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東京的な若いあんちゃんは、ちげえよと言います。
ここ十年くらいで耳障りなくらい聞く事が多くなった気がしますが実際どうなのでしょうか。

ちげえねえ、は分かるのですが、ちげえよ、には抵抗感があります。ちがあよ、は分かります。
ひょっとすると「げ」が鼻濁音になっていないのが違和感の主因でしょうか。
どうも「チゲエヨ」だけは苦手です。うっせえよと言い返したくなります

東京言葉の変遷などについて、ご教授のほど宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

「ちがくねー」は100年前から北関東での言い回しとして、また「ちがくない」は、「これマーちゃんのとちがうよね」「ううん。

ちがくない。まーちゃんのの。」といった幼児語としてありました。
近ごろでは東京圏での若者言葉や新方言の形で、次のように概ね「違(ちが)う」の形容詞活用「違(ちげ)ー」への展開が終了しつつあるの感が伺えます。

  自動詞「ちがう」 形容詞活用「ちげー」
未然 ちがわ(ない)  ちがかろ(う)
連用 ちがい(ます)  ちがく(ない/て)
    ちがっ(た/て) ちがかっ(た)
終止 ちがう       ちげー(/ちがい)     
連体 ちがう       ちげー(/ちがい)
仮定 ちがえば     (ちげければ)
命令 ちがえ(よ)       ─

その用い方も、年齢・職業(学年)・性別・地域などでさまざまな位相で出現していますが、ご指摘の「ちげえよ/ちげーよ」に限っては「ぞんざいに投げかける男性語」(「みんなの日本語事典」明治書院)として、文化庁の「国語に関する世論調査」(平成12年度)でも男性の10代後半で44.4%、20代で25.4%、そして女性の10代後半で31.3%と、男性また10代後半世代に特化していました。
あるいは形容詞型終止形「ちげー」+相手への呼びかけの終助詞「よ」の表現から、本来の動詞「ちがう」の命令形「ちがえ(よ)」のトーンが混じった、いわば命令調交じりになった上での、相手をぞんざいにあつかった呼びかけとしての押しつけがましさが挟み込まれた傾向が感じとられるせいかも知れません。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
やはり新しい言葉でしたか。それがまず不明でした。それにして若い女性の3割には驚きです。ちがくないも変に思いますが可愛らしさのないちげえが女の子に流行るとは複雑です。
江戸っ子はちげぇよと言わないのでしょうか。江戸っ子なら何と言うのでしょう。どういう候補がありますか。
東京出身の作家が下町の江戸っ子風な口調の若い伝統職人に「ちげえよ」を使わせています。落語以上に誇張気味な江戸っ子風言葉の中に「ちげえよ」が混ざるのです。そこだけちげえよはおかしいのでないかと。
大人がちゃらちゃらした世の中は信用なりません。方々の人間の弛さですよね、新語が拡散する経路として。戦後日本人の特徴じゃないですかね、NHKが革新的だし。

補足日時:2013/07/16 13:12
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この回答へのお礼

なるほど。形容詞の活用になっているわけですか。動詞を嫌う流れがあるのですかね。私なんかも名詞を軸にするきらいがありますが。形容詞で意志疎通する癖からでしょうね。またコワ~イとかサム~イとかではないがチガ~イの感覚ですかね。それだと私とは合わないはずです。
活用表などまとめていただいて大変分かりやすかったです。やはり分析事を試みたいならば日本語であっても文法を蔑ろにできない道理に気づかされました。
ご教示ありがとうございます。

