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だって、
・作詞者:ミハイル・ヴァシーリエヴィチ・イサコーフスキー
    Исаковский, Михаил Васильевич
・作曲者:マトヴェーイ・イサーコーフスキー・ブランテル
     Блантер, Матвей Исаакович
・初めて歌った歌手:リーディヤ・アンドリェーエヴァ・ルスラーノヴァ
          Русланова, Лидия Андреевна
・公開初演の日時:1938年11月28日
だと判っているんですよ。
民謡というものは作者も初演者も不明のものを指すんですから、「カチューシャ」が民謡というのは理屈から言ってありえません。
なのに「ロシア”民謡”」って……(笑)
まあ、詐欺という言葉はきつすぎるかもしれませんけど、特定の作者の存在が明らかであるにもかかわらず作者が存在しないかのように無視して誤魔化している(としか受け止められません)のは私にはどうも理解しがたいんです。
ソ連の存在していた冷戦の時代ならば、作者の情報が入ってこなかったので「民謡」ということにしてお茶を濁したのだろうとまだしも理解できますが、鉄のカーテンも消滅してインターネットで手軽に世界中の情報を得られ、もちろん旧社会主義国であろうとどこであろうと歌謡曲の作者の情報など当然のように知ることができるこの時代ですよ。
それとも、「カチューシャ」に限らず歌に作者が存在するという事実を認めることが嫌いなんでしょうかね?

A 回答 (4件)

民謡という言葉の意味を少し調べてみました。



デジタル大辞泉によれば、「民衆の、労働・儀礼などの集団の場において自然に発生し、伝承されてきた...」

また、大辞林によれば、「各地の庶民の日常生活の中から自然に生まれて長い間伝承され、...」とあります。

これら、「自然に発生し」「自然に生まれて」ということが民謡と呼ばれる歌曲の基本要素であるならば、プロの作曲家が作曲したものを民謡と呼ぶのは適切ではないことになります。たとえば、養殖した魚介類を「天然もの」と表示して販売したならば事件になるでしょう。

でも、食品など消費者保護が必要な品目と違って、歌の場合、とりわけ長い年月の経過によって著作権が消滅してパブリックドメインになり、小学唱歌や文部省唱歌としてだれもが気軽に歌ったり演奏したりする曲の場合には、そこまで厳密なことを言わなくても良いように思います。

かつての歌声喫茶の歌詞集や、レコード会社が企画したアルバムの収録曲に関して、厳密な区分けをせずに◯◯民謡といったわかりやすくてキャッチーなタイトルを付けたことがそもそもの発端なのだろうと思いますが、それらの扱いを責めるのは酷でしょう。

三省堂の新明解国語辞典では、カッコ付きながら、「広義では大正・昭和初期にかけて大量に作られた、いわゆる『新民謡』も含む」と補足されていますから、質問者さんがお書きのように厳密に言えば不当表示ということにはなりますが、そこまで重箱の隅を突つかなくてもいいんじゃないの、というのが私の考えです。いかがでしょうか。

ここまで書いてきてさらに検索していたら、以下のようなサイトの記述を見つけました。いろいろな考え方をまとめて書いてあって、ある意味玉虫色の記述になってますけど、おおむね妥当な結論を導いているような気がしますので貼っておきます。

民謡とは コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%B0%91%E8%AC%A1-1401 …
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「カチューシャ」はロシア民謡ですよ。


ロシア民謡ではないとすれば、どこの民謡でしょうか?また、どう聴いても、ポップスとかクラシックということでもないでしょう。

>民謡というものは作者も初演者も不明のものを指すんですから、

この概念は間違いですよ。
何かにそのようなことが書かれていたのでしょうか?
「民謡」というのは、音楽のジャンルですから、「カチューシャ」を「ロシア民謡」とすることは、ビートルズの「イエスタデイ」を「イギリスのロック」、AKB48の音楽を「J-POP」と言っているのと同じです。曲が存在している以上、それを作った人がいるのは当たり前のことです。

ブリタニカからの抜粋では
「民衆の生活のなかで生れ育った歌。民衆によって作られ,民衆のなかで伝承され,その本来の性質が民衆的な歌をいう。」
と書かれています。作曲者はロシアの人だということであれば、「カチューシャ」は立派なロシア民謡ということです。
どのような曲でも、必ず作った人がいるのは間違いがありませんが、ある人にとってそれが誰だかわからないことは仕方のないことです。その場合は「作者不詳」とか「anonymous」と書かざるを得ませんが、実際の作曲者の名を多くの人が知っている場合もあれば、極少数の人のみが知っている場合もあります。「作者不詳」と書いたから詐欺というものではありません。「私にとっては、作者名がわかりません」というだけのことですから。
「草競馬」とか「オールドブラックジョー」は「アメリカ民謡」の代表とされていますが、フォスターが作ったということは誰でも知っています。「アロハオエ」や「カイマナヒラ」はハワイ民謡とされていますが、これも著名な作詞・作曲家が作ったことはよく知られています。
「カチューシャ」がロシア民謡とされていることは、詐欺でもなんでもありません。
そのようなジャンルに区分けされている曲であるというだけのことで、作曲者が誰だということは別の話です。
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そんなに怒る(?)ことはないですよ ^^。



》 なのに「ロシア”民謡”」って

"ロシア民謡" というジャンルの曲と思えばいいじゃないですか? 

別の例ですが、「スコットランド民謡」だってそうです。

例えば、「アニーローリー Annie Laurie」。作詞者・作曲者が存在しますが、「スコットランド民謡」とされていることに文句をつける人はいないような(笑)。

https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclie …
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別に認めたくないとか隠すつもりはないでしょう。

作者がいるものを民謡として広めたのはどこかの機関とか出版社ではなく、受容してきた、聞いたり歌ったりする日本人です。あえて言えば作者がいることへの無関心です。

昭和34年初版の「ロシヤ民謡アルバム」という本が手元にありますが、タイトルに反して中身は作者がいる曲が非常に多いです。ウィキペディアにはソ連時代は歌は公共財産として作者は伏せられていたとありますが、国家機密のようなものではないようで、実際この歌本やそれ以前の楽譜でも作者は明記されています。このことからどこかが隠したとかいうことは考えにくいことです。

Народная песня の訳語の問題についてはウィキペディアに詳しくありますが、これは大衆歌謡とも民謡(人民の歌)とも訳せる言葉です。

それはともかく、他の国の曲では起こりえない誤解がなぜ広まったのか、なぜより正確な訳語を求めなかったは、情報の入ってこなかった時代に我々が勝手に作り上げたロシア(正確にはソ連)のイメージがいまだに尾を引いているように思えます。
先の「ロシヤ民謡アルバム」でも、ロシアっぽさを感じる曲はほぼそのまま知名度と一致し、その多くに作者がいます。正真正銘の民謡は民俗音楽の香りが強く、本当はこれがロシアっぽさなのに、日本人が感じるロシアっぽさは薄いものになっています。
「ロシアっぽさ」をもったものは、作者がいる歌謡曲というより民謡であるとしたい気持ちが働く、と考えますがいかがでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7% …
こちらもご参考に。私の考えとほぼ同じです。あと一つ付け加えれば、こういう歌曲の作者の名前が昔から日本ではあまり知られておらず、「フォスターの曲」とか「シューベルトの曲」というような言い方がしにくいということもあるでしょう。

私自身、こういう「(悪意のない)嘘」は、今日の情報化時代だからこそそろそろやめたらどうかと思っています。ではどう言い換えるべきか、という問いには答えが見いだせないのがもどかしいところです。

乱筆失礼いたしました。
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