プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

「ベルセルク」という漫画があります。非常に面白い作品でファンも多いと思います。
ただ、ファンのかたはご存知のとおり、原作の三浦建太郎氏のスランプ?により、長期休載中の状態にあります。
続きを待っている人は多いと思うのですが一向に進む気配がなく、その割に過去の部分のアニメ映画は作ってみたり、「脳細胞が老いる前にやっておかねばならないことがある!」などと意気込んで「ギガントマキア」という駄作を世に出したりしています。

Wikipediaを見ると、作者本人が「ベルセルク」に関して「生きているうちに描ききる自信がない」と弱音を吐いたりしているようです。
どんなに強いボクサーでも試合をしないとランキングを下がっていきいずれ忘れ去られるように、こんなに面白い漫画でも現状が続けばファンの情熱も冷めると思います。

過去に誰かのエッセイで読んだことがあるのですが、連載されていた小説が、どうしても続けられなくなったと言って途中から言い訳とお詫びを延々と書き連ねたというものがあるそうです。
最近では、私も三浦建太郎氏はそれと同じことを漫画でやったほうがいいのではないかという気がしています。連載ものと言いつつ実質は一話読み切りに近い葛飾の交番の話や福島の米を食べたら鼻血が出る話と違い「ベルセルク」は全体がひとつのストーリーです。
麦わら帽子をかぶった海賊の話やいじめられっ子ボクサーの話など、長い間続いているがゆえに最近では読んでいてもダレるだけという漫画もあります。出版社の都合として、もしかしたらウケないかもしれない新人漫画家の新作を載せるより、どこまでもついてくる固定ファンがいる作品を続けさせたほうが無難だということもあるとは聞きます。
「ベルセルク」がそういう運命をたどって欲しいと思うファンはいないでしょう。しかし、あれだけの壮大なストーリーに取ってつけたようなオチを付けて終わり、というのは、昔一部のネットユーザーの間でささやかれた「サザエさんの最終回」みたいでこれもまたイヤです。ちなみにその話によると、サザエさんの最終回は、海外旅行に行って飛行機が海に墜落、磯野家は全員元の海産物に戻る、という話だそうです。

私もファンですが、ファンの方に訊きたいと思います。「ベルセルク」が、面白いまま続いていくことが不可能なのだとしたら、どういう形での収束を望みますか?
私は下手に取り繕うよりは、描けませんでしたごめんなさいと正直に謝ったうえでその理由を述べてもらったほうがまだ納得できます。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

直接の回答じゃないけど。

。。

アルスラーン戦記って知っています?
これ、酷いことを作者はしましたよ。この作家さん、同じようなことをいくつもの作品でしています。今年出た続編が何年ぶりかを調べてみるといいかと。7年ぶりとか6年ぶりとかを繰り返しています。
私もベルセルクのファンではありますが、ファンの多さとほったらかした作品数でいうと、この人の方がずっとひどい。

ファウンデーション(銀河帝国の興亡)というSFがあります。名作であり、古典でもあります。
1953年に完結し、その状態で名作とされた作品を、1982年から続編を書き始め、完結前に作者が亡くなってしまいました。
で、他の作家が続きを書くという無茶をしました。

まあ、そういうことで。。。。
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この回答へのお礼

ストーリーをもった作品を書くとき、プロットを書くのは当然だと思うんですが、それすらせずに書いているんですかねえ?
漫画ではありませんが、ドストエフスキーの「悪霊」なんかは、出版社の都合で書いている途中にストーリーの変更を余儀なくされるという事態が連続し、結果として何とも難解な小説になってしまいました。
何年間も空白が空くような事態にならない程度のプロットは書いてから描き始めてほしいものです。

