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終戦時、岡村寧次率いる中国の日本陸軍は100万人いましたから、無条件降伏してなければ、ソ連が対日参戦しても、
返り討ちにした可能性が高いのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

ソ連は北海道上陸を狙っていましたから、支那遣軍は無視し、大した影響を与えることはできないと思います。


ヘタをすれば東北以北は北日本共和国とか言われていたかもしれませんね(しかし、樺太は北日本領土となりそうなw)



衝突したらかなりの善戦が期待できますよね。なにしろ中国軍から鹵獲したアメリカ製の武器弾薬が有り余っていたそうですし…

終戦直後に、岡本の右腕の根本中将率いる5000名が、民間人4万を守りながら、ソ連軍(機甲部隊と外蒙騎兵隊の混成部隊、兵員四万二千名、戦車、装甲車合わせて約四百両、迫撃砲等約六百門)相手に長夏口で交戦、民間人に損害を出さずに本土まで帰還させてたり、白団とか、支那派遣軍は戦後の活躍ぶりを見ると、正面から戦ったら撃退できそうですもんね。

でも、スターリンは岡本が怖くて万里の長城を越えないはずですw
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 山本五十六がいてもアジア・太平洋戦争では敗北したでしょ。

岡村某とやらがいても所詮は敗残兵の寄せ集めでしかないのですよ。ロジスティックルートすら満足に確保もできなかった烏合の集団がヤルタの密約で戦後の枠組みを決めた超大国の一方に敵うはすがありますか?
 それほどに火力も組織力も劣っていたのです、最初から日本は。
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岡村大将率いる部隊って支那事変においてほとんど無傷だった世界最強の軍団ですよね。


支那軍も満州の方にせめてきたはいいけど、岡村大将だけは怖くて避けてましたからね。
マッカーサーも岡村大将の凄さを知ってて本土決戦になったら
岡村大将が日本に戻ってくるって考えていて、びびってたらしいです。
大臣の椅子なんていらないから部下を守る為の武器を送れって
危険な戦場の現場を第一に考えてたくらいの人ですからね。


義和団の乱でも白人の軍が次々に撃破されて、
暴徒化した支那人を止めたのは結局日本軍ですよね。
戦争って兵力や国力だけでは判断できなくて、実際に日清、日露ともに
負ける可能性が高い戦争を日本は勝ってますし、
逆に一番国力差のない日米戦では負けてますよね。
兵士一人ひとりの質と指揮官によると思ってます。

そういう意味でも岡村大将の部隊が簡単に負けることはないでしょう。
兵力を温存していて栄養状態も悪くなかったですからね。
例えば雑魚に戦車を10台与えても大した事ないですけど
百戦錬磨の軍人に戦車を1台でも与えたら凄い武力になります。
満州に何万人の兵士が残っていたというよりも
岡村大将がいたという事がポイントでしょうね。
世界の軍隊と大体同じ強さという考えをまず捨てる事が大事だと思います。だから何万の兵力だとか武器がどうとかいう、あてにならない比較を
してしまうのだと思います。
日本軍は別格だったし、その日本軍の大将の中の大将ですからね。
実際にこの方を止められるのは陛下しかおられなかったわけですから、
武力でどうにかなるとは思えませんね。

戦争は戦ってみないと何とも言えないと思うのですが
個人的には ソ連兵だけなら返り討ちにしてたと信じたいです。

連合軍の戦争目的は日本壊滅じゃないですから
原爆は落とされないでしょうね。
しかし本土決戦で予想以上に日本がしぶとければ、作戦変更で落とされる可能性もゼロではないと思います。
アメリカにもそれだけ危険な共産主義スパイが潜んでましたから、
何が起こるかわからない時代だったと思います。
学徒出陣までしてたし、降伏せずに戦う事には賛成できないですけどね。降伏して良かったと残念ながら思います。
ちなみに厳密には無条件ではないですけどね。
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敗色濃厚の中、主力を各地に引き抜かれた残留部隊の関東軍が、そもそも満州を守って戦ったりしませんよ。


