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戦国時代に天下を取ったのって、秀吉と家康だけ?
信長は取ってないのですよね。

そもそもどうなったら天下を取ったことになるのでしょうか?

A 回答 (3件)

「天下取り」は、京に攻め上って御所に行き、


「おらっちが日本で一番強い武士ですので、どうか私に征夷大将軍の仕事をください」
と天皇にお願いし、天皇が
「うん、じゃあ今日からおらっちクンを征夷大将軍に任命して、日本国を任せるから、武士のみなさん指示に従ってね。公家のみなさん、そういうことでよろしく」
となるのが、天下を取った証です。

その点で信長は確かにぎりぎりいいところまで行った、事実上、天皇に「あんたが大将!」と認めさせたのですが、征夷大将軍の勅許(天皇の命令)をもらう前に本能寺の変で殺されました。
ただ、勅許をもらうのを急がなかったり、西洋のエンペラーの仕組みに興味をもっていたりしたようなので、天皇を廃して「自分が天皇の位に就こうとしたのではないか」という研究者も居ます。
これは天下取りではなくて、革命です。

で、信長は殺されてしまったので、次に天下取りを達成したのは秀吉です。この人は「征夷大将軍」ではなく、関白になり、関白職は「天皇の代行」なので、すべての武家に天皇への恭順を誓わせた上での関白であれば、事実上自分に恭順を誓わせたのと同じなので、征夷大将軍にならなかったのでしょう。

なぜ秀吉が将軍職に就かなかったのかは、なぞのままです。

さて、その秀吉も天寿をまっとし、鬼籍に入ると、跡目争いが勃発します。
このとき、台頭したのが徳川家康です。

関が原の戦いで勝ち、大坂の陣で勝利し、豊臣家を滅ぼした上で、天皇に征夷大将軍の勅許を願い出て許されます。

そして、江戸幕府を開いて将軍を15代も輩出するほど長い期間の天下を保持したのです。

普通の国、つまり大陸にある国であれば、今ある王国の隣は別の民族の王国であるのが普通です。
そうなると「戦争」は民族同士の争いであって、勝った民族と負けた民族に分かれます。
買った民族は支配者として君臨し、負けた民族は良くて被支配階級、悪いと奴隷、さらに悪いと民族そのものが皆殺しになるわけです。

ですから一般的な国では「天下取り」というのは征服であって、日本のように「誰かが許可してくれる」というものではありません。

日本は大和朝廷が国家統一し、鎌倉幕府が武家政権で、天皇から勅許をもらう、という方法を編み出してから、異民族との戦争をほとんどしていませんので「天下取り」ということができたのです。

これだと、たとえば徳川家康が日本の隅々まで「征服」して回る必要はなく、天皇に恭順を誓って「将軍」を受け入れれば、一応自分たちの家系は維持できますし、庶民も無駄な争いに巻き込まれなくて済みます。

だから、戦国時代という内乱で、無駄に戦争をし犠牲者を増やし怨念を増やさないいい方法だったのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/11 20:45

日本を統一したら、とったと言える。



要は国内に敵がいなくて、味方しかいない状態だね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/11 20:45

信長は将軍義昭を追い落として、地位を手にいれた段階で天下を取ったとも言える。


統一事業は秀吉ですね。

天下に地理的要因はなく観念的なものですから、誰がと言うと難しいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/11 20:45

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