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先日、高倉健の網走番外地を見ました。
主人公は各地で暴れまくるのですが
胸にはおふくろへの熱い思慕を秘めています。

こういう若い男性が母を想う表現は、昔はわりと見たと思うのですが
近年はあまり見かけないように感じます。
いつ頃から変わったのか、またその背景など
わかりましたら教えてください。

A 回答 (2件)

人口集中と核家族化、交通の利便化で、地方からの上京物語が成立しにくくなったのと、


暴力団対策法の強化で、ヤクザや不良など半端者を許さない社会になったから。

すごく具体的には、昭和の終わりからバブル期に突入前夜にエンターテイメントが享楽主義の娯楽に変わったこと。ロサンゼルス・オリンピックのあった1984年(昭和59)を転機に昭和60年代に向けて急転換してます。
1983年のファミコンの発売により、ブラウン管の奪い合いが表面化した年であり、
吉幾三「おら東京さ行ぐだ」のヒットが田舎を笑いにできる時代であり、チェッカーズの大ヒットした年で福岡出身や不良からの卒業が自慢される時代。1983年に尾崎豊が「15の夜」でデビュー、1985年1月に「卒業」がブレイク。
テレビ番組ではスクールウォーズの流行で、金八先生が沈静化し、1988年の金八先生第三部では不良問題がテーマからなくなっています。1984年といえば「不良少女とよばれて」もヒットし、田村正和「うちの子にかぎって」もこの年で、TBSドラマはライト路線に方向転換してます。所ジョージのバラエティ司会進出もこの頃。
65年頃から流行していた任侠映画やヤクザ映画は、80年を迎える前には沈静化し、「男はつらいよ」のほのぼの人情モノがかろうじて残っていましたが、1986年に岩下志麻の「極道の妻たち」のヒットで元来のテーマの任侠から現代暴力団によりる抗争や謀略がテーマにスライドしていった時代です。

この時代を触れた人でしたら、これらの流行った時代の空気感を思い出せると思います。
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この回答へのお礼

任侠映画の衰退について素晴らしい回答ありがとうございます。
質問は「母への思慕」が主眼でしたが、非常に参考になりました。
やはりバブル期を境に任侠映画の衰退と軌を一にして
母ものから「自由な恋愛」のトレンディドラマの世界に
世相が変化していったのかと思いました。
私は実例を挙げて解説するほど能力はありませんが・・・

お礼日時:2015/01/12 10:20

学校教育の「個人主義」が、徹底されていったから、、



ではないですかね?

昔は、「生んで育ててくれてありがとう」でしたが

現在は、「勝手にエッチして俺をつくったのは、親の責任!

責任とってくれ!!」という、

親への感謝が無くなってきたから、、でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
個人主義の台頭と、その裏で進行した
共同体や家族機能の衰退が
投影されているのかもしれませんね

お礼日時:2015/01/12 10:21

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