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先日父が亡くなり、四十九日の法要までを済ませました。

父の生家は遠方で、もう誰も住んでおらず先祖は永代供養にしております。
そのため、つきあいのあるお寺がないので、葬儀屋の紹介のお寺さんに葬儀の時から来ていただいております。

ここの住職さんに疑問があります。

お弟子さんはそうでもないのですが、住職の方。

仏教やお祀りのことなど一切話さず、世間話ばかりします。
お経が終わると、目もあわさず天気の話を長々とします。

こちらは初めてのことばかりなので、お祀りの仕方や経典のこと等も聞きたいのです。
しかし、お坊さんのペースもあるから、一応天気の話を合わせ「そうですね、暑くて参りますねえ」などと応対し、頃合いを見計らって質問しようとしたその時。その息を遮るかのように次の話をし出します。

今度は何の話かというと
「お盆の時期は大変なんですよ。遠方の方もいるので、高速道路に沿って回りますね。大変なので、時間はこちらの都合に合わせてもらってるんですよ。」
と、お盆の自分のお参りがいかに大変かという話。

三七日、五七日まではそれでもまあいいか、と思っていましたが、
四十九日もそんな調子でした。

今までそういった大切な法要の時には、仏様の話などありがたいお話もしてくださるものと思っていたのに、拍子抜けでした。そういった説法が好きとかいうのではないですが、やはり亡くなった父を偲んで仏様の世界のことなど聞くと、少し心が洗われるような気もするものです。
それが無く、今度は駐車禁止がどうだとかいうこれまたどうでもいい話・・・
今まで親戚の法要などでは【お経+説法】がセットだと思っていただけにがっかりです。

結局、出されたお茶をいつも通り半分だけ飲んでさっさと帰ってしまいました。

付き合いのない新規の家だから、これからお布施などもあまり出さなさそうな貧乏そうな家だから、舐めてかかって適当にすまそうとしているでしょうか?

こういった感じの僧侶は、今は一般的なのかどうか知りたくて質問しました。こんなものだというならあきらめるしかありません。宜しくお願い致します。

A 回答 (7件)

いやいや、付き合いの続いているお寺でも


こういうのはありますよ。
ウチはお寺が遠方(車で2時間ほど)でお盆などは
僧侶の指定時間で受けていますし、
読経後はいわゆる世間話。しかも数分で帰ります。
普段は暇でもお盆は忙しいですからね。

以前聞いた話では「禅宗はもともと説法(説教?)はしない」とか
言うんですよね(笑)。
これは考えようですが、説教・説法なんて誰もが望むことでは
ないし、そういうのを望むのなら「話してほしい」と一言いって
みるのも手だと思いますよ。
ウチはそれを言って「宗派上、ない」と言われましたけど(笑)。

私は逆に説法なんてどうでもよくて、
用事が終わればさっさと帰ってほしいと思う方なんです。
お布施も最低限しかしませんし、相手も高額なお布施を
要求してきません(寺周辺が農村ということもあって)。

付き合いのあるお寺でもこちらから聞かないと教えてくれないことも
あるし、そういうのは臨機応変でこちから積極的に聞くものだと
思いますよ。
檀家もいろいろな人がいるように僧侶だっていろいろいます。
聞きたいことは、相手がどうであれズバっとお聞きになるのが
良いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
宗派にもよるんですね。この質問してから頭を冷やしているうちに、説法を望む人の方が最近は少ないから、しないのかも…と思うようになりました。つい、お寺さんも忙しそうなのでこちらも遠慮がちになってしまいますが、気になることはどんどん遠慮せずに聞いてみます。

お礼日時:2013/08/03 14:18

僧侶にも色んな人がいるって事ですね。

それはどの職業でも一緒だと思います。

生活の為にお経を読んでる人もいれば、生活なんて二の次で、仏法に生きてる僧侶もいるでしょう。

ところで、「檀家になる気はない。」とおっしゃってますね。

お寺の維持管理、法要、法座には結構費用がかかります。それらは私達檀家の懇志でまかなう訳です。
お経はあげて欲しいが檀家になる気はないなんて、都合のいいことを言う人が増えると、お寺は維持する事も法座を開く事も難しくなります。

つまり私達が教えを聞く場所が無くなる訳です。

色んなお寺の法座に出向いて、お話しを聞き、「この僧侶なら!」と思う人に檀家にしてもらうといいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。僧侶の方でしょうか。質問等が気に障られたようで申し訳ないです。「お経はあげて欲しいが檀家になる気はないなんて、都合のいいことを言う人」が私ということですね。

お寺の維持費が結構かかるので、檀家からの寄付がないとやっていけないという話は耳にします。それはそれでわかりますが、こちらもお布施をそれなりに包んでいるわけですよね?法要といっても、家に来ていただいて30分くらいお経を読んで帰られるだけですよ。

ここまでのご回答を読んで、確かに自分が都合よく「他と対等に扱ってもらいたい」気持ちだけで考えていたことはよくわかりました。

父は社会的に何かを成した人でもなく、寺との付き合いも無く、故郷との関係も無く、会社勤めをしたわけでもなく、孤独に赤貧のまま亡くなってしまいました。お布施をつつんでも、檀家でなければ満足に扱ってももらえない。「自業自得だ」と言われればそうなのですが、孤独な人間は死後も孤独なのかと、実感してしまったわけなのです。

宗教とは何なのでしょうか。地域コミュニティー?信仰?

