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仮の話です。
自分の考えを話しますので、意見ください。

日本語の漢字を廃止すべきか? ー 音読みで示せる漢字の表記方法は残しておき、
訓読みで示される漢字の表記方法は廃止する
が僕の考えです。
ベトナム語や韓国語はある意味漢字圏の国です。
見かけでは漢字圏の国ではありませんが、
実際には言葉の中に漢字が存在します。
ベトナム語と韓国語は、どちらにもいえることですが
文章の中に、漢字が入っています。
ベトナム語は勉強したことがないので分かりませんが、
韓国語でいえば、
感謝します の意味を表す 감사【カmサ】 하니다【ハmニダ】は、
日本語に直せば、 感謝 します になります。
このカmサ は直すことができ それが漢字語と言われるものです。
そして、ハmニダ は韓国 に元々ある言葉で 固有語 と呼ばれています。
ここでの韓国語の カmサは 、 感謝 という漢字が隠れているのです。
日本語だと 大和言葉です。

上記のように、日本語も同じような仕組みにしたらいいと?思います。飽く迄も空想です。
つまり、大和言葉は完全にひらがな にし、
漢字語?は、漢字のまま残しておく…

つまり実際に例を挙げると、
「私は学校に遅刻し先生に怒られました。」
は 上に従うと
「わたしは学校に遅刻し先生におこられました。」

「単発アルバイトに登録した私は、明日同じ単発アルバイトに登録していた人達と池袋駅で11時に待ち合わせをします。」

「単発アルバイトに登録したわたしは、あしたおなじ単発アルバイトに登録していたひとたちといけぶくろえきで11じにまちあわせをします。」
となります。

ぜひ皆さんの意見を下さい。
よろしくお願いします。
ちなみに僕は日本人です。

A 回答 (11件中1~10件)

なぜ漢字の「音読み」と「訓読み」で区別するのか、その理由が今ひとつわかりません。



ご質問の意図を推測すると、「音読み」の漢語は、漢字表記で大陸から入ってきた言葉だから漢字のままとし、「訓読み」の場合は、もともと存在したやまと言葉を漢字が伝来した後に漢字表記にしたものだから元に戻そう、という発想かもしれません。しかしよく考えるとこれはおかしなことです。

現在の定説では、漢字が伝来する以前には日本に固有の文字は存在しなかったので、日本語を文字で表記することはできませんでした。漢字が伝わった後でも、全く文法が異なる中国語の文字で日本語を表記するには無理があり、記紀や万葉集などを読むと、当時の知識人がいかに苦労したのかがよくわかります。漢字を表意的に用いれば、字数が少なく効率的な反面、読みが一通りに定まりません。漢字一字で一音を表わすようにすればその点は大丈夫ですが、文章が長くなり書くにも読むにも手間がかかります。(万葉集にはこの両者の表記法が用いられ、前者ではいわゆる「難読歌」でなくとも細部の読み方はほとんどの場合何通りも可能です)

何を言いたいかというと、日本語を初めて文字にしたときに使われた文字は漢字であって、日本語と本来は外国の文字である漢字とは、大昔から非常に強い結び付きがあったということです。もともと別の文字で書かれていたものを漢字に改めたわけではありません。

こうした苦労を経て、漢字に音・訓の2種類の読み方が次第に確立(固定化)する一方、文字もカタカナやひらがなが漢字をもとに作り出され、長い年月を経て現在のような「漢字かな交じり」の文章が標準的な日本語の表記法となったことはご存知の通りです。

コンピューター時代になって、漢字に変換することが容易になり過ぎ、筆者が意図しない言葉まで変換されて漢字だらけの読みづらい文章となる傾向があります。この点は問題で、文芸作品などは別として、報道機関の文書や公的な文書など一般の人向けの文章では、漢字の割合が高くなり過ぎないようにする配慮は必要だと考えますが、それはきめ細かく行う必要があります。「訓読み」を一律にかなにするだけではうまくいかないと思います。先人が苦労して日本語の表記に使えるように工夫した「訓読み」を一律にやめてしまうのはどう考えても得策ではないでしょう。

>「単発アルバイトに登録したわたしは、あしたおなじ単発アルバイトに登録していたひとたちといけぶくろえきで11じにまちあわせをします。」この文にもまだ「駅」や「時」という「音読み」があります。またいわゆる重箱読みや湯桶読みの言葉はどう表記すればよいのでしょうか。
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あなたの書いているようなことを「仮の話」とは言いません。


「仮の話」というのは「仮に○○だったとしたら××だろう」というような論のことです。
あなたの場合は「訓読みの漢字は平仮名表記に変えるべきだ」と言っているのですからこれは「意見」「主張」などと呼ばれるものに当たります。「仮の話」ではありません。

次に、「訓読みの漢字は平仮名に変えるべきだ」という意見をお持ちならなぜそうした方がいいのかを説明するべきでしょう。それがまったくないのではまるで説得力がありません。

根拠のない主張に加え、拙い文章から外国の方かと思いましたが、「僕は日本人です」ということなので、漢字を廃止すべきかどうかというような大きなことがらについて考える前に、まずはご自身の日本語の表現力をもう少し高める努力をされた方がいいのではないでしょうか。
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間違えました。


新橋→新ばしですね。
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まず、そうする意味が見出だせません。


現状の日本語表記に不都合があるようにも思えませんし。

そもそも日本の漢字表記は歴史が長く、単純に区分けできるものではないでしょう。
池袋→いけぶくろ
では、新橋→しん橋ですか?