お礼日時:2014/11/05 17:15

プロとしてはどうかと思いますが、どうしようもないならソードマスターヤマト形式が良いような気はしますね。


何にせよ、終わらせて欲しいと思うところ。

ベルセルクの問題点は、敵勢力が強力過ぎることと、書き込み過剰なこと、世界を救いようが無いという点にあると思います。
まず主たる敵として、ゴッドハンドがありますが、これが多い。
しかも、一人一人が強烈です。
なので、これを相手にしないことが手っ取り早く終わる条件です。
全部片付けていると、あと二十巻くらいは必要な気がしますし。

ガッツの目的は、勝つにせよ負けるにせよグリフィスと決着を付けることだけなので、後のことは全て捨てる。
つまり、何かしらのイベントで一対一の状態になれば終わることが出来る、と。

ざざっと流して、最後だけきちっと書いて終われば良いのではないかなと思います。
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この回答へのお礼

一見、ガッツの目的はグリフィス=フェムトと決着をつけることのように見えますが、作者の本当に書きたいところは別にあるんじゃないかと思うんです。
ご存知のとおり、ガッツとキャスカが結ばれた時、ふたりは初めて同士でした。これ、考えたら少し不自然だと思うんです。ガッツはガンビーノの元で育ち、傭兵として得た金で女を買うという行為があることは知っていました。ガッツに健康な男児としての欲求があるのなら、ティーンエイジャーになったくらいの段階で女の体に興味を持ってないとおかしい(イシドロはそう描かれています)。強い傭兵なのだから、ガッツには女を買う機会なんていくらでもあったでしょう。
一方のキャスカ。完全に「男」として鷹の団に加わっていますが、男ばかりの戦場で「女」である、これはとても強い武器です。体をエサに敵の大将を籠絡することくらいあっても不思議ではない。戦に対して非情なグリフィスなら、それを命じてもおかしくないんです。ガッツの体を暖める役目をキャスカに命じたりしていますし、グリフィスもキャスカに「女」としての役割があることはわかっているはず。そして性を武器に剣を交えずに戦に勝てることは、グリフィス自身男色家に体を売っているわけでよくわかっている。
にも関わらず、荒くれ者に囲まれながらガッツとキャスカは性的には「清潔」なままで初めてを迎えています。
つまり三浦建太郎氏は、綺麗な体のままで綺麗な体の女の人と出会って結ばれて幸せになりたいという、美しいけど無垢にすぎる夢を漫画に描きたかったのではないかと。
であるならば、三浦氏の本当の目的は「ガッツとキャスカが幸せになるシーン」を描くことではないかと思えてきます。つまりパックの家に行って、キャスカが正気に戻り、もう戦うこともなく幸せに暮らしましたとさ、が描ければ三浦氏的には満足なんではないかという気がします。
最高にしょぼいですけど、三浦氏が急転直下で終わらせて「ベルセルク」を片付けるのであれば、この可能性のほうが高いのではないかと思います。

お礼日時:2014/11/05 17:35

もちろん続きは読みたいし、作品がどう終わるのか知りたいけど。

最初の蝕が起きる14巻ぐらいまでが面白すぎて、その後は下降線も気がする。。。

特に最近は魔法使いとかよく分からないの出て来て、”「盲目の羊の集う聖地」断罪の塔”過ぎたあたりから、話が思いっきり変な方向に行っている気がする。
なんか今のままなら読む気にならなくなってきたので、ひっそりと終わっててもいい気がします。
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この回答へのお礼

