準・究極の選択

現在私は高校1年生なのですが、その後の進路を決めるにあたって思うことがでてきました。
私は国語と社会が得意で特に歴史なんかは周りの人に比べて優れてると自分でも思います。
しかし、数学や化学、英語などは本当に苦手です。
そして将来は歴史などの能力を生かせる職業か宇宙関連の仕事に就きたいなとゆめみているのです。
そこでなのですが、あくまで夢ということが前提だとしても宇宙関連のような職業というと数学などの理系科目ができないとなれないと思います。
だからものすごい頑張るのですが、私が100やってできることをその道の才能がある人は1でできてしまうということが出てくるはずです。
そしてもし才能のある人が100やったとしたら到底才能のない人の及ぶところではないと思います。
そのような状況ならばそういう職業なれたとしてもその先に居場所はない気がします。
それならいっそ潔く自分の能力に向いた進路を取る方が適材適所でよいと思います。
そこで皆さんの意見を伺いたいのですが自分の能力の及ばないことをあえてやる意義とはなんですか?
補足として苦手を放置するということではないということだけは言っておきたいです。

A 回答 (18件中1~10件)

narutahirotyan様、こんにちは。




いつかは、ぶち当たるもの。
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>宇宙関連の仕事に就きたいなとゆめみているのです。



宇宙旅行を売るセールスマンになればよい。
数学は要らないよ。

売上金の足し算と、予算と実績の引き算ができればオーケー。
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 才能の差が出るのは、ある程度高いレベルに達した時です。


 今の段階では、単純な努力不足です。

 才能があるように見える人は、その努力が苦にならないだけで、何もしないで突然凄い才能が発揮されるワケではありません。

 質問者さまが、数学・科学・英語がダメという事は、おそらく勉強法がダメなんだと思いますので、家庭教師でも頼んでみては。

 金銭的に難しい場合は、YOUTUBEでタダの授業があります。
 Eテレで「テストの花道」とかもやってますし。。。

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 ちなみに、文系の大学に進むとすれば、英語はクリアしないといけないですし、社会に出ればPCは必須ですので、数学に強い方が有利な事は間違いないです。
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>いっそ潔く自分の能力に向いた進路を取る方が適材適所でよいと思います。



「いっそ潔く自分の能力に向いた進路を取る方が適材適所でよいと思います」それを実行できる人は、そういう才能がある人です。

大半の人は、頭ではわかっているけど続きません。

あなたにその才能があるなら、それは極めて合理的な判断です。でもその才能もないのに自分を器用だと勘違いしている人は、必ず「やっぱり他の道かな」と迷走し、結局何も手に職がつかず、バッドルーザーとなる可能性が高くなります。


>そこで皆さんの意見を伺いたいのですが自分の能力の及ばないことをあえてやる意義とはなんですか?

先に言った様な、「いっそ潔く自分の能力に向いた進路を取る方が適材適所でよいと思います」を実行できる才能がない人は、情熱の持てる分野でやったほうが、宇宙飛行士と言うウイナーにはなれなくても、自分なりに納得の行く失敗ができ、前向きに今後の人生を歩めるグッドルーザーになれる可能性が高くなるでしょう。


はじめは「宇宙に行けなきゃ意味がない」と思うでしょうが、そのうち宇宙関連の雑誌を出版している編集者とかなんらかしら関係していればいいかな。バイトでもいいじゃないか。とか、前向きに思えるようになります。

前者で失敗したら悲惨です。何のために夢をあきらめたのか・・・。そんな状態で前向きに生きれるかな・・・。失敗しないと自負するならお勧めします。その「器用な才能」があるなら。
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>自分の能力の及ばないことをあえてやる意義とはなんですか?



チャレンジ、のひとことにつきますね。目標を達成する、できるという意義です。
あなたには才能があり、自分を冷静に見つめる知性もあり、何よりも夢があります。しかし理数系に弱い気がする。
それは考えようによっては個性のひとつです。
宇宙関連の職業と一言で言っても必ずしも理数系に強いだけではだめです。多様な才能が求められているということです。あなたの文系で突出している個性が求められている部門は必ずあると思います。
すべてに突出した成績は出せなくても高校程度の数学や物理は並みの知能があればマスターできます。がんばってください。
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そりゃ一握りの頂点を目指すなら全ての業界でそうですよ。


才能が無ければいくら努力してもその域には達せないです。
これが極端な例といえばアスリートなどの世界でしょう。
才能の無い者がいくら努力しようとその高みには上がれないです。
あくまで才能がある連中が人一倍努力してやっと到達する極みです。
だけど世の中ここまでの能力を要求される仕事は少ないです。
勝負の世界じゃないから単純に勝った負けたの世界でも無いですし。

もちろん宇宙開発に携わるとなればそこそこは必要な世界だろうと思います。
凡人がいくら努力してもその職にはつける物では無いと思います。

でも最初から自分にどんな才能があるかはわからんのです。
それを知るためにも一応広くやってみなければならん…高校まではそういう段階でしょう。
そこで運良く自分の才能に気が付きあるいは誰かに見出され努力の末に開花させる物だろうと思います。
まずは自分の才能を知る為に必要な事なのでしょう。
もしその才能がすでに明確化してるなら別に中卒だっていい訳です。
海外ならいきなり大学進学なんて選択肢もあるわけですし…。

それともう一つ…才能が有ったからと言って成功は約束されているわけでは無いです。
才能なんて上には上がいます。
成功者は運も含めてあくまで一握りです。
もし、成功できなかった場合それだけに注力してしまえば他に道が無くなってしまいます。
これを潰しが効かないって言います。
何が必要になるかは現時点では解らないのです。
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高1ですか。


