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戦争時、故意に自分の手足を撃ったり、軽犯罪を行った兵隊は負傷者として後方に移送されたり犯罪者として懲罰室行になったりして結果的に戦闘から逃げることはできたんでしょうか?実際、そういう兵隊や記録は多かったんでしょうか?

A 回答 (4件)

>結果的に戦闘から逃げることはできたんでしょうか?



取り合えず、海軍刑法では

  第五十三条 従軍ヲ免レ又ハ危険ナル勤務ヲ避クル目的ヲ以テ疾病ヲ作為シ、身体ヲ毀傷シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス

 一 敵前ナルトキハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役ニ処ス

    http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hm41-48.htm

 つまり、悪質なのは死刑です。

 入隊時の座学でちゃんと教わる事ですから、実行する人は稀でしょう…。

 なお、負傷等での後方輸送にも本来は、指揮官の許可が必要です。自分で勝手に怪我しました。後送の許可をください。何て言われて了承する指揮官なんて居るんでしょうか…。

 あと、軍隊にはお馬鹿な行為をやった奴に対して、その報いを受けさせる様な適切な任務何てのがちゃんと有りますし…。
 (地雷原の除去と安全の確認[要するに地雷原を自らの足で何度も歩き回る]とか…。←懲罰部隊の主要任務。←やたら危険な割には絶対に誰かが必ずやらねば成らない任務…。)

>そういう兵隊や記録は多かったんでしょうか?

 まあ、普通は上官はそんな事記録に残しません…。
   ←無能だと思われる。下手すればその上官が懲罰対象になりかねない…。
   (指揮官判断で処刑して戦死や病死、あるいは行方不明にカウントする。)
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第二次世界大戦中のソビエトなら、まちがいなく囚人兵として悲惨な最前線送りですね。

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敵前逃亡は死刑と決められていたわけではないようです。


例えば海軍刑法では戦時逃亡は懲役6か月以上禁固7年以下の
重罪ですが死刑ではない。

ただし、逃亡ではなく奔敵(敵に寝返る)行為は死刑です。
中国戦線では社会主義思想に染まった兵士が多数共産軍に
寝返っています。

そういう事例がありましたから前線での逃亡者は奔敵とみなされ
軍法会議で死刑にされることが多かったようですね。

さて自傷行為や軽犯罪を行うことで戦闘を忌避したものは
逃亡はしてはいませんから奔敵ではないので本来軍法会議によって
懲役か禁固刑を科されることになります。

とはいうものの実際の戦地ではどうだったかと言いますと、
軍法会議を開くには軍の法務官の出席だとか面倒な手続きが多いですし、
こういう兵士が生き残れるようでは戦死が約束されている他の兵士に
示しがつきません。

というわけで軍法会議にかけずに処刑された例が多いのです。

国会図書館には戦後軍法会議なしで処刑された兵士の資料が
あるそうですが辻褄合わせのため表向き戦病死などほかの理由に
されている場合が多くどのくらい正確な数字なのか疑問です。

また無理やり戦死させてしまうこともあったようです。
銃を持てるかどうかは無視して一番危険な任務につけるとか、
搭乗員の場合は因果を含めて特攻機に乗せてしまうといったことは
実際にあったと聞きます。

そのほうが故郷の親族が肩身の狭い思いを
しないで済むとの考えでしょうね。
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従軍を免れるための自傷行為(人差し指が多いですね。

)は銃殺刑が求刑される重罪です。
話としてはよくありますが多いかどうかは寡聞にしてわかりません。
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