プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

やはり自分のことを優先しないと生き抜くことができないのでしょうか。

今まで他人の気持ちを最大限理解し、考慮し、礼節を忘れず、ときにはおちゃらけ、
比較的誰とでも円滑に人間関係を築いてきました。
幼いころからそうだったような気がします。

しかし最近、自分自身がストレスを抱えた際の脆弱性に悩みます。
自己犠牲の精神が美学と思っていた節もあり、昔から自分のことは二の次でした。
それは客観的には素晴らしいのかもしれませんが、そこに最近悩みを感じています。

心のコントロール術が身に付かず社会に出てしまい、押しつぶされそうなとき、うまく気晴らしが出来ません。
せっかくなれた公務員も5年ほどで退職してしまったのも、私情をはさんではいけない公務に対する葛藤がうまく払拭できなかったからでもあります。

こんな自分が情けなく、悔しいです。
今のままでは、また別の職業に就いたところで潰れてしまいそうです。
自分を後回しに、他者を優先し…ということを考えることはきれいごとなのでしょうか。

A 回答 (9件)

自然体であれということでしょうか。

雑念に振り回されず、自分の心があるべき形であること。問題解決には、時には感情に押しつぶされないためのスイッチを押さないといけないのでしょうね。
しかし、人情や心の豊かさがあるからこその人間、その切り替えは大変難しいです…。武道に携わり他人の心を尊ぶあまり、厳しい現代社会を生き抜く冷徹な思考が見えなくなってしまったのかもしれません…

と言う迷路に貴方は落ち込んだようです。難しく考え過ぎているようです。簡単にシンプルに考える事が出来ます。

ストレスの意味を書いてみます、ストレスとは貴方が受け取りたくないと『貴方が心の中で決めた事柄の事です。』ストレスを感じ難い人もいますのでその違いを書いてみます。

何かあった時にも、余りストレスと感じないで、苦にしない人もいますが、貴方との違いは「ほんの僅かでしかありません。」その僅かな違いに気が付いた時「今の、弱い自分が悔しいです。』と思っていた貴方の性格はそのままでいながら、逞しく生きる事が出来るようになります。

信長が桶狭間の戦いで勝利した理由を考えて下さい、自分よりも何倍もの大軍が押し寄せた時、冷静に『自分が打つべき現実の対応』をしっかりと考えていて、現実に手を打っています。

その時頭に湧き上がる『負けるかも知れない』的な予期不安を抱えて『頭の中での心配事にだけ対応する場合』現実の対応が出来なくなってしまいます。こうなった時がノイローゼの状態です、是が過剰になった時パニック状態になります。

心理学的に云うなら、神経症の不安障害が高じてしまって、パニック障害の症状が出ると言う意味です。こうなったなら信長は、負けて敗走したと思います。

貴方に必要な事は『頭の中の心配事や感情』に心を砕くのか?或は目の前の現実の対応に心を砕くのか?と言った二者択一の選択の時の対応の仕方に、間違いが生じやすい事です。

言い換えるなら『辛い現実にしっかり対応してゆこうとするのか?』或は『頭の中の心配事にしっかり対応して行こうとするのか?』と言う意味です。

もっとはっきりと書くなら、辛い現実を受け止めてしっかりと困難に耐えてその場で戦うか?或は現実逃避を頭の中の戦いとしてやる事で『現実から逃げ出す事』を選ぶのか?という事です。

自分が一つになって現実の対応をするのか、或は『心の中で湧き上がる感情や考えVS現実の対応』としての『自分自身の心を戦わせるのか』の違いに成って表れます。

現実から逃げ出したいとする時『全てがストレス』として目の前に立ちはだかります。現実をしっかりと受け止めてその場に踏みとどまる時ストレスそのものがなくなっています。

ストレスとは『頭の中で描く、自分が作り出した現実には無い壁』でしか在りません。自分が作った限界をストレスにして感じています。そう云った予期不安が『貴方を悩ませる元になっています。』

こう云った予期不安を解消する手立てを貴方が求めていると思い書いています。

貴方の悩みは人間或は人生そのものを達観出来る時成就する問題です。この意味は貴方は『人間が何故悩み苦しむのか?』という事を自ら身をもって答えを求めています。答えはあります、

