プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は、経験上、結果を出すためには努力が有効だと思っていますが、努力しても結果に繋がらないこともあると思っています。
これに対して、正しい努力をすれば必ず結果は出る。結果が出ないのは、努力が足りないか、努力の仕方が間違っているからだと考える人がいます。お会いしたことはありませんが、特にネット上でこうした意見を多数見かけます。(教えてgooしかり)

私は、なぜこういう努力万能主義的な考え方があるのかわかりませんが、わかる方、もしよければ教えていただけませんか?

正しい努力をすれば必ず結果が出ると言う人は、自分の力の限界を思い知るまで努力したことがない人なのか?ただネット上で人を否定し、優越感を感じたいだけなのか?と思っています。

まあ努力不足の可能性は否定しませんが、努力のレベル、才能のレベル、環境や他人の状況等、いろいろなことがわからない限り軽々しく断定できないと思います。

オリンピックで金メダルをとれる人は世界に1人若しくは1チームですが、それ以外の全競技者は努力不足か、努力のやり方が間違っていると本気で思っているのでしょうか?謎です…

お返事は、なるべく冷静にいたします…。

A 回答 (16件中1~10件)

努力万能主義的な発言や回答をしたからといって、必ずしも本人が努力は必ず報われると考えているとは限りません。



「努力をすれば必ず報われる」と回答することが適切である、と考えたにすぎません。

仰るとおり、優越感や人を否定することに快感を感じている可能性もありますが、努力が報われないだろうなと感じながら努力すると十分な力が発揮できないという親切心からかもしれませんよ。

この回答への補足

回答いただいた皆様ありがとうございました。
視野が広がりました。また、面白かったです。

シンプルな回答をベストアンサーを選ばせていただきますが、他にも、似た主旨の回答をされている方がいらっしゃいますね。

補足日時:2013/09/17 19:04
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この回答へのお礼

「質問に対する回答」に焦点を絞ると、なるほど。と納得いたしました。
私はこれまで、そういう視点は持ち合わせていなかったと思います。これからは、そういう視点でも見てみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/04 20:01

>私は、なぜこういう努力万能主義的な考え方があるのかわかりませんが、わかる方、もしよければ教えていただけませんか?



正しい努力という言葉が極めて怪しい。そんなのわかる人はいない。
99回失敗してはじめて正しい努力につながるヒントがみつかるのでしょう。

必要なのは努力よりも執念や意欲でしょう。ビジョンを正しくもつことは大切ですが
正しい努力なんて言い出すやつは、頭悪い。
努力に、正しいも間違った努力もないです。無駄な努力非効率な努力はある。
正しい努力と言うのは日本語的に間違っていますね。

結果を出すには、環境や運も大きいです。

>努力のレベル、才能のレベル、環境や他人の状況等、いろいろなことがわからない限り軽々しく断定できないと思います。

仰る通りです。

じゃなぜ、努力万能主義があるのか・・・馬鹿な人が多いからでしょう。
自分が無しえないことを人にやらせようとするとき、そういう考え方に陥りがちです。

そもそも成果を出した人は、自分の努力のおかげだなどとは思いませんよ。
運がよかったとか周りに助けられたとか・・・そう思える人が本物じゃないですかね。

努力とは志を維持するための習慣にすぎません。

この回答への補足

お礼に補足。
努力は試行錯誤だと私も思います。そうこうしているうちに時間切れも有り得ますから、難しいですね。

補足日時:2013/09/13 12:49
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

努力万能主義者は馬鹿が多いというご意見ですね。
「自分が無しえないことを人にやらせようとするとき、そういう考え方に陥りがちです」→こんな人は迷惑ではなかろうか…言われた人がありがたがるならば良いのですが…

私が見てきた発言に使われたのが「正しい努力」という言葉だったかどうか私もよく覚えていませんが、「無駄な努力非効率な努力」以外の努力という意味だと思います。

私は、成功した人の多くが、自分の努力が実ったと発言していると思いますし、その人はその人で本物だと思います。これは種目によるのかもしれません。仕事なんかだと、努力よりも他人の協力や運が重要なことがあるから、自分の努力のおかげとはあまり言いませんね。

お礼日時:2013/09/13 08:08

#8です。



>挑戦中の人に対して書かれた意見と、挑戦を終えた人に対する意見とは分けて考えるべき
分けて考える必要はありません。
なぜなら挑戦を終えて完結をした人は、わざわざ他人に原因を問う必要がないからです。
(自己完結で十分。他人に原因を聞くのは完結を無駄に妨げるだけ。)
挑戦を終えても、再挑戦や他方面に活かしたいからこそ原因を他人に問うのです。

回答者も次につなげることができるように、アドバイスや回答をしたいものです。
(自己完結の手伝い=自分の信念を曲げて質問者に媚を売る ということをしたい人はあまりいないでしょう)
要は教訓の文字化のお手伝いです。