魔法使いってシールケですよね。
「ギガントマキア」って、お読みになりましたか?私は古本で買って一応持ってますが、とてももう一度最初から最後まで読もうという気にはならないくらいの駄作です。ですので細部までとても正確には説明できませんが、簡単に述べますと、今から数億年後、地球から命の気配があまりなくなった時に、旅を続ける精霊の少女「ブロメ(本当は漢字で書かれているのですがどんな字だったか確認する気にもなりません。以下同様)」」と、筋肉隆々で純朴な男「デロス」の物語です。
「デロス」の仕事は「レスラ」です。つまりプロレスラーです。昆虫類がものすごく進化したような生き物たちと戦ったりして旅を続けます。「ブロメ」と「デロス」が一体化すると巨人になることができ、その時代生きている巨人族と肉弾戦を戦ったりします(だから「ギガントマキア」=巨人戦争、です)。
「ブロメ」は、「デロス」が飲めば腹が満たされ活力がみなぎり、傷ついた「デロス」にかければ傷を癒やす「ネクタル」を精製することができます。体の中で精製された「ネクタル」は、「ブロメ」の股の間から放出されます。
長々書きましたが、要するに「デロス」は幼女「ブロメ」のオシッコを浴びたり飲んだりしながら旅を続けるわけです。そして「デロス」は童貞です。

読んで思ったのは、三浦氏は重度のロリコンなのではないかと。そして童貞なのではないかということです。お互いに未経験のまま運命の女性と出会って結ばれるという夢をガッツとキャスカに託して描いたけれども、現実を前にしてキャスカという大人の女性を愛し続ける=描き続けることができなくなっていったのではないかと思います。そして往々にしてあり得るように、性的興味の対象が少女へと移っていった・・・つまりシールケを描くのが楽しくてしょうがなかった、のではないかと。
既に発売されているコミックスの最後の方では、ガッツ一行に次々と仲間が加わる形で、ガッツ一行には「伴侶」キャスカ以外にファルネーゼとシールケ、二人の女性がいます。ファルネーゼは正常な判断力のないキャスカの「お世話係」としての役割があるとして、三浦氏が描いていて楽しいのはキャスカからシールケへと移っていったのかなと思います。しかしだからと言ってガッツとシールケができてしまう物語はどう考えても無理がある。
少女愛を否定する気はありませんが、もうキャスカを愛せないなら「ベルセルク」は成り立ちません。だって、キャスカを愛する話として描いてきたのですから。
だったら「もう描けませんごめんなさい」と謝ってもらって、下手なエンディングをつけずに終わったほうが私としては納得できます。

お礼日時:2014/11/05 18:03

私的にも、ベルセルクは蝕までの作品で、正直もうどうでもいいです。


グリフィスが蘇った時点で全て終わりましたね。
永野護のFSSなんかもそうですが、
せっかく緻密に作った世界観を、後付けの設定で破壊してしまっている。
今更無かったことには出来ないし、
連載開始当初とは作者の嗜好も志向も変わってしまっているので、
うまいこと収拾付けるのは不可能でしょう。
「俺たちの戦いはこれからだ」でも、私は納得しますよ。
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この回答へのお礼

テレビアニメ版は、使徒退治に旅立つガッツのシーンで終わってましたよね。あれは、原作にはない原始鷹の団の知略戦を描いたりして、あくまでも原始鷹の団の活躍を描くことが目的であることは明らかでした。
原作は、冒頭部分でガッツvsフェムト戦が重大なテーマのひとつであることを明らかにしてしまっており、しかも「蝕」の後もかなり描いてしまった、という無理がありますよね。RPGのようにパーティを組んで旅をするというのがこれまで描かれた最後の部分ですが、そのメンバーだけ取っても、ファルネーゼとセルピコの歪な兄妹関係、シールケの魔法使いとしての成長、イシドロの少年らしい野望の行く末、そして何よりキャスカの正気は戻るのかどうかと、描かなければいけないテーマが山ほどあります。
「俺たちの戦いはこれからだ」ではどう頑張っても「投げ出したな」感は免れないと思いますので、それくらいなら「描けませんごめんなさい」という「始末書漫画」を描いてもらったほうが私としては納得できます。

