準・究極の選択

将来幹細胞関係の研究をして働くために情報を集めている高校生です。ご存知のとおり、研究者という職は限られた優秀な方々にしか門が開かれていない、大変な難関です。しかしながら、平均年収はそれほど高くなく、任期のない安定した地位に至るまでに何人もの人々がその道から脱落していきます。このような背景から、たいていの人はロマンのためだけに学者になるものなのでしょうか?大学の助教授になれるほどの頭脳を持った人々でさえ、もし彼らが医者として働くことを決めていたらその何倍もの収入を得られたのではないかと思います。私が目指している分野の生物学者の平均年収は600から700万だそうです。もちろんのこと、大学の教授などの地位においては年収1000万もありえます。しかしながら、その地位に達しているころには、同様の努力で開業医になって倍の年収を稼ぐことも可能です。私の家系において、殆どの男子は医者だったため、生活水準も金銭感覚も彼らの感覚と同様なまま育ってきました。もし私が生物学者になることを果たしたら、結局はロマンのために生活水準を下げることになるのですよね?やはり学者というのは医者などの安定した地位を選ぶことを放棄してあえて自らのロマンのために突っ走るタイプの人たちなのでしょうか?

A 回答 (5件)

 


 人それぞれだし、生物学者といっても医者を長年やってきて基礎研究をやっている人もいれば様々です。

 まあ、色々考えるのは悪くないですから結局どのような道に進むのが正解とか簡単とかそういうのは一概に言えないのが人生ですよ。お医者さんだって誰もが楽して稼いでいるワケでもないですし、逆に田舎の方のすごく暇なことろの方が給料は多いそうですけど、それでもじゃあ毎日高齢者(差別的意味はない)の検診ばかりしていて無難な薬をあげるだけという人生なら1000万とか平均サラリーマンより”小”金持ちだったからといって満足行かなでしょうに。逆に、本当に最先端の治療を都会に学びに行こうと思えばそれなりに給料も安くてしかも倍率が高いでしょう。仮に、大手企業のサラリーマンになったところで、周りとの出世争いや企業のコマとして時にはサービス残業をしながら自分のやりたくないかもしれない仕事を日夜やり続ける必要があるでしょう。結局言いたいのは、「どんな世界でもそれなりに色々な面で充実感を満たすことを目標とすれば努力しなくてはいけない。」のです。楽して全てを手に入れられる道があったとしてもそれは「運」というコントロールが難しいものに頼る必要があったり、逆にお金持ちの家に生まれたならそれなりの精神的プレッシャーとかもあるでしょうし、開業医たって経営者ですから本来の医者というより金のために働いているという不満があるかもしれません。もちろん自分の能力相応でなければ、周りからの評価もかなり低いものになるでしょう。


あなたが高校生で判断しているのは多分ごく一部の限られた世界だけでしかないわけで、それは多分いい面をあれば悪い面もあるのです。一つの基準は「お金」ですが、それが第一目標だったら多分医者の世界にはいることはあまり得策ではないかもしれないという人だっています。一生遊んで暮らせるほど金があったとしても、多分一生あそんでくらして満足できるとおもっている人は世の中に少なく、それなりに何かをしたくなるのが人間の性です。歴史的な大富豪(とくにアメリカ)が、財団とかをつくったりして社会貢献しようとするのとか、お金もちがわざわざいうほど給料の高くない政治家になりたがるのはなぜか?それがわかるでしょうか?結局、「お金」がなければそれが重要な課題になりますが、お金はあくまで一つの基準でしかないのです。この場合年収700万と1000万を天秤にかけたとしてその差をどう思うか、そしてそもそも700万という値は決して低くないというのも一つの基準にはなり得るでしょう。


研究ってのは確かに辛いです。失敗と成功どちらが多いかといえば多分失敗の方が多いでしょう。上の立場になれば雑用や研究費をとることが目標になってしまっているような感さえあるとおもいます。ただ、それでも結局は利益で動く企業とは違った研究の魅力があるのです。どんなにデメリットが大きかろうが努力の割似合わないかもしれなかろうが、それがいいとおもうなら努力するのは当然でしょう。何でもかんでも損得、努力の割似合うか合わないかでものごとを考えるというのは多分世の中人生をたやすく考えすぎています。親の仕事を次ぐんだろうがコネ入社だろうが世の中そんなに簡単に自分だけ満足した形で成功できるなんてことはありえません。

