この人頭いいなと思ったエピソード

チャールズ・ダーウィンはガラパゴス諸島へ行ったから進化論を打ち立てることが出来たのでしょうか。
もし他の人がダーウィンの代わりにガラパゴス諸島へ行ったら、その人物が進化論を思いついたでしょうか。
もしダーウィンがガラパゴス諸島へ行くことがなかったら、進化論は作らなかったのでしょうか。

A 回答 (4件)

ガラパゴス諸島的な場所でなくとも、カタツムリなどごく近い地域での生殖隔離が起きやすい生き物はヨーロッパにもいます。


カタツムリに限りませんが、そういう淘汰や進化を示唆する生き物の特性に気がつけばどこであろうとも進化論の着想を得ることは可能だったと思います。

ただ、ガラパゴス諸島のようにそれが分かりやすい地域のほうが可能性は高いでしょうね。
分子生物学のなかったその当時の生物学においては観察と考察こそが進化論の発見には必須でしたでしょうから。
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ロンドンでハトの品種改良を観察し、様々な品種の多様な形質に驚いた。

またマルサスの人口論を読み、限られた資源を争うのは人間だけでなく全ての生物に当てはまるのではないか、そして人間に優劣があるように、生物も全て平等ではなく、生存と繁殖に有利さの差があるのではないかと考えた。
以上引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6% …

本人はハトだと認識してたようです
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「進化論」は,ダーウィンが提唱した説ではありません。

広く当時の博物学者には信じられていたことです。例えばラマルクの「用不用説」などは有名です。「自然選択説」は,ウォーレスが唱えました。

ダーウィンは,ウォーレスの「自然選択説」を説明する例として,膨大なケースを挙げています。その一つが,ガラパゴス諸島の動物なのです。「ビーグル号航海記」で有名になっただけで,「自然選択説」にとって重要な場所でも動物でもありません。

この頃の状況は,「ダーウィンに消された男=ウォーレス」という成書に詳しく記載されています。是非一度お読み下さい。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB% …

ウォレス参照

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3% …

サロウェイは、ダーウィンがこの航海で得た物は「進化の証拠」ではなく、「科学的探求の方法」だったと述べている。

以上引用。他で見つけたかもしれない。現にウォレスは他の地域を探索して到達しているからガラパゴスに行ったことは分かりやすいアイコンではあるが、必須条件ではない
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この回答へのお礼

ウォレスも他の地域を探索して進化論に到達したのなら、ガラパゴス諸島的な場所への探索が必要条件だったのではないでしょうか。

お礼日時:2013/07/11 22:07

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