「俺たちの戦いはこれからだ」で思い出したのですが、ベルセルクの数倍長く続いているいじめられっ子ボクサー漫画、あれって試合の描写は緻密ですが物語の広がりとしてはごく単純ですよね。日本チャンピオンになったくらいで「僕の戦いはこれからだ」で終わったほうが後味は良かったのではないかと思いますね。
あの漫画は、マイク・タイソンがもともといじめられっ子だったというところに想を得ており、それゆえに主人公も階級の割には背の低いインファイターという設定になったんだと思います。だから、原作者としても世界チャンピオンになるところまでは描きたいのかもしれませんが、最近は「取材のため」と称した休載も結構あり、質問本文中にも書きました「出版社の都合」で続けされられている面も多いのかなと思います。

「ベルセルク」は余計にその「出版社の都合」で縛られているかなという気がします。「ヤングアニマル」って、他にこれといったヒット漫画出てませんよね?「ふたりエッチ」はそこそこ知名度ありそうですがどう考えても万人向けとはいえない、他にちょっと盛り上がった作品も終わってしまった・・・「ギガントマキア」という駄作を載せることを許したのも、そのかわりちゃんとベルセルクは続けろよな、という取引の材料だったのではないかと思います。

Wikipediaによると「ベルセルク」も再開しているようですね。ここまで来たら雑誌と「ベルセルク」は一蓮托生の関係だと思います。とりあえず続きを見ましょう。

お礼日時:2014/11/05 18:53

どなたか、別の漫画家さんに ベルセルクを託す。



または、

 読者から発案を募る。。。。  
 

 どんな形でも、その世界の先がよめるなら
とにかく終わらせないでくれるなら なんでも嬉しいです
  

 たとえ駄作と蔑まされようとも、世界観を壊されたくない人は本をとじればいいだけのことで
    ・・わたしは、この先どういう形になっても ありがたく物語に浸らせていただきたい気持ちですね 
      




質問主さんは、この先の物語について、何か発案はありますか?
 こういう展開にして、ここをこうしたら ありきたりではなく、斬新さもありいいのでは ・・・等
               
  ほんのちいさな設定でもいいんです  なにかありますか?


 妖精王から、ゴッドハンドに通じる魔法や、武器を・・とかだとやすっぽいですし・・
  はたまた、現・鷹の団のつよい使徒を ガッツの鎧が喰らうと因果律を断てる力が備わり
  グリフィスを ゴッドハンドから 切り離せるようになり・・ 

                              う~ん、やすっぽい。


 ガッツを二人にしてしまうなんてどうでしょうね
  ・・・闇の部分を 分離させて・・  くぅう;; ありがち!


  転生をもちいて 
   ジュドーやピピン コルカッツを達を別のそんざいにして復活・・させ・させ。。 う~、、むずい!


 


http://hodumi951.blog.fc2.com/blog-category-28.h … べるせるくの駄文
 こちらの方の考察が おもしろいですよ^^





  









  
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この回答へのお礼

前の方のお礼にも書いたのですが、原作者の作品へのモチベーションは何だったかという点から考えると、最優先事項がガッツとキャスカが幸せになることで、それに必要な限り、という条件付きでフェムトとの対決や髑髏の騎士との関わりを描かざるをえないと思うんです。
そして『ギガントマキア』という最新作を読む限り、性的に過度に潔癖な作者は最近になってとうとう大人の女性に失望し、恋愛対象をどんどん低年齢化させているのではないか、と思わざるを得ません。『ギガントマキア』では、主人公デロスが一緒に旅をするパートナーであり、崇拝の対象であり、一体化すると巨大化できる(性的だと思いませんか?)妖精ブロメは、10歳代中~後期くらいの乙女のような姿形から「だんだん幼児化していく」ということで描かれています。