先に答えを書いて置きますが、これは理屈でしかありません。その答えは貴方が出す以外ありませんと言う事も前置きとして書いて置きます。

貴方は答えを求めていますが、その答えは『貴方の悩みの中にこそ在ります。』その理由は『貴方は何故にそう云った疑問を”誰”から”何処”で感じているのですか?がヒントです。

答えは貴方自身からです。その答えが分かる事を『見性』と言っています。言葉を変えて云うなら『道に至る』です。ソクラテスが言った言葉『汝自身を知れ!』です。

道に至ると言う意味は、自身の”もうひとつの心”と出会う体験をそう表現しています。この動画がその体験を物語っていますので参考にして下さい。

URL:

そうなるための方法や、日々の心掛けを書いてみます。

簡単な方法です。貴方は予期不安と現実の対応の仕方を学ぶ事で良い方向に向かいます。その為に

『良い事があっても喜び過ぎないでいる事』

『悪い事があっても落ち込みすぎないでいる事』

この二点だけです。

動画に在るように、『心』に感情や考えが湧き上る原因は『湧き上がらせている者』が心の背後に存在しているからです。この背後に存在している者は『命の働き』として機能しています。動画の内容で説明するなら『右脳の機能』です。

この機能は、思春期頃、脳の機能分化が完成する時『無意識の底に沈んでしまって、意識する事が出来なくなります。』ですが心の背後で、多大な影響を及ぼしています。

その機能は『見ている者』として機能しています。その結果自分の裸を見られた場合には『恥ずかしい』と言う感情を生じさせています、もう一つ心が分かれた事で、人間の悩みや疑問も生じさせています。聖書はこのいきさつを『失楽園』として説明しています。

子供時代では生じなかった感情に予期不安があります、或は他人と比較する事で生じる優越感や劣等感です。或は自分は何者かや、人生とは何ぞや戸云った疑問や、生と死の対立を悩んだり、死の淵を眺めた時の居俯瞰などです。

こう云った感情や考えが湧き上がらない心境を天国と形容して、その天国に一番近い存在を『幼子』と聖書は教えています。仏教では『嬰児』です、どちらも同じ内容に、違う表現を使っています。

分かりやすい書き方をするなら『心が一つの者として機能しているからです。』湧き上がる考えや感情を『湧き上がらせている者と、感じている者が』一つになって機能している、と言う意味です。

心理的に表現するなら、不安や恐怖を『湧き上らせている機能と、感じている心が一つの心』として機能していると言う意味です。不安はそのまま不安だけ、恐怖はそのまま恐怖だけです。この心境が『あるがまま』と言う意味です。

心が二つになった時『不安や恐怖を感じている心』と『恐怖を生み出している機能』が、二つの者として仲違いをする事が在ります。是が予期不安となっているノイローゼの状態です。心から不安や恐怖を追い出そうとする試みです。

この追い出しを計る心が強く働く時『パニックになります』パニック障害が発症するという意味です。

ですのでノイローゼや不安障害や恐怖症から抜け出す秘訣が、『感じた事は感じたままにしておく事』つまり、『湧き上る不安や恐怖や考え』をそのままにして置く事です。

つまり湧き上がる雑念はそのままにしてほったらかしにして置く事です。

右脳の機能は動画にあるように『自我意識の思惑』とは関係無しに、目の前の現実の状態を、五感から入る情報を基にして、言葉以外の情報として脳梁(意識の根底)で伝えています。

この情報の伝達が『自我意識の思惑』とずれが生じる時、『自我意識が、受け取りをしないでいる事があります。』湧き上がる感情や考えを拒否する場合などです。

この場合では『右脳の機能として、受け取ってもらえない情報を再送する時には、拡大して送るシステムになっています。』是が不安症や恐怖症の発端になります。

元々受け取りを拒否した『沸きあがった感情や考え』が更に拡大されて送られていますので、更なる不安や恐怖感を感じています。

こう云った悪循環を解消する事無しに、不安感だけに焦点を当てて、不安の軽減を図る事が『薬の効能』です。人間の脳内の情報伝達を誤魔化して伝え難くする方法です。薬が対症療法的であって、根本治療にはならないとされる所以です。根治や完治と言う意味が分かっていないからです。

脳内の情報交換の結果が『雑念』と言う意味が、この動画によって分かると思います。予期不安として抱え込まない方法が、先に書いた湧き上がる雑念に対する対処方法です。

『こんな自分が情けなく、悔しいです。今のままでは、また別の職業に就いたところで潰れてしまいそうです。自分を後回しに、他者を優先し…ということを考えることはきれいごとなのでしょうか。』

