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高1男子です。僕は演劇部の部長を務めて(先輩は学校のきまりで今年の9月に引退しました)いるんですが、正直演技力がありません。アドリブできないです。僕の学校の傾向といいますか、脚本はギャグチックなものが多く、コミカルに動くとか笑いを取るとかはできません。

シリアスなキャラを演じているときは自然だったとか迫力があったとか言ってもらえるんですが・・・
四角く考えてしまうので一味足りないとギャグの役をすると必ず言われます。
部長になったのは成り行きで、他に適任者はいるように思うんですが・・・やっぱり部長らしく?完璧でないといけないと思うんです。

ぜひ演技力をつけるにはどうしたらよいか教えてください。ご回答よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

 >それは伺ったことがあります。

ただ僕は悲劇で泣いてしまうので・・・
そっかぁ、それほど真面目すぎてドップリと芝居に浸かってしまうのですね。ではローワン・アトキンソンというイギリスの俳優の作品『ミスター・ビーン』などを観てみると良いかもしれませんね。作品中でアトキンソン氏が演じるビーンという人物が「真面目でありすぎるから」その彼の行動が周囲にはドタバタコメディのように映ってしまうとの演出が随所に見えます。
 もし「悲劇で泣いてしまう」ならば、「貴方のその仕草」が客席から観たら滑稽にもなってしまう様な演目を選んでみたらピタリとはまるかもしれません。
 アトキンソン氏の「ビーン評」はよくもまあ世間にこんな風変わりな人物がいるもんだと感心してしまうとのことで、逆にそこまで計算し尽くしての芝居ともいえます。
 落語だって、「たったの一言」でそれまでの展開をズンバラリンとひっくり返してしまうほどの凄みを秘めているから客の笑いを醸し出すこともできる仕掛けになっています。
 シリアスな芝居が得意であるならば、少しだけ舞台上で演じる人物を貴方自身で観察してみるくらいの余裕を持ってみたら如何でしょう。「脚本(ほん)を読む」ことはそうした意味であると僕は理解しています。
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この回答へのお礼

何度もご回答いただき本当にありがとうございます。
アトキンソン氏のような演技ができるようにミスタービーンで勉強します。
自分の役を徹底して突き詰めていく努力もこれまで以上にしていきたいと思います。

お礼日時:2013/11/20 23:37

私も、演技を習っていますが監督に、言われることはやっぱり舞台俳優になりたいなら舞台を、映画俳優になりたいなら映画をたくさんみるといいようです。


あとは、私は、映画、ドラマの演技が専門なのですが、普段の1つ一つの感情や経験を大切にしています。
↑することで演技をするときに自然と出てくるんですよ。

アドリブができないというのは、舞台ではなにかハプニングが起きた時に困りますが、映像では撮り直すことができるし、監督さんがカットをかけてくれると思うので大丈夫だと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。舞台での演技のみで映像での活動はしてないんですよ。僕の学校は田舎ですから(宮崎在住です)。
本物の舞台を見ていきたいと思います。

お礼日時:2013/11/14 00:35

 あっ、そうだ。

演劇雑誌に『悲劇喜劇』というものがありますが、聞いたところでは「他人の悲劇は傍から見れば喜劇になる」との意味だそうです。でもこの話、本当かな?。
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この回答へのお礼