お礼日時:2013/07/17 16:41

#4です。



>ご教示を受けながら考えているうちに当初と違ってなんだかチゲーに江戸っ子っぽさを感じ始めて混乱中です。
 :
動詞の活用なのに形容詞のように活用させてしまう勘違いは、幼児期に「ちがくない」というケースがありますが、未発達での同レベルのせいか、わざと「言葉崩し」を好んでか「ちがくねー」がハイティーンの間では常用されているようです。
これはまた、北関東から流入の新方言なまりでの若者語「ちがかった」や「ちがうかった」からの変形ともみなせるでしょうか。
そのような新疑問形由来が、やがては同意強要系にまで拡大したことで、その対応としての同意やら否定系までの広範囲での断定強調形もまた、その形容詞的活用に合わせて終止形に念押しの終助詞を加えた、それが「ちげーよ」となっているのではないでしょうか。
普通でなら    新方言      江戸弁
「すごくない?」→「すごくねー?」 「すごかねえか?」
「ちがいない?」→「ちがくねー?」 「ちげわねえか?」
「すごいよ」  →「すげー!よ」   「すげえや」
「ちがうよ」  →「ちげー!よ」   「ちがわあ」

>私は「ー」に抵抗がありまして「え」にしましたが、それは抑揚を示したわけでもありません。
 :
今回については、一般的ではない不自然な活用であることから、あえて平仮名の長音「ー」を入れることでその未成熟な意味合いを持たせています。概ね俗語とされる場合は外来語同様にカタカナ表示で長音を用いるなどで分けている積りです。

>「マツゲネ」は江戸弁ならそういう感じだったという意味でしょうか。
 :
「まちがいない」→「まちげえねえ」→「まつげえねえ」→「まつげね」の流れをイメージしてみました。長音「え」が入ると実際の言い方より大分間延びした感じなので、あえて取ってみたものです。普通にゆっくり言えば6音節なのですが、それが「まっち(まつ)」+「げ」+「ね」の3音節に近づくといった塩梅です。
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この回答へのお礼

了解いたしました。そうだろうなとは思っておりましたがはっきりしないので確認させて頂きました。わざわざ説明するとなると手間ですよね。しかし食い違いのないようにして解決とするのが質問者の礼節だとご理解ください。ご親切に感謝いたします。
今回も皆さんのお陰で勉強になりました。
今後とも宜しくお願いします。

お礼日時:2013/07/22 00:11

#2です。



>江戸っ子はちげぇよと言わないのでしょうか。江戸っ子なら何と言うのでしょう。どういう候補がありますか。
 :
江戸後期の会話文について、たとえば式亭三馬「浮世風呂」では「大きに目算違(ちげへ)だ。」「腕節が違(ちが)はナ。」といった具合で、単独での言い切りは少なく、「違う」はもっぱら「違いない」の形容詞型の派生形で用いられていたようですが、それも「違(ちげ)ね」のように切れ味が強く、「ちげへなへ(違いない)」などと間が抜けた調子ではなかったようです。
もっぱら、切れのある助動詞「だ/でえ」などが使える連語の後部となった名詞形が好まれたようです。「勘違へでへ」「お門違へでへ」などと。それも「間違へなへ」などは、実際には「マツゲネ」といった感じでしょうか。

>形容詞の活用になっているわけですか。動詞を嫌う流れがあるのですかね。私なんかも名詞を軸にするきらいがありますが。
 :
題説構文は、いわゆるコピュラ文として名詞が軸になる形で論理性を、ひいては自己主張・自己責任が明白に表れやすい表現方法で、江戸詞にもそのように名詞形にして意味を明瞭にしていた傾向が、いわば啖呵ではないですが「切れがいい」印象を作っていたのでしょう。
その点、活用言の内とはいえ、用言の動詞を相言へと形容詞化する言い方は、いい意味では婉曲志向でしょうし、ありていにいえばコピュラとしての言辞責任回避の曖昧化表現と言えるかも知れません。

>それにして若い女性の3割には驚きです。
 :
筆記すれば同じ「ちげえよ」でしょうが、「ち<げー>よ」と「ゲー」にイントネーションの来る否定色を強めた言い回しと、一方で、そのまま平板な、あるいは相手への確認や関心喚起を表す終助詞「ヨ」にイントネーションが来る言い方との違いなどがこの統計では選別されていませんから、実際には高校時代に多用されたが、男子では社会人になった20代でも引き続き家庭や仲間内での俗語として残っているが、女子では殆ど消沈していくということかも知れません。
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この回答へのお礼

