激凹みから立ち直る方法

最近感謝することについて疑問が出てきました。ご意見を聞かせて下さい。
ご閲覧ありがとうございます。

最近私は23歳になりました。すると「感謝」について考えさせられることがあります。

例えば、感謝しようと思っていなくても勝手に感謝するようになってきました。
以前だと人になるべく感謝しようと心掛けていましたが、最近では上にも書いた通り自然に感謝できます。
それが自分が辛く余裕のない時は気が付くと自然に感謝しています。
意識して感謝するのと自然に感謝する気持ちが湧いてくるのは何が違うのでしょうか?
自分で考えましたが、わかりません。
皆さんはどう思われますか?

参考にさせていただきたいので教えて下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

感謝のつもりがないのに「ありがとう」と言ってしまう、のではなく


感謝の気持ちが自然と出てくるということですよね。
良いことだと思います。

私は中学の頃の同級生で、ささいなことでも「ありがとう」と言える人がいて
非常に感心し、それ以来、自分もなるべくありがとうを言うようにしてきました。

そのおかげか、もう40近くになる今、私も人に対する感謝は自然と出てきます。
もちろん今でもありがとうとはっきり言いますが、言えない状況でも感謝しちゃってますね。
良い習慣だと思っています。

人間は(特に日本人の考え方は)「形から入る」というのがありますよね。
私の場合、ホントに形から入ったようなものです。
人に何かをしてもらったら、些細なことでもなるべくありがとうと伝える。
そうすると、自然と感謝の気持ちも生まれるんですよね。
そういう習慣を得るきっかけを作ってくれた中学生の時の同級生には本当に感謝しています。
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感謝の数がまだ少ないかもしれません。


増えてくれば、上手に使いこなせるのではないでしょうか。
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「ありがとう」って何度も言ってれば条件反射で出てくるんじゃないですか?



ぼくはレストランでいつも「ありがとうございます」って言うことを習慣にしてました。
すると、言う気の起きないような人当たりの悪そうな相手でも
「ありがとう」が出てくるようになりました。

もちろん声色は全然違うけどね。
要は習慣です。
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会う人、出会うもの、 すべて我が師なり。






有名な吉川英治のことばです。にていますね。
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ひとつの考え方としてお受け取りください。



表面的な回答をすれば、両者はなんら変わらないと思います。

人に何かをしてもらった→これは感謝すべきだからお礼を言おう→ありがとう
人に何かをしてもらった→これは感謝すべきだからお礼を言おう→ありがとう
人に何かをしてもらった→これは感謝すべきだからお礼を言おう→ありがとう

・(意識して感謝することを繰り返し、次第に慣れてくる)

人に何かをしてもらった→(経験により省略)→ありがとう

人は慣れることができるので、感謝を意識するプロセスが途中から省かれ条件反射として感謝が出てきます。


その前提を踏まえ、もう少し深く回答してみましょうか。

感謝することに慣れているかどうかの違いはつまり、感謝の深さにも関わると思います。
慣れてしまうと、「人に何かをしてもらって当然」という認識が無意識にあらわれます。
「ありがとう」とは漢字で書くと「有難う」、つまり何か自分のためにやってくれることは当然ではなく珍しいことだ、という意味を含みます。

つまり慣れてくるに従い、感謝していなくても「ありがとう」と言うことができるのですが、これは自分の気持ちと自分の言葉が一致していない状態です。
ありがとうと言っていても感謝の気持ちが薄い、もしくは全く無い状態です。

また両者には目で見える決定的な違いがあって、本当に感謝をしていれば、その感謝が行動に現われるものです。

あなたが本当に感謝をしたければ、その場では無意識に有難うと言ったとしても、実際のところ何がありがたいのか、後からでもいいので振り返ることが大事ではないのかなと私は思います。

参考までに♪
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素晴らしいご質問で、しかも23歳の若さでこのような気持ちを持たれるというのは頭が下がります。



確かに、「感謝」には二通りあると思います。
例えば、誰かに何かをしてもらった時は、大抵の人は感謝の気持ちを抱きます。何故なら、そこには自分の利益が含まれているからです。
他にも、会社で事務の女性にコピーを撮ってもらった、奥さんが家事をしてくれている、などは、うっかりすれば感謝の気持ちを忘れてしまいます。それは、コピーを撮るのは仕事だから、家事も奥さんの役目だから、といった、やって当たり前だという気持ちがあれば、意識しなければ感謝の言葉を掛けられないということです。

今までの質問者様は、それらのような利益になること、当たり前だと思う気持ち、もっと言えば、見返りを求める気持ちがどこかにあったから、意識しなければ感謝が出来なかったのだと思います。そうとは言え、ほとんどの凡人はこちら側に入ると思いますが。笑

しかし、今は自然に感謝が出来るということは、恐らく何かのキッカケがあったのだと思いますが、相手に対して利益を求めない、当たり前だと思わない、見返りを求めない、という気持ちが育まれたので自然に感謝の気持ちが湧いてくるのだと思います。つまり、それだけ心が大きく成長したということです。

人として感謝の気持ちを持つということは、とても大事なことです。質問者様は23歳にしてこの気持ちに達している訳ですから、将来は素晴らしい人格者になれると思いますよ。
いつまでも今の感謝の気持ちを忘れないでくださいね。
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大人になっただけの事です



年齢では無く 心が成人した・・

それだけの事
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過剰なサービス精神の弊害ではないでしょうか。


例えば、店員さんは特定の状況に応じて感謝の言葉である「ありがとう」を述べます。
これは店員さんだけでなく、何かしら特定の状況に応じた「ありがとう」は他にも沢山あると思うのです。

そうして「特定の状況に応じた感謝の言葉を使用しているうちに自然と"ありがとう"を言ってしまう」のではないでしょうか。
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