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織田信長が天下統一後中国や朝鮮に攻め入るという戦略は正しいものだと思いますか?
一説によると、信長は天下統一後中国等に侵攻しようとし、それを阻止する光秀によって殺されたそうです。当時はスペイン等が日本に攻めてくる可能性もあったそうです。

A 回答 (5件)

既に回答が有るように、スペインとポルトガルが世界を2分して征服する中、日本を守る為の行動でした。



スペインは日本を攻めたいが軍事力の拮抗するため損害がスペイン軍の損害がデカイ、場合により敗退しスペインが滅ぶ懸念があった、そこで明?を脅し、日本と疲弊させてから攻める策を取った。

戦場は朝鮮半島が選ばれ、日本と明との戦いで日本は明を押し戻す、しかし、日本はそれ以上は進行せず。もともと防衛が目的であり下手に進行すると、明の後方の大部隊が居ることを知り、和議を申し入れた。
その最中に秀吉が死去し、和議が成立し軍は引き上げた。

この戦いでは朝鮮人は後方援護でしたが、引き上げる日本軍へ背後から攻撃をしたが、返り討ちになり戦死者が出たと明の記録にあるそうです。

日本と明の戦闘から戦力の強さから、スペインは明への進行も保留したそうです。

信長も秀吉も大陸への侵略と考えていたわけでなく、強国スペインからの侵略への対抗しただけの事。
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ありえないです。

織田信長は、本願寺だけで10年掛かっている。いつになったら天下統一などできるでしょうか。東北・関東・九州が全く手つかず。それでどうして中国や朝鮮のことなど考える道理があるか。ばかばかしいにもほどがある。
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経済を考えると


当時は農業が90%以上。経済(富)を考えれば新天地を支配するしかない。南蛮人が交易で大儲けしているのを信長は知っていた。儲けの源は中国。
信長は直接中国に攻め入って寧波を占領し利権を手に入れることを考えていた。秀吉もそれを知って中国を支配すると朝鮮に攻め入ったが体力気力知力が衰え失敗。秀吉の戦略は信長に及ばなかった。

信長は土くれの茶碗に一国の価値を与えた天才的経済センスがあった。秀吉は信長の劣化コピー。
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豊臣秀吉と同じ発想で有名な話です。


家臣に分け与える領土が無くなれば、目は朝鮮半島に向くのが自然です。
正しい云々の表現とは違う必然性だと思います。
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それは秀吉が日本統一後に朝鮮征伐を考えてあちこちに国書を送ったという


話あるでしょう。
日本国内に収めればともかく、海外まで足を延ばすというのは
限界察知ということでしょうね。
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