信仰と切り離された葬式仏教を廉価で利用しようとするせこい人間として、もう少しいろいろ考えてみます。宗教には金がかかるのは、新興宗教だけではないようです。

お礼日時:2013/08/03 14:59

現代的なお葬式の問題点でもありますね。



仏教徒であるならば、菩提寺があるはずなんです。
分家してるならば、分家登録をするのです。
遠方であれば、永代供養をしている菩提寺に問い合わせて、同じ宗派のお寺を紹介してもらっても良かったですね。

葬儀屋に宗派も問わずに頼むから、適当なお寺の適当なお坊さんしかこないですよ。

亡くなるときにしっかり弔ってもらいたければ、菩提寺を持つべきですし、関係を大切にするべきです。

お金だ、ビジネスだ、という人もいますが、お坊さんも人間です。
生前付き合いのある檀家さんであれば、お葬式の打ち合わせもお寺さんを挟むでしょうし、もう少し気持ちが入ったのかもしれません。

葬儀屋とお寺の関係はビジネスそのものですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
葬儀の準備は突然なことで、そこまで頭が回りませんでした。宗派は同じ寺でお願いしております。ですが正直、現代の葬式仏教には疑問がありますので…。おっしゃるとおり「他の家と同じように大切にしてほしければ金と労力をだせ、さもなければあきらめろ」というのもだんだん身に染みてわかって参りました。

ですが、死者と弔う自分の気持ちとお寺がどうしても結びつかないのです。普通はこうするから、親戚等に恥ずかしくない程度に…という感じがぬぐえません。世間様、といっても、誰のためにやっているのかわからなくなるほどです。
ですので、現在は「丁寧な弔い」あきらめる方向でいくことにします。
わかりにくい文章ですみません。

お礼日時:2013/08/03 14:43

残念でしたね



伯母の葬儀の時は、お焼香が終わった時点で読経を途中でやめて
そそくさと帰って行かれましたよ
(僧侶は孫の同級生の父親だそうです)
あまりのことに驚いてしまい、以降の法事は他の方にお願いしました

義父の時はお焼香が終わっても、しっかりとお経をあげて下さり、
浄土への道や、それまでの故人の思い出話をして下さいました
(檀家なので、故人をよくご存知でしたし)

それぞれのお坊様の人徳と思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
僧侶も人間、人それぞれ…ということなのかもしれませんね。この質問をした時は批判的な感じでいましたが、失礼な対応があったわけでもないし、よく言えばドライで細かいところには厳しくない大らかな方のようなので、初盆は来ていただくことになりました。あまりにも気に入らない場合は変える場合もあるというのをお聞きして少し気分が楽になりました。

お礼日時:2013/08/03 14:25

親戚の法要などでは【お経+説法】がセットだと思っていた




そうですか、説法はオプション的なものだと思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
先ほどの回答者様は宗派によっては無い、とおっしゃっていたので、そうなのでしょう。勉強になりました。

お礼日時:2013/08/03 14:19

諦めるというより、割り切りかな。



菩提寺ですと、事あるごとにお布施をし、大事にしますし、
むこうもまぁ、檀家あっての経営ですから大事にしてくれます。

うちでいうなら、
枕経、お通夜、葬儀、おタイ夜、49日、初盆、一周忌、3回忌、7回忌、13回忌、・・・
と、休むことは許されませんが、
すべて行なってくれるのかな?という事もあってそういう態度なんじゃないですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうござます。
やはりお金なんですね。さすが伝統の檀家制度ですね。私は参加する予定はありませんが、これからもずっと続いていくといいですね。

お礼日時:2013/07/19 22:58

やはり檀家でないからそういう対応になったのではないでしょうか?



付き合いがない新規の家だからではなく

このあと付き合いなさそうだし適当にやっておくかって感じではないかと。

このあとも檀家さんとして付き合うことになるならこういう話にはならなかったと思います

ふつうは宗派の教えを基にいろいろな話をされるものだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
檀家になる予定はありません。結局ビジネスなんですね。
ボランティアではないですもんね。
宗派の教えを少しでも勉強して行ったのがアホくさいです。

お礼日時:2013/07/19 22:57

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