ですから、もし原作者が大ブーイングを意に介さずあくまで自分の世界観に殉じる覚悟があるのなら、という条件で述べますが、まずキャスカは捨てる。ガッツがキャスカを能動的に捨てるのでは、純愛大好きな作者の意に反することになると思いますので、キャスカの方からフェムト≒新グリフィスへと走らせればいい。蝕の時にフェムトに転生したグリフィスに犯された快感を無能力者となった現在でも体が覚えていたとか何とかいくらでも理由はつきます。
そしてシールケをガッツの新しいパートナーに据える。ストレートな愛の行為を描くのは無理があります。キャスカでそれをやっちゃって、その結果大人の女性に失望したわけですから。それにそれをやったらアグ●スが火を噴くでしょう。
実は狂戦士の甲冑に乗っ取られたガッツの意識に入り込んで一体化するなど、象徴的な意味ではガッツとシールケのただならぬ関係は既に描かれています。
あとは、例えばパックの家(妖精の棲家)を繭にしてガッツとシールケが「一旦解けて融け合い、ひとつの存在として再生する」というようなシーンを描けばいいと思います。もちろんこれは性的なシーンを極めて美化して描いたものにほかなりません。
この一体化した存在に強大な力をもたせればいい。ベルセルク・ワールドでは、意図してなのかそうでないのかよくわかりませんが、人間の世界と超越者の世界には明確な壁がありますが、善の方向に超越しているのか悪の方向に超越しているのかというところは区別がなく、同じようなものとして描かれています。フェムトたちが「守護『天使』」と呼ばれているが如くです。
ですから、ベルセルク・ワールドでは善の究極と悪の究極は同じ所にあると考えていいと思うんです。そうすると便利に使えそうなのが、髑髏の騎士です。
ベルセルク・ワールドはアルファベットのCのような形をしている。善の究極と悪の究極は近いところにあり、どっちでもない真ん中あたりが人間界。そして髑髏の騎士はこの環を客観的に眺めている「外にいる存在」です。
ガッツ・シールケ融合体にどんな力を与えても、「髑髏の騎士だから」の一言で説明を終えてしまえる存在です。となれば、守護天使たちをしばき倒して葬り去るのも守護天使たちのさらに上位者として君臨するのも原作者のお好み次第です。

あくまでも、これは私の希望ではありません。実際にこんな話描かれたら、長年ファンをやっていたのが馬鹿らしくなると思います。ただ、ベルセルクの既刊分と最新作『ギガントマキア』から判断する限り、原作者の中の変化と、そういう変化をしている人間が描きそうなものを想像するとこういうふうにならざるを得ないんです。はっきり言って『ギガントマキア』はそのぐらい酷かった。

『東京喰種』という漫画があります。ベルセルクが長期停滞中(再開したようですが)であるため、私にとって今一番「怖いから面白い」漫画です。これも裏にまだまだ隠された設定がありそうな漫画で、今後かなり続きそうだと思うんですが、簡単に言いますと、人間と、普段は人間と姿形は全く同じだけれども人肉を食うことでしか生きていけない喰種という生き物の戦いの物語です。人間だった「金木 研」というひ弱な文学青年が手術によって半人半喰種にされてしまい、アイデンティティに悩むうちに虐げられた喰種たちの方にシンパシーを感じ始め、喰種を食らう喰種たちの集団「アオギリの木」の喰種を食いながらどんどん恐ろしい喰種に変貌し、人間の喰種捜査官との大決戦によって死ぬ、というところでこの漫画は一旦終わりました。
放り出されたままの謎はまだまだあります。しかし、最終回のさらに最後に、外見は金木くんそのものの新人喰種捜査官が登場しています。つまり物語は続くのですが、『東京喰種:re』とタイトルを変えて続くようです。
あまりにも広がりがある物語を描く時、このように物語を分割しながら話を進めていくというのは有用な方法だなと思いました。ベルセルクも鷹の団編などはひとつの物語だったとも言えると思うんですが、それ以降は「中間総括」がないばかりに広がるだけ広がってしまい、収拾がつかなくなっているように思えます。
現状を考えれば「中間総括」できそうなのはパックの家に着いた時だと思います。気が遠くなるほど先に思えますが、それより前には適当な区切りはないでしょう。とにかくパックの家に着いて、これからの方向性を考えてほしいものです。

お礼日時:2014/11/19 07:55

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