからだ」。
私は彼の本は沢山読んでいて、日本人を大規模に調査研究した彼の意見は無視出来ないのです。

「実利上の利便性」は確かにあるでしょうが、心理的な側面が全くないというのは疑問に思います。

補足日時:2013/06/23 07:07
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