どっちにしろ逃げるだけです。

それから日本はソ連軍の戦車と戦えるような大量の戦車装備は無いんです。
帝国陸軍は軽爆撃機による航空支援が大前提としていたのですが、その航空機もことごとく他の戦線にとられるは太平洋戦争にとられてエンジンの供給ができないはでガタガタです。

となると要害の地を固めて野砲を並べるしかないのですが、満州は南北に鉄路が走っているような土地柄で南下を防げるような地形でもありません。
朝鮮半島まで撤退して鴨緑江を固めるのが精いっぱいでしょう。

この回答への補足

返り討ちは無理だとしても、ソ連の日本上陸は難しかったのでは? ゲリラ戦を得意としてましたので。

補足日時:2013/10/23 20:24
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占守島の戦いで日本軍が善戦できたのは、ソ連軍は海上輸送能力が低く本領が発揮できない島しょの戦いだったからです。

満州方面では、沼地だから戦車中心の機甲部隊は移動できないだろうと日本軍が思っていた場所をものともせずに機甲部隊が突破してきています。

ソ連参戦に遡ること6年前のノモンハン事件で既にソ連軍は日本軍を大きく上回る兵站能力を見せつけて、陸軍は「仮想敵国をソ連に設定してきたが、正面きって戦っても勝てない」と大変に危機感を強めたほどです。

だいたいあのドイツ軍装甲部隊と正面からドツキ合いしたソ連軍の鉄のパワーを舐めちゃいかんよ。日本軍にはT-34/85にまともに対応できる戦車はなかったんですから。

この回答への補足

ノモハンはソ連にも相当な被害があり
スターリンも日本を恐れていたそうですよ。

補足日時:2013/10/23 20:27
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質問の意味不明



ソ連が参戦したから降伏を決意したんですよ
理由、解ってますか?
日本は小磯内閣以降、対米講和の道を模索してました
外務省の考えはソ連に周旋してもらうという物でした
それが参戦によって不可能になったからポツダム宣言を受け入れたんです

ソ連参戦後も降伏しないという道を選んだら日本もソ連もズタボロになり、米国も経済破綻します
あなたも私も生まれてこなかったかもしれません

この回答への補足

アメリカが原爆を落ちさなければ、ソ連が本格参戦して日本は朝鮮半島のように、
分断されていたとの意見がありますが、
中国には100万の日本陸軍がおり、その懸念はなかった。返り討ちはできなくても、
当分もちこたえ出来た? そのような疑問から質問しました。

補足日時:2013/10/23 12:22
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占守島の戦いでは善戦してますが・・・





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88% …

日本軍 23,000
戦車第11連隊(中戦車39両、軽戦車25両)

ソ連軍 8,363名

ソ連軍が上陸できる砂浜が狭い竹田浜しかなく、上陸地点が予想され狭い砂浜で効果的に攻撃する事ができた。
(以上引用)

対ソ連軍に対して、それなりの火力を保有していたんですが。

善戦とかいう話ではないが。
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民間人より先に退避した、輝かしい帝国陸軍ですからねぇ



さ~てどうなる事やら

本土決戦を叫んで我先に本土へ帰還したんでないの?
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 その時の陸軍の主力部隊はどこにいましたか?。

旧満州地域に「いたはず」の関東軍とやらは、とっくに朝鮮半島へと撤退していきましたよ、それも民間人を置き去りにした形で。
 仮に陸軍に100万の兵がいたとしても所詮は敗残兵の寄せ集めでしかありません。ソ連の圧倒的な火力と八路軍の前に無残な敗北を喫しただけです。

この回答への補足

無条件降伏を受け入れるから日本陸軍は引き上げ、降伏した日本の民間人を襲ったのはスターリンですよね?

補足日時:2013/10/23 12:16
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3% …

兵員1,577,725人、火砲26,137門(迫撃砲含む)、戦車・自走砲5,556両、航空機3,446機を装備(海軍の装備を考慮しない数)。

兵員約70万(詳細な個別師団・部隊の兵員数は不明)、火砲約1,000門(歩兵砲・山砲などすべてを含む)、戦車約200両、航空機約350機(うち戦闘機は65機。練習機なども含む)


火力で話にならない。

この回答への補足

占守島の戦いでは善戦してますが・・・

補足日時:2013/10/22 23:29
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