と貴方は悩み
事を具体的に書いていますが 、本質的な悩みとは、現実を受容れるのか?頭の中の妄想を取るのかの選択に迫られています。

言い替えるなら、現実の対応と、頭の中の対立との選択です。織田信長の例で言うなら現実の打つべき手を考える事と、予期不安を膨らませるのか?の選択と言う意味です。

そのための方法が、『湧き上がる感情や考え』に振り回されない人間性の成長です。貴方が感じている不安とは『誰でもが感じている事柄』に過敏に反応して過剰に反応しているに過ぎないからです。

言い替えるなら『湧き上がる只の雑念に』過敏に過剰に反応しているだけと言う意味です。

そう云った只の雑念に振り回されなくなった時、どんなに困難に陥った時でも『泰然自若としていながら、ちゃんと打つべき手を冷静に判断出来る人』になっています。

そのための練習が
『良い事があっても喜び過ぎないでいる事』
『悪い事があっても落ち込みすぎないでいる事』

心が物事を捉える時『良いの悪いのと分別する心が大きくなってしまって、良い事のみを願う心と悪い事を嫌い過ぎる心が大きくなり過ぎて、予期不安のみを大きくする考え方になった事が、貴方の悩みの元を作っています。

天国を望む心を捨ている事、地獄に入る決心をする事で『予期不安はなくなります。』
人生は良い事ばかりでは構成されていない事を貴方は受け入れる事が出来ない事が貴方の悩みです。
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この回答へのお礼

tumaritou1さん
なんと二度目の回答ありがとうございます。
丁寧にお答えいただきじっくり読ませていただきました。

私はとても深く深く、自分の心に意識を向けすぎていたのかもしれません。

『良い事があっても喜び過ぎないでいる事』
『悪い事があっても落ち込みすぎないでいる事』

これにより考えるべきことではないことに囚われない自分を形成したいと思います。
素晴らしい回答ありがとうございました。強く生き抜いてみせます。

お礼日時:2014/03/23 21:00

世の中にはボランティア活動をしている人を立派だという人がいますが、彼らは自分の欲求を満たしているだけであり立派な人間ではありません。

あなたが他者を優先するのも「他人に好かれたい」「承認されたい」という欲求があるからです。人は皆、自分の都合で生きています。人間とはそういうものです。あなたは自分の幸せだけを考えて生きていけば良いのです。
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この回答へのお礼

caciowさん
回答ありがとうございます。

ボランティアの例えはとてもわかりやすい例えで、納得します。
自分が満足感を得たいから、他者に奉仕するんですよね。まあ、万人がそうではないかもしれませんが…
結局、その生きるうえでの満足感を探すことが人生の始まりであり、私はまだ人生が始まっていないんだなと実感しました。

>あなたは自分の幸せだけを考えて生きていけば良いのです。

そう言っていただけるのは救われます…本当に、見ず知らずの人間にありがとうございます。
どん底で誰かに手を差し伸べたくて質問をするので、こういった温かいレスポンスがあることで、また明日も生きることができるなと思うのです

お礼日時:2014/03/20 23:27

奉仕の精神や互譲の精神も


意識してのものであれば、
破綻を迎えてしまいますね。
これから、
自身を騙さない、且つ、
自身に嘘をつかない生き方を
つづけるようにすれば
負のエネルギーの蓄積などは
なくなるのではないでしょうか。
とまぁ以上では、
お望みの回答にならないでしょうか。

《きれいごと》というより、
質問者さまは無理していたんだと
思いますよ。衷心からの
オ・モ・テ・ナ・シ
とは乖離したところに
質問者さまの本心が存在するという
二重構造が齎した自然な崩壊なんでしょうね。
これから、自身に嘘をつかない生き方をすることで
質問者さまは救われるでしょう。

なお、《頑張る》は私の感覚では自傷行為なのですが
質問者さまの〈自分を後回し〉も質問者さまには
自傷行為だったのではないでしょうか。
これからは、何事も楽しみながら進めるようにしませんか。
自身を後回しにするとかしないとかではなしに、
クライアントの要望を叶えてあげることが品質管理の
基本なんだと思うことができれば、急速に
負の感情が消滅するでしょう。
[国民の負託に応える]という公務員の基本も
品質管理に通じる面があるような感じがしますけどね。
質問者さまは、基本的なところで、どこか
思い違いをしていていたのかもしれませんな。