だいたいどんなことでも言えることですが、その質問者より才能もなく、環境も劣悪な中で成功している人はいます。
つまり大概の失敗は、自己努力の不足と結論付けることができるのです。
(オリンピック選手であれば、自分より才能があり、環境にも恵まれ、おまけにツイている人ですら選ばれないのですから、努力のせいのみにはされません)

その努力不足がテレビを見る時間を返上する努力か、睡眠時間を削る努力か、血のにじむ努力か、死ぬ思いをする努力かはケースによりますけどね。
すると挑戦の結果によっては「あなたが本気で成功しようと思ったのなら、次は死ぬほど努力をせにゃいかん」となるのです。
裏返せば(あなたがどれほどの努力をできるか知らないけど)その努力できないのであれば、再挑戦は止めちまえということです。

決して万能とは思っていませんよ。
しかし可能性のある限り努力は“至上”の解決策にはなりえますけどね。
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この回答へのお礼

再度回答いただきありがとうございます。
まず、今回の質問は、悩み相談に対する回答だけを対象としているのではありません。
実は、私が質問に踏み切ったきっかけは、挑戦を終えた人の記事に対するコメントから始まった議論の内容でした。

さて、「挑戦中の人」と「終えた人」との区別について、正しい努力をたくさんすることが有効なアドバイスとなりうるのは変わらないということですね。わかりました。
その他にもいろいろ分析していただいていますが、結局、どういう書き込みに対してどういう意見が出るかは各個人によるので、すみませんが、今の私は、やはり区別して考えた方が整理しやすいと思います。

「決して万能とは思っていませんよ。しかし可能性のある限り努力は“至上”の解決策にはなりえますけどね。」→異論はございません。

お礼日時:2013/09/08 06:03

>私の考えの範疇にないから質問したのですが…


考えの転換ができないのなら
努力して考えても理解できないわけで
まさに理解する努力をやめてしまえば?ってところなんですが

所詮他人の考えなんて仮説を複数立て自分が納得できるものを探すしかありません。

::::::::::::::::::::
そもそも、結果って何?って考えたことがあります?
オリンピックに目指した人間がオリンピック出られなくたって、
その競技に打ち込むことで満足を得たなら、満足を得たことが結果であり、
努力が報われたと考える人はいるでしょう。

十分努力した結果であれば、
当初の目的を果たせなくても、満足できる人間であれば、
常に努力は報われるんでしょうね。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます。
できれば、初回からこういう回答をいただきたかったです…。

一般的に結果とは客観的事実を意味しますが、質問文では、各個人の目標を達成することを意味して使っています。ここのところ、混乱を招く語句の使い方をしてしまったかなと思っています。

さて、「十分努力した結果であれば、当初の目的を果たせなくても、満足できる人間」について、そういう人なら、誰にでも「努力は必ず報われるから頑張れ!」って言えるのでしょうね。割と素敵な人だと思います。

しかし、そういう人が質問文のような発言や考え方をするのだろうか?という疑問は残りました。言ってることとやってることに矛盾が生じているように思えますので…。

お礼日時:2013/09/08 05:39

 努力が報いられるものもたくさんありますが、才能や直感に頼らざるを得ないものもあります。



 僕はいわゆるクリエイティブ系の業界にいますが、この業界も努力万能ではありません。

 また、仕事や結果に関係ない所でいえば、頑張っている人よりも、遊んでいる人の方が魅力的な場合が多々あります。

 努力万能主義的な考え方の人に出会ったことはありませんが、もしいるならば、努力が必ず報われる範囲内の狭い社会で生きている人たちのような気がします。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

「頑張っている人よりも、遊んでいる人の方が魅力的な場合が多々あります」→これはわかります。本文と関係ないですが、頑張り過ぎないことで、逆に人生豊かになるケースもあると思います。

努力万能主義の人に会ったことは私もないんです。ネットで意見を読むだけで。

そうですね。特異な狭い範囲で生きている人…なのかもしれませんね。

お礼日時:2013/09/08 05:20

 社会的に成功しなかった場合、アメリカでは「努力が足りなかったため」と考える人が多いようですが、インドでは「前世での行いが悪かったため」と考える人が多いのだそうです。

原因を何に求めるかによって、同じ事実に対しても解釈は違ってきます。インドでは現世の自分の責任ではないので無責任・楽天的になれます。それに対して、努力万能主義の自由の国アメリカでは、無限大の責任にふさぎ込む人が多くいます。
 上記の考察は、「原因は努力の多寡か?」という命題のメタレベルに相当します。「原因を努力の多寡に求めることは良いことか?メリットはあるのか?」という視点で考えている訳です。メタレベルを思いつかない人は、問題の枠組みを変えられません。原因分析において、工夫を含めた“努力”か、はたまた“才能”か、“運命”か、いずれかを選ばなければなりません。才能や運命には拡張性がありませんので、「それを言っちゃおしまい」です。だから努力を選ぶのです。“努力”のせいにすれば、いくらでも拡張性があると思っているのです。ま、努力万能幻想と言えなくもありません。
 福島の原発事故を『仕方がなかった』では済まされないのです。『XXが悪かった』としない限り、誰も納得しないのです。必ず反省しないと、収まりがつかないのです。工夫や、やり方を含めた広義の“努力”が足りなかった、と言えばみんな納得するのです。『いやぁ~、当時は考えもしなかったんです(仕方ないでしょ)』と言われて、納得できましょうや(反語表現)。そういう時は、『努力が足りなかった』と言えばいいのです。みんなは納得するでしょうが、責任は負わされるでしょう。
 ここまで言えばピンと来るでしょう。“努力”は“責任”と密接に結びついているのです。負けた選手が『自分の努力が足りなかったんです』と言えば、「あー、なんて責任感が強いんだ」と感嘆したりします。だから、努力なんです。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
いやー難しい言葉をご存じなんですね。調べながら考えましたよ…そして調べても難しいですね。