お金に固執するとか、金銭感覚うんうんというのはいい面もあれば悪い面もあるのです。お金とか金銭感覚に高校生のころからそんなに固執して、仮に研究が楽しくてもそっちに行くだけの努力ができないのならばそれはある意味不幸だとも私は思います。私はあなたが言うほどお金に縛られてはいませんが、それでももっとお金に固執しないで、心から研究だけに没頭できる、楽しめる学者はもちろんいます。かれらは、給料が低いかもしれませんが私は彼らが優れているとかすごいというよりもある意味羨ましいとさえ思います。逆に言えば、高校生のあなたはまだそういう純粋な「夢」を語ってそしてかなえるための可能性は無限にあるのに、短絡的な損得とか、努力の割に合わないとか一部の評価による毒されたような意見だけに縛られてしまうのはなんだか残念です。楽に医学部に入れるような能力があるなら、もっと柔軟に将来を考えて自分の人生楽しんでほしいです。若いのに、固くそして狭く考えすぎです。金銭感覚だってその気になればやっていけたりもするもんですし、それができない恐怖ってのがある意味貧乏人にはない不幸なのかもしれないでしょう?

長文になって済みません。つまり質問の結論をのべますと「人によるし、後悔している人も沢山いるでしょう。だけど逆に無難な道を行った多くの会社員、臨床医からすれば自分の研究で楽しく無難に食っていけるなんて羨ましいし、自分の生活はつまらないなあ。という人も沢山いる。」というのが答えでしょうか。
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この回答へのお礼

返答に一年かかってしまいましたが結局研究者を目指すことにしました。アメリカに住んでるので医者になる道を選ぶことも今の時点では可能ですが、やはり自分の人生で研究以外に真にやるべきことはありませんでした。

お礼日時:2014/05/26 16:25

そらそーでしょ、金より価値があることを彼らは知っているから。

単純な話、生物に対する情熱が抜きん出ているんです。どの世界でもそうですが、脱落したってひとは、そもそもその道に対して何よりの情熱がなかったから、挫折をするんです。今の時点で不満や不安があるなら学ぶべき道を考えなおした方がいいでしょうね。でも、先程も申し上げたように、医学(医者)も金のために志したなら続かないでしょうね。。。
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 あなたの中では、既に結論が出ているような質問文ですね。
 誰かに「そのとおりだ」と言って欲しいような書き方です。あるいは「そんなことはない」と言って欲しいのかな。
 まあ、医者で生物学者になればいいです。そういうヒト、何人か知ってます。もちろん、階級とか役職はいろいろですけど。とある会社の研究部門の偉いヒトだったり、とある大学の准教授だったり、とある研究所の室長だったり。
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文面からは貴方がどうしたいのかが、よく分かりませんね。


研究者というものを非常に客観的に見ている気がします。
高校生じゃ仕方ないと思いますが。
大学で研究に触れてみないと分かりませんよね。

最も無難な選択は医者を目指すことです。
しかし開業医程度の資金では研究することは出来ません。
資金、人材が豊富な大学病院での勤務が良いかと思います。
医者をしながら研究が出来ます。
また、生物学者から医者への転向は非常に困難ですが、
医者から研究者への転向は容易です。
幾人か見てきましたけど、転向する理由は色々ですよね。
ロマンもあるし、使命感もあるし、医者が嫌になったってのもありました。

ただ、生物学系の研究者は大変ですよ。
やりたくてやってる人もいれば、仕方なくやっている人もいます。
本当に研究が好きな人以外にはオススメしません。
成功できれば、医者より良い生活は出来ると思います。
金も時間も好きなように使えるので。

ま、とりあえず医者になってから決めれば良いのでは。
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700万は悪くはないよ^^;;それを不満に思って


医者の方が稼げると金に魅力を感じるなら医者になればいいじゃん 
別に金が全てじゃないしロマンの為に生活水準を下げると考える時点で 
金をおったほうが向いてると思う

今からは比べようもないほどのエリートコースだった
東京帝大をやめた正岡子規や南方 熊楠などは
そのようなことは微塵も思わなかったと思うよ
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