Have a nice time!
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この回答へのお礼

obrigadissimoさん
回答ありがとうございます。

>《きれいごと》というより、質問者さまは無理していたんだと思いますよ。衷心からのオ・モ・テ・ナ・シとは乖離したところに~

この下りは心に響きましたし二重構造に苛まれていたことも事実で、少し驚いています。たしかに、「礼節を重んじる」という武道の世界で培った考え方が染みついており、「自分はこう思っても、社会通念上こうするべき。」というところにモヤモヤを感じていました。
作った自分と本当の自分との衝突を『葛藤』というのでしょうね。

もう…文章すべてが心に染みます。何事も楽しみながらやれたら、良いですね。残りの人生有意義になりそうですね。
質問をして良かったです。救われます。本当にありがとうございます。

お礼日時:2014/03/20 23:21

健康的に生活していれば、そんな些細な事は、どうでもよくなると思います。

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この回答へのお礼

Uyhtgrさん
回答ありがとうございます。

そうですね。健康には心身や他者との交流や社会参加など、様々な概念がありますよね。
たしかに今の状況は『健康』ではないですね。

お礼日時:2014/03/20 23:14

自分を大事にする事と、自分を守る事と、自分の心や気持ちを大事にすると言う意味をごちゃ混ぜにしている事が貴方の悩みを作っています。



自分を大事にすると言う意味は、他の人を優先にする事で成就されます。貴方が貴方自身より他の人を優先にしている事を他の人は知っていますので、、貴方は大事にされます。

自分を守る事は他の人を守ろうとする事で成就されます、何故なら誰の心も同じからです。

今の二点には但し書きが付いています。『見返りを求める事無しに』です。見返りを求める心が働く場合では、その逆に成ります。

自分の心や気持ちを大事にすると言う意味は『沸き上がる自分の感情や考え=雑念』に流されないと言う意味があります。人間の心には絶えず雑念が沸きあがっていますが、そう云った『一過性の雑念には意味がない場合が多い事』を見逃していると言う意味です。

自分の心をコントロールしようとする時『心を病む』と表現します。何故なら人間の心は”自分”の自由にはならないからです。この意味は『沸き上がる雑念』を相手にして、その、雑念に振り回されて、右往左往する事で、現実の問題が見えなくなっているからです。

表現を変えて云うなら、『沸き上がる感情や考え』に過剰に敏感に反応して対応しようとしているからです。こう云った過剰防衛する事で、自分が乱されているからです。

学ぶべき事は『自分の心をコントロールしないでいる事』です。この意味は『沸き上がる雑念に右往左往しないでいる事を意味するからです。』

困った事が起きた時『困った』と言う感情に押しつぶされないで『困った事柄の収拾に頭を使う冷静さを失わないためです。』

今の貴方の『心の使い方』は困ったと言う気持ちに押し流されてしまって、本当の意味での現実の対応を見逃してしまうかもしれない危険性を伴っているからです。

沸き上がる雑念は『構わないでほったらかしにしている時』自然消滅している事実を、今の貴方は忘れています。
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この回答へのお礼

tumaritou1さん
回答ありがとうございます。

>自分を大事にすると言う意味は、他の人を優先にする事で成就されます。

これは本当にそうですね。他の回答にもあったボランティアの例えに当てはめ、とても納得することが出来ました。

>学ぶべき事は『自分の心をコントロールしないでいる事』です。

自然体であれということでしょうか。雑念に振り回されず、自分の心があるべき形であること。問題解決には、時には感情に押しつぶされないためのスイッチを押さないといけないのでしょうね。
しかし、人情や心の豊かさがあるからこその人間、その切り替えは大変難しいです…。武道に携わり他人の心を尊ぶあまり、厳しい現代社会を生き抜く冷徹な思考が見えなくなってしまったのかもしれません…

お礼日時:2014/03/20 23:09

貴女は、なに考えてるの?きれいごとすぎます。

自分が第一でしょ。わたしも、メンタルヘルスとかしていますが、やっぱり自分に自信がなくなったときは、回答しません。じぶんを後回しにする考え方で良いのかじぶんのこころに聞いてみな。うんって言ったなら貴女は、偽善者のかたまりです。人間は、素直に生きなくちゃ。貴女が素直に生きることを否定する人がいたら、その人も素直に生きていないんだよ。今日は雨だね。
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この回答へのお礼

tsufujifujiさん
回答ありがとうございます。

そうですね。現実世界に生きているのに、私はどこか理想優位なのかもしれないですね。
自分を大切に…今気付くのは遅すぎるような気がしますが、それでも今気付いて良かったと思います。
素直に。自分が在りたいように。
雨、止みませんね。