まぁあまり自分をきっちりと決めてしまわないで、なんでも興味と面白さで取り組んでください。
進路って、あるいは人生ってそれほど簡単にいろんなことが決まらないですね。
ちょいとした契機や要素、それらの変化で決まっていくのではないでしょうか。
77歳男性です。まぁおじいさんね。
私も小さい時からなんでもきっちりと決めていきたいと思って、得意なこと。興味のあること。そして意義がどうだのって考えていました。
でも12年前に退職したが大学図書館の仕事は46年していました。
でも私の分野かどうか未だに疑問です。労組の書記長として長く活発に活動しました。
これも私なのかと今も疑問です。
自分ってじゃぁ何の人間なのか?
今、宗教の勉強をしています。合っていると思うけど、少しも優秀ではない。
そんなもんですよ。
得意なものはないですね。人に担がれ、おだてられることくらいですね。
そうやって一方の味方になって戦争するくらい。まぁ軽はずみな人間ですね。
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一通りやっておけば、後で必要になった時は探しやすいですね。



たとえば選択制で数学を取らなかったので、関数をまったくやらなかったとします。
すると表計算のちょっとした関数式も、手出しで習いに行って
関数の基礎から勉強が必要になるように思います。

今の時代は、ちょっとしたことでも基礎学力が必要になることが多いと思います。

中学までの勉強で、生きてはいけますが
やりたいことが出来るようになるには
高卒程度の学力が必要なことは多いように思います。

必要に迫られた時、一度もやったことが無いもの
全く知らない知識は、探すだけでも苦労をします。


才能ですが、才能の中身は「好き」と「やり続けた」と「必要性」で
大半をしめていると思います。
多くは、やり続けたと必要性で上手くなります。

嫌々やっていると本来持っているものも開花しませんが
上達が早い人は、「好き」を見つけたり「好き」を作るのが上手い人です。

好きや嫌いは、元々自分で作り出せる(作り出す)ものですから
好きになる方法を、身につけるといいと思います。
創意工夫ですね。

勉強は、やりたいものをやる・なりたいものになるための
必要な基礎スキルが学校の勉強だと思います。

大人になった時には、その上にもっと高いスキルを積み上げていく。
そうしていくうちに、一端の社会人になります。
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なんか話題に出た時に、チンプンカンプンよりも、少しは齧ってれば ~~は苦手でよく判らないんですよ~ と、わずかには話題に入る隙が出来る。


運が良ければ解説して教えてくれたりもする。

浅く広く、って考え方ですね。とっかかりを持ってないとって。

そして、苦手だと思い込んでたのに、やってみたら出来た。(下手だけど)な事も発生したりします。

教わる事が、教える側に多くの気付きをもたらす事もありますし、相互理解のチャンスも得られる。


1で出来ちゃう人達は、1で出来ちゃう人達とだけで生活してれば問題ないだろうけど、現実はそうじゃない。クッション材や橋渡しをする人も必要になるんですよね…相互理解をしようとして頑張った方がこの損な役割をするのを見た事が(翻訳作業?)。
全く届かないと亀裂をつくらずせめて飛び石のこっち側の端っこをつくろう的に。
そうなると、苦手な事も学んでおくことは、飛び石の前まで足を運ぶことが可能にしておくって事なのかも。


それと、1で出来る人では気付いてない事を100かかる人が気付く事もあるかもね。
背の低い人の見てる世界と背が高い人の見てる世界違うように。
高い人はしゃがもうとすることもできるし、低い人は高い人の手を借りる事も出来るんだよね、本当は。気付かない人も多いけど。
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はじめまして。

才能のないことを自負するplapotaと申します。ここは人生相談カテゴリではありませんので、narutahirotyanさんの人生とは無関係に、一般論として、好き勝手な意見を述べます。

高校1年生ですか。今のうちに、たくさん迷つてゐれば、いいのではありませんか。もし企業に就職するとしたら、決断の連続です。

若いときに勉強できること、それが幸せです。私は、中学3年から高校3年まで病気をしてゐて、あまり勉強できませんでした。といふよりも、勉強しなくてすんで、楽しいだけでした。日本は、教育環境がととのつてゐて、とても恵まれてゐます。

さて、本題にうつります。一番大切なのは、基礎学力だとおもひます。むかしから、「読み、書き、そろばん」などと申します。こればかりは、好き嫌ひとか、才能とか、言つてゐる場合ではありません。narutahirotyanさんの文章と思考を拝見するかぎり、私の高校時代よりもはるかに基礎ができていらつしやいます。問題はそのあとですよね。

>>私が100やってできることをその道の才能がある人は1でできてしまう
>>ということが出てくるはずです。

高校1年で、現実をよくご存じです。社会にでても、私が1時間かけて毎日してゐた仕事を、ある新入りが、30分でできるやうなアイデアを出す、そんなことがあります。

広い世界をまんべんなく学ぶ、これが理想です。しかし人生には限りがあります。一芸に秀でる、といふ道を選択する人もゐます。自分で決めるしかありません。世の中、何がさいはひするか、わかりません。無駄と思つてゐても、どこかで役立つこともあります。あまり、決めつけないほうが、よろしいかと存じます。

>>自分の能力の及ばないことをあえてやる意義とはなんですか?

理由はたくさんあるでせう。そのうちのひとつを書きます。

ある問題に対して、一度逃げてしまふと、逃げる癖がついてしまひます。私はすでにさういふ人間になつてしまつてゐます。人生のなかでは、何度も障害が、たちはだかります。うまくできない、と感じることを、あへてやつてみる。逃げない姿勢を、若いときにつちかふことは、その後の人生において、支へになります。もし、逃げてしまつたときには、逃げなかつた若いときを思ひだすことができます。
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