都道府県穴埋めゲーム

ビザンツ帝国はローマ教皇にセルジーク朝トルコに攻められ助けを求めたのに、なぜそのあと(第4次)十字軍はビザンツ帝国の中にラテン帝国をたてたのかがわかりません。ビザンツ帝国と十字軍は敵になったのですか。

A 回答 (2件)

 違います、もちろん敵ではないです。

彼らは最初にセルチュク朝と戦ってそこからもっと進んで、現在のバグダト辺りまで行きたかったです。その理由の一つはビザンツ帝国に助けることと、当時とても豊かだったメゾポタミアに入って、略奪をしようと思いました。しかし十字軍はイスタンブール、(当時コンスタンチノープル)に着いたらコンスタンチノープルも商売の町であってシルクロードにつないでいる町だったので、コンスタンチノープルを略奪しました。なぜなら、当時のヨーロッパはとても貧しかったから、彼等の一番の目的はセルチュク朝との戦いによって沢山のものを得ることでした。コンスタンチノープルで戦わなくても得れるので戦わずにコンスタンチノープルを略奪しました。当時ビザンツ帝国は自分を守る力も持ってなかったし、自分の手で町に入れた大変人数が多い十字軍に対して抵抗する事も出来なかったです。十字軍もそれを分かっていましたから、当時の政権を倒し、自分が欲しいラテン帝国を作りました。 それでコンスタンチノープルを略奪してそのまま帰りました。 説明が少しぐちゃぐちゃになりましたすみません、簡単に説明しました。
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この回答へのお礼

なんとなく、わかりました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/05/26 20:33

この理由は単純に言うと、ヴェネツィア商人の商業権とビザンツ帝国の内紛の為です。



世界史を習っているのなら、ご存知であると思いますが十字軍は第4回から陸路ではなく、海路の利用つまり船で目的地までの移動をするようになります。そして第4回十字軍の当初目的地はエルサレムではなくエジプトのスルタン政権でした。つまり、この十字軍の目的はそもそも聖地回復ではなくて、イスラム側の富を奪うことと領地獲得を狙った世俗的なものでした。この輸送を(料金を取って)担当したのがヴェネツィア共和国です。

もともと、ヴェネツィアは貿易立国を行い、ビザンツ帝国ばかりではなくイスラム圏とも貿易を行って利益を上げていましたので、十字軍については基本的に中立を守ろうとしていました。また、イスラム圏との貿易に際して商売敵とも言えるのはコンスタンティノープルの商人たちでした。

これが第4回十字軍では輸送担当とはいえ、はっきりイスラム側と敵対しなくてはならなくなりました。特にエジプトはヴェネツィアとの関係が親密であったので、このこと自体、ヴェネツィアを困惑させる物でありましたが、さらに集まった十字軍兵士と指揮官たちが輸送料を持っていなかったことが問題を引き起こします。ヴェネツィアはこの作戦を引き受けるにあたって多量の船を新造したのですがその費用を払って貰えなかったわけです。

ここにもう一つの事態が発生します。それはビザンツ帝国内の皇帝位争いであり、帝位を争ううちの一派が十字軍兵士に対して、輸送費を肩代わりするかわりに手を貸してくれないかという申し入れを行います。これを十字軍側が受け入れた結果、十字軍の目的地はエジプトではなくコンスタンティノープルに変わってそこを攻略してしまうわけです。第4回十字軍の提唱者であったインノケンティウス3世もコンスタンティノープル教会をカトリックの支配下におけるということでこの結果を認証してしまい、指揮官・兵士たちも今さらエジプトへ行けるかということで、土地を分配してラテン帝国を建国することになるのです。

最後にもう一度まとめると、第4回十字軍自体の目的がエルサレム奪回ではなかった。輸送を依頼されたヴェネツィアはイスラム側と問題を起こしたくなかった。ビザンツ帝国の内紛。これらによって、目的が逸れてコンスタンティノープルを陥落させたわけです。
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この回答へのお礼

ちょっと私には難しかったですけど、なんとか理解しました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/05/26 20:34

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