原因を努力に求めることで、より大きなメリットが得られることがあるのだと、鈍い頭で私なりに解釈いたしました…。

お礼日時:2013/09/07 07:08

努力万能主義ってそんなに一般的なんでしょうか。



人間には生まれつき持っている才能がありますがかなり個人差がありますよね。
両親から受け継いだDNAって兄弟ですら違います。
オリンピックの競技で金メダルを取る為にも、まずは生まれつきの才能、次に本人の努力と優秀な指導者、そして運、それらが上手く組み合わさらないと無理でしょう。
学業、スポーツ、芸術など全ての分野において本人の努力だけで全て成功するとは思えません。

本人を知らずにネット上で簡単に努力不足だなんて言うような人は思慮が浅いか単に自分を過大評価しているだけではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

一般的ではないでしょうが、そういう発言はたくさん見かけます。

オリンピック選手の金メダルのプロセスについて、全く同感です。

思慮の浅さや自分の過大評価というのもあるのもしれませんね。私の想像を絶するレベルですが…

お礼日時:2013/09/06 20:06

戦争で最前線に借り出され弾丸を浴びて死ぬ人と奇跡的に生き残った人。


胸にお守りを入れてそれに偶然弾が当たって助かったとかよくあるが、それは助かろうと努力をしたからだろうか?
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この回答へのお礼

そこまでいくと真性ですね…

お礼日時:2013/09/06 19:53

 昔、セント・ルイスって言う漫才コンビが言っていた「結果に現れない努力はしても 無駄!」ってのに賛成です。

結実する努力かどうかを見極めるのは“能力”でしょう。その“能力”がなければ太平洋横断に手漕ぎのボートで漕ぎ出すことになる。まぁ、それでも“過程”が大事だと言うなら「ご勝手に。」と合掌するしかありませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
結果に現れる努力とそうでない努力があるということですね。私もそうだと思います。

まあただ私は、稀にですが、結実しなかった努力が無駄にならないケースがあると思いますよ。姑息な無駄なら無駄で終わると思いますけどね。

お礼日時:2013/09/06 12:30

そうですか?


あまり努力万能主義という風潮は感じたことがありませんが…

かけっこが速くなりたい、テストで点数を取りたい、友達がたくさんほしいなど、自身の問題や、自身の限界内での質問であれば、“正しい努力をせい”となります。
が、オリンピックに出たい、不相応のいい大学に入りたい、造作がブスだけどモデルになりたいなど、他人との兼ね合いに関わることであれば、“努力以前の問題”という回答は結構見かけますよ。

「野球がうまくなりたい」は努力問題ですが、「プロ野球選手になりたい」は努力だけでは難しいです。
ただし努力をしないよりは可能性は増しますけどね。

さて質問者さまは
>努力のレベル、才能のレベル、環境や他人の状況等
と言われていますが、努力以外については回答のしようがないですよね。
何か問題があった時、環境などを変えられるくらいならみんな変えています。
質問者さまの言う“努力万能主義”の回答者は、そこが分かっているので、「現状を変えたいのなら、まず自分から変わってみては?」と答えているのです。

中には親、兄弟、友人知人と絶縁しろだの、別れろ、離婚しろだの、仕事辞めちまえ、無理だ諦めろなど言う人もいます。
そんなことしなくても良さそうだから、つまり努力次第で何とかなりそうだから「努力しろ」というのであって、もし努力の限界を迎えていると思われる状況なら、考え方を変えろ、付き合いを変えろ、環境を変えろ、才能の限界だから無理など、回答している人は多いですよ。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
風潮ではないと思いますが、書き込みは多いと思います。私が気になるからたくさん見つけるのか?(笑)

なるほど、確かに、結果に対して自分でコントロールできるのは努力の部分だけですもんね。努力しろという意外の回答は無意味ですね。

それでは、既に挑戦を終えて、思うように結果が出せなかった人に対して、努力不足だったんだろ、努力の仕方が間違っていたんだろ、という人はどう考えているのでしょうね?そこだけ疑問が残りました。

私は、質問前はごっちゃにして考えていましたが、回答者の皆様のお話を聞いているうちに、挑戦中の人に対して書かれた意見と、挑戦を終えた人に対する意見とは分けて考えるべきだったのかと思うようになりました。質問してよかったと思います。

お礼日時:2013/09/06 08:43

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