お礼日時:2014/03/20 22:51

人間は、集団でしか生きられない動物です。


生きるために、時には他者を優先します。
つまり、他者を優先することは、自分のためなんです。
そこを自覚しとらんと、他者を優先する=他人に流される、になってしまいます。

ボランティアもそうです。
自己犠牲の精神ではないんです。
人のためにすることは、自分のためなんです。
そこをちゃんと理解出来てないと、ボランティアなんて続きませんし、する側とされる側の人間関係は、対等にはなりません。

他者を優先することは、自分を後回しにすることではない、ということです。
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この回答へのお礼

chibipochiさん
回答ありがとうございます。

ボランティアはそうですよね。他人に奉仕することで、『自分が満足する』行為をしているんですよね。
自分が満足すること=日々の生きている実感ですよね。

>他者を優先することは、自分を後回しにすることではない

たしかに…。おっしゃる通りだと思います。

お礼日時:2014/03/20 22:42

僕も貴方と少し似た悩みを持っています。

僕の場合は相手の方に「~してあげた」という気持ちが全く起きないので、相手に何かをしたことでストレスになることはありませんが、「誠実」という概念に強く縛られがちになるのです。

僕の場合は特に女性との交際にその傾向が強く出てしまいます。折角、女性からのアプローチを受けても、別れを思うと一歩前に足が出ません。僕が原因を起こして関係が破綻することから避けているとも言えるかもしれません。難しいです。

人間の心には「良心」というものが宿るのですが、これが心の中を監査監督して、感情的で自由な心を取り締まるんですね。その力が強まると、まるで心の中は刑務所のように抑圧されたものになってしまいます。「良心」という名の刑務官に心の中を監視され続けるのです。

良心に支配されると人を心から愛せなくなります。なぜなら、愛は安らぎや温もりと言ったものの中から生まれるものだからです。

誠実さや良心は言わば「自分ルール」です。「自分で決めたことに自分が従う」というものです。相手の方への気持ちよりも、自分の決めたルールの方が勝ってしまうということです。相手の方を愛さずに、自分だけを愛しているとも言えるでしょう。相手の方を愛することが出来ないというのは、このような理由からです。

一般に、誠実な男性を女性は求めますが、女性が本当に好きなのは不誠実な男性です。相手の気持ちを考えずに、一方的に自分の感情を押し付ける「押しの強さ」を女性は男性に求めていると感じています。女性は「情」のスイッチを入れてくれる男性が好きなのです。

実際の心の中は、刑務所も刑務官もありません。「心」という文字と同じように、何ものとも交わらない、森羅万象そのもののようです。良心も必要であるし、わがままやエゴも一つ屋根の下に住まう住人が如く、追い出すことの出来ない大切な自分自身の一部分です。

学びを続けることのその先に、素直な感情の表現が特に大切であると気が付く、今日この頃です。それは、言い方を変えれば、どんな自分も好きである勇気を持つことだと思います(^-^)
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この回答へのお礼

masasiroさん
回答ありがとうございます。

私も今回いくつか重なって苦しんでしまったのですが、出来事の一つに、異性との付き合いがあります。私もmasasiroさんに共感する部分があります。
誰かに迷惑をかけるかもしれないと思うと一歩踏み込めなかったり。

少し皮肉じみてしまいますが、ある意味“鈍感”な人が本当にうらやましいものです。繊細な人ほど悩んでしまうと考えています。それこそ良心の呵責があるがゆえに。
素直に、正直に、とった行動に自信をもてば良いのかもしれないですね。

お礼日時:2014/03/20 22:12

半ば自分の幸せを、半ば他人の幸せを。



まず自分の幸せがあって、それでいて他人の幸せを考えるでいいんですよ。

どっちかの比重だけが極端に大きいのではなく、自分のことが51%で他人のことが49%でいいじゃないですか。
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この回答へのお礼

shorinji36さん
回答ありがとうございます。

そうですね。自分が不幸せであってもいいなど、そんなことは人間である以上考えられません。
極端に考えず51:49の考え。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2014/03/20 21:50

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