それは伺ったことがあります。ただ僕は悲劇で泣いてしまうので・・・

お礼日時:2013/11/15 00:38

 こんばんは。

部長という「肩書」と演劇での「役作り」って一緒のものと考えてもいいのかな?と僕は感じました。
 宮澤賢治の『どんぐりと山猫』の物語も似たような話題ですよね?。山のどんぐり達が「一番偉いどんぐりは誰か」とてんでに叫び続けて収拾も着かずに山猫裁判官が困り果て、一郎君に助言を求めるとのあのストーリーです。
 一郎君はそうした光景にこんな答を返します、「この中で一番バカで、滅茶苦茶で、まるでなっていないようなものが一番偉いと僕はお説教で聞いたんです」と。
 誰しも「一番バカだ」などと他人から言われたくもないでしょう。それを逆手にとった見事な名答です。花形スター総出演でもその芝居が面白いとは限りません。台詞が少なくとも、出番が少なくとも作品全体の中で「たったの一言、たったの一箇所の出番」だけで、見事に芝居を引き締め主役を引き立てることのできる脇役が文字どおりの名優ともいえるでしょう。
 チャップリンに『街の灯』という掌編がありますが、ご覧になったことはありますか?。作品の最後の最後に「貴方だったのね?」との台詞が出てくる作品で、このワンフレーズのために、チャップリンは延々と物語を語り観客を引っ張っていきます。でもここまでの紆余曲折がなければ、この作品が成り立つこともなければ、一言の台詞でクローズする意味もなくなってしまいます。
 もしコメディドラマであっても、洒落にはウィットや時にはブラックユーモアもなければコントラストのない平板な作品に堕してしまうと僕には思われます。
 馬鹿馬鹿しい笑いを求めるなら、それは計算し尽くされたプロットも必要で、その役を「常に冷静な」貴方が一手に引き受けていると考えてみたらどうでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
緻密な計算は舞台には欠かせないもの。その事を忘れて焦っていました。
上手にできるかわかりませんがアドバイスの通り精進したいと思います。

お礼日時:2013/11/20 23:31

こんばんは



考え方が固いのかな
自分を捨てきれていない感じがしますね

ギャグとかお笑いって自分ではない自分を演じるのが
一番必要なので一番難しいです
それで笑われるんですから、正直自分自身の温度差とも戦いわなければなりません

笑ってもらってこれで良し、ではないんですよね
ここで受けるはずというところが受けないこともある
計算して計算して柔軟に考えてアンテナを張りめぐらし
敏感に会場を感じながら仲間の動きを感じて
自分の動きを変えたり対応していけなければならない

これは難しいんですよ

あと別の方向を
ぶっ飛んでしまうことです
失笑、というレベルまでもっていく
そのうえでこっちに流れを持っていく
このパワーが必要です
これでちょっと恥ずかしいが感じられると
観客はシラーっと冷めますので
これもまた難しいですが
乗せてしまえばこっちのものです

まず頭をからっぽにすること
自分自身を捨てることです
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
これはやり過ぎだろうとか変とか、自分のイメージだけで芝居してしまうところが確かにあります。自分を捨てられるように努力してみます。

お礼日時:2013/11/11 17:00

コミカルなお芝居でも、誰かひとりはまじめにやるほうがいいですよ。


そのほうが周囲も引き立ちますし、見る側も安心して見られます。
ドリフでいえばいかりや長介です(笑)。
部長なのでしたらますます、周囲に流されずにしっかりしたお芝居をして全体をまとめるように意識するといいと思います。
逆に部長だからこそ、周囲と同じことをしなくていいんだと考えればいいのではないでしょうか。
自分を行かせるシリアスなお芝居をしながら、いかに周囲とバランスをとっていくかという方向で工夫したほうがいいと思います。

この回答への補足

コントのような台本でまさに長さんみたいな役を演じていたときなんですが、(文化祭の出し物)先輩からは真面目過ぎてつまらないと言われました。

文化祭のときは先輩が動きをつけてくださったので問題なかったんですが、その先輩は三年生なのでもうすぐ卒業。2年生の先輩には相談しづらい所もあって。

それでも自分の思ってる通りの演技をすればいいんですか?

補足日時:2013/11/10 13:33
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
部長だからというプレッシャーに負けないよう精進したいと思います。

お礼日時:2013/11/20 23:25

部長だからと言って、役者を目指す必要はないし、アドリブにこだわる必要もありません。




脚本家や監督と言った仕事も演劇では重要です。役者でも、橋田壽賀子みたいにアドリブを極度に嫌う脚本家もいますから、必須というわけではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
部長というポジションのプレッシャーに負けないよう頑張ります。
まずは自分にできることを探してみようと思います。

お礼日時:2013/11/10 13:42

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