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 2~3年前TVで”福助”が、七福神に入るのが
ダメになった、とかいうのをやってました。

 チャンネルを変えてて途中から見たので肝心なところが
分からないのです。

 ”福助”を検索しても、足袋の(株)福助か、中村福助が出て
肝心な情報が得られません。

 どなたかその辺の事情をご存じならお教え願います。

A 回答 (4件)

>2~3年前TVで”福助”が、七福神に入るのがダメになった、とかいうのをやってました。


TVは見ていませんが、おそらく江戸文学俗信辞典 石川一郎編 東京堂出版の記事に基づいた番組だったのではないのでしょうか。
要点は下記のサイトにあります

七福神大研究 - Nifty
homepage1.nifty.com/manekinekoclub/kenkyu/kaibo/7fuku/7fuku....

上記サイトの、七福は財七賢は徳に富、という項目の中で以下のように書かれています。
・・・新たに加えようとした福の神は、福助とお福さんです(『江戸の小さな神々』)。特に福助には大きな後押しがあったようです。
文化元年(1804)、景気回復にと吉原の桔梗屋の主人が福助人形をこしらえて売り出したのです。桔梗屋の主人は頭でっかちの人で大金持ちになれたので、自分をモデルにして売り出しました。桔梗屋の主人は何とか福助を七福神の仲間に加え、八福神にしようとしましたが失敗しました。しかし、福助人形は売れ、桔梗屋も繁盛したということです(『江戸文学俗信辞典』)・・・

ただし、福助に関してはは桔梗屋とは別な説もあります。
下記のサイトをご参照願います。

「叶 福助」 (江戸時代後期?)と大丸百貨店 - 東京の土人形 今戸焼 ...
imadoki.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/11/post_ff61.html

このサイトでは七福神への推挙云々は書かれていません。

以上総合的に見て、なんとか入れようとしてはみたものの、神仏の中に生臭い商売人上がりのオッサンではお寺さんのみならず上方の衆からも相手にされず自然消滅したというとこでしょう。
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この回答へのお礼

福助は実在の人物ではあるが、福の神
だったのですね。なんにしても商売繁盛は
結構なことです。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/04 19:54

No.3です。



補足をくださりありがとうございます。

>”鹿”ではなく、然しの”しか”で、
「私の庵は都の東南で、ここにしっかと住んでいるぞ、
私のことを世捨て人だとひとはいう」
という訳になるので、”み 鹿”=”弥勒”にはならないと
思うのです。どうでしょうか。

和歌の原文では漢字ではなくて「都のたつみ しかぞすむ」となっていましたっけ。
小説では百人一首かるたのナントカ版によれば「みやこのたつみ鹿ぞすむ」となっていて
そこから主人公が「み鹿・・・みろく」とひらめくという話になっています。

また、次のように説明しているサイトもありました。

【しかぞすむ】
  「しか(然)」は、「このように(心静かに)」の意味です。一
 説には、山奥なので「鹿」に掛けたとも言われます。
http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/008.h … より引用

また、高田祟史さんの説によれば
宇治は都(京)の辰巳の方角にはない、辰である。
したがって、「都のたつ」で切れる。そして「みしか(鹿)」とつながると言っています。

宇治には萬福寺という寺があって門を入ると天王殿に布袋像が安置されているのが見えます。
布袋は弥勒菩薩の化身とされているのですが
萬福寺では布袋は弥勒菩薩そのものとして祀っているそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%AC%E7%A6%8F% …

正月に七福神めぐりをする習慣がありますが、七福神めぐりは京都が発祥の地で、都七福神とよばれる7つの寺社が最古のものと考えらえられます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E4%B8%83% …

萬福寺は都七福の一です。
最古の七福神めぐりの寺で、布袋を祀っていることから考えても、
喜撰法師=布袋とする高田さんの説は支持できるものと考えます。
いかがですか?
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この回答へのお礼

 そうですね、しかぞすむは”鹿”と掛詞としていると
いう説もあるようなので、”みロク”と解釈するのも
ありみたいです。
 
 まあ百人一首は、落語の”千早振る”のように
とんでもない解釈もあり、と言って間違いとも
言いきれず、諸説あってもよいのではないでしょうか。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/06 22:35

私見です。



小説家の高田祟史さんは、「六歌仙の暗号」という小説の中で、七福神とは六歌仙+惟喬親王のことではないかとししておられます。

六歌仙とは喜撰法師(紀名虎または名虎の子の紀有常だといわれている。)・在原業平・遍照・文屋康秀・小野小町・大友黒主のことです。
平安時代の歌人で、惟喬親王と関係のあった人物だと考えられています。

惟喬親王は文徳天皇の長子で、母親は紀静子です。
文徳天皇には藤原明子という女性とのあいだに惟仁親王という子もありました。

当時藤原氏の勢力は絶大で、その結果、惟仁親王が即位して清和天皇となりました。
そして六歌仙は全員藤原氏と敵対関係にあった人物で、もともと怨霊だったと考えられる。

その怨霊を神に転じたのが七福神ではないかというのが高田さんの考えです。

怨霊を神として祀るのは日本ではよくあることでした。
詳しくは下記ウィキペディアを参考にしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A% …

喜撰法師→布袋
※喜撰法師は「わが庵は 都のたつ【み 鹿】ぞ住む 世にうぢ山と人というなり」という歌を詠んでいますが
鹿は「ろく」とも読み、【み 鹿】は「みろく」となる。
布袋は弥勒菩薩の化身といわれていた。

大友黒主→大黒天
※名前の中に「大」と「黒」がある。

小野小町→弁財天
※紅一点

文屋康秀→恵比須天
恵比須天は商売繁盛の神であるが、古今和歌集仮名序に「(文屋康秀は)、いはば商人のよき衣着たらむがごとし」と評されている。

寿老人と福禄寿はどちらも南極老人星の化身とされています。
そして在原業平と遍照はどちらも桓武天皇の孫です。
なので、寿老人と福禄寿は、在原業平と遍照のことであるとされています。

在原業平→寿老人
寿老人は呪老人の掛詞である。業平は和歌によって呪術をかけていた。

遍照→福禄寿
寿老人が業平なので、遍照は福禄寿である。

惟喬親王→毘沙門天
毘沙門天は北をつかさどる神だが、惟喬親王は玄武神社の御祭神でもある。
(玄武は北をつかさどる聖獣)

手元に高田さんの本がないので確認できないのですが、だいたいこんな感じだったと思います。
興味があれば高田祟史さんの「QED六歌仙の暗号」を読んでください。

福助はなぜ七福神に入れなかったか。
それは上記のように対応させるのがもっともぴったりくると考えられたためではないでしょうか?

この回答への補足

質問とは外れるのですが、百人一首 喜撰法師の
うたの訳は、”鹿”ではなく、然しの”しか”で、
「私の庵は都の東南で、ここにしっかと住んでいるぞ、
私のことを世捨て人だとひとはいう」
という訳になるので、”み 鹿”=”弥勒”にはならないと
思うのです。どうでしょうか。

 だから代わりに福助が、ではないですが。

補足日時:2014/05/05 21:38
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http://www.7key.jp/data/thought/shintou/shichifu …

↑ここに説明が・・・。


「福助人形」で検索すると良いですよ。
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この回答へのお礼

 う~む、福助は入り損ねたのですね、その
理由が知りたかった。

 回答ありがとうございました。
 

お礼日時:2014/05/04 19:30

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