ご親切にありがとうございます。お陰様でいつも体系的な思考へ導いて頂いております。

初歩的な事を知らないのですが、「違いない」は名詞「違い」+形容詞「ない」でしょうか。
そういう複合された言葉の認識で使ってきませんでした。

(私には)形容詞「ない」は厄介ですね。

(日本語の安定性にとって)形容詞が曲者に思えてきました。ちげーが形容詞とは思いもしませんでしたし。


「マツゲネ」は江戸弁ならそういう感じだったという意味でしょうか。

「活用言」と「相言」は一般的な言葉でしょうか。どういう意味でしょうか。というのも私が想像する意味合いと一致しているのかと不安になります。


あんちゃんらのちげえがここまで学習材料になるとは思いもしませんでした。

余談ですが、「間の抜けた」に関して、速さがゆっくりではなく、抑揚をつけると、でしょうか。現代と比較してしまいますが昔の江戸っ子は当時早口だったとしても今のゆっくりぐらいだったのではないでしょうか。
私は「ー」に抵抗がありまして「え」にしましたが、それは抑揚を示したわけでもありません。「ー」が一本調子を表現する文字とすれば不気味な迫力はあると思いますが歌舞伎が「ー」か「え」か判定しかねますが抑揚を付けた方がキザというかカッコいいのではありませんかね。私見ですが、(ーの)伝法と(えの)粋の差がないでしょうか。それと江戸っ子と東京の下町っ子の差も想定されてという事でしょうか。
音との一般的対応のためにも表記として「ai」が「e:」になる江戸っ子の発音は「ない」が「ねー」にすると定義されるべきかもしれませんね。ただどうも現在の私には「ー」は面白くないのです。その服カッケーナでしょうか。ご教示を受けながら考えているうちに当初と違ってなんだかチゲーに江戸っ子っぽさを感じ始めて混乱中です。

お礼日時:2013/07/18 12:57

たとえば



たかいよ→たけえよ
くさいよ→くせえよ

ai から ee への変化で自然なものです。また、「たかくない・くさくない」は正統な否定形です。

つまり、different, not right に当たる「形容詞」が日本語にないため「たけえよ・たかくない」式な言い方がこのままではできない、動詞は「ちがう」があるので「ちがうよ・ちがわない」、崩れた言い方で「ちがーよ・ちがわん」とは言えますが、これを形容詞のように活用させて同じ口調 -eeyo, -kunai で言えるようにした結果が「ちげえよ・ちがくない」ではないかと思います。

名詞「ちがい」は「い」で終わりますが、同じく「い」で終わる形容詞のように終止形で「それはちがい」とは言いません。
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この回答へのお礼

なるほど。形容詞が求めらるわけですか。不勉強ですぐに忘れてしまうのですが動詞の形容詞化の議論がありますよね。まさにその変態途中を目の当たりにしているのですね。
であればこの話題は取り上げられるべき絶好の機会ではないでしょうか。
過去の死んだ試料ではなく、生きている日本語を分析ですね。
ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2013/07/17 16:51

これは音便の問題でしょう。



ちがいない → ちげぇねぇ
(chigainai)(chige-ne-)
aiの2重母音がe の短母音にされたので
便宜上聞き辛くないですね。

ちがうよ → ちげぇよ
(chigauyo)(chige-yo)
auがe-に変化するのは不自然です。
igが省略された「ちゃうよ」の方が自然です。

半島の言葉も英語も省略する音はあり、同じように発音しやすい音になってます。
ハングル;冷麺(リョングミョン → ノングミョン)
英語;have to (ハヴ トゥ → ハフ トゥ)

今回の疑問のように、合理性に欠ける面白さもない無教養的な
新語は作らないでほしいです!
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この回答へのお礼

ちゃうよは省略形だったのですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/07/17 16:21

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