世の中が混乱するだけです。
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狩りの話ですが、遊びで自然動物を殺すのは反対です!


生活の為、生きてゆく為の狩りは許可せざるを得ませんが、 pleasureで生き物を殺すのは止めさせましょう。

日本語を理解しやすく、またより美しくするためには、片仮名の利用制限が有効と思います。

すなわち、片仮名は擬態語、擬声語のみ利用可とし、外来語を片仮名記述する事を禁止するのです。
つまり、プログラマはprogrammer、 アルバイトはArbeit、シャンパンはChampagne、キムチは김치と書かねばならぬ様、規制する訳です。

この結果、従来からの漢字、平仮名、片仮名に加えて、英語、独逸語、仏蘭西語、朝鮮語などが日本語文章に混在することになりますが、これが行き過ぎると読者が分からなくなります。

そこで、김치などと書かずに朝鮮漬けと書くようになります。
アルバイトなどと書かずに労働と書くようになります。
「単発労働に登録した私は、明日おなじ単発労働に登録していた人たちと池袋駅で11時に待ち合わせします。」となります。

また該当する日本語が存在しない様な外来語から触発されて日本語の語彙を開発する造語能力も向上することが期待されます。

片仮名を制限して美しい日本を復活させましょう!!
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質問者さまは、どのような理由で訓読を廃止したほうがよいと考えているのでしょうか。

 その理由を書かれないと、単に訓読を廃止した「仮の話」とはならないとおもいます。

たしかに日本語を国語として習得する段階では、漢字は弊害となります。数多く漢字を覚えないといけないし、ひとつの漢字に複数の読みがあるのは日本語のみの特色でもあります。 

たぶん、日本語はもともとは大和言葉が多かったような印象もしますが、漢字が入ったことにより、かなりのそのような固有な日本語が失われました。また、固有な日本語の発展も阻害されました。 大部分の概念が漢字で書き表せ、明治以後には西洋の概念は、漢字熟語に翻訳されました。このような日本語から作られた日本製漢字熟語は、逆に中国語や韓国語に輸入され、当時、日本の植民地にあったこともあり、現在でも残っています。

韓国語が漢字を使わない理由は、ひどく国民感情的なものであり、日本の植民地の影響を排除したい考えだったようです。 でも、韓国語の中には中国語の影響以上に日本語が残っていて、彼らも日本語とはしらずにつかっているものに「株式会社」や「大売出し」などがあります。

それはともかく、日本語は、明治以後に、また昭和の時代になり大量の英語からの借用語があり、これが、もともとの意味からかけ離れたものとなり、英語圏の人が日本語を学ぶにも、漢字も複雑で覚えにくいのに、カタカナは、英語の意味からかけ離れ、これがなおさら学習を難しくしているようです。

わたしも思うに、なんで電気のコンセントが「コンセント」なのか、冬に首にまくものが「マフラー」か、部屋を温める暖房機が「ストーブ」なのか、お店に設けられた専用コーナーが「コーナー」なのか、聞かれても返事ができないです。

コンセントはsocket、マフラーはscarf、ストーブはheater、コーナーはsection、これが英語の該当する単語です。

車のウィンカーにしても、なぜindicatorをウィンカーと訳したのか不明です。

わたしは、日本語の訓読よりも、その大量に入ってきた意味不明のカタカナのほうが不明瞭です。 最近できたことばに、アライアンスがありますが、英語でallianceというと、戦時中の英米同盟などを意識し、あまりよい印象がないですが、日本語では、良い意味でアライアンスを企業間の協業のように使われます。

わりと古い時代のカタカナは辞書でひけますが、新しく入ってきたものは辞書にもなく、意味がわからないものがかなりあります。 英語のスペルで引いても日本人独特の解釈したものがかなりあります。

日本語の訓読は、たしかに日本語を学ぶには不便でしょうが、いちど覚えると、漢字を訓読し難読漢字熟語も、意味が大筋わかる便利な面があります。 英語などは学術用語などは一般の人にはわかりません。 わたしは、コンピュータ用語を解説した、英語の本を見たことがありますが、英語圏の人は、こんなコンピュータ用語もわからないのが普通と、驚いたことがあります。 コンピュータ用語はカタカナだらけで、もちろん英語がほとんどですが、専門用語となっているため、日常使う英単語とは意味がかけ離れているものが多いのです。

わたしは訓読の問題よりも、そのようなカタカナ用語の乱用のほうが困るような印象がします。
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もともと、漢文を日本語読みするときに、用言(動詞・形容詞など)の役割をしている漢字に対し、大和言葉をあてたのが、訓読みの始まりですね。

それから、和漢混交文が発明され、現在の表記法へと進化した。
大和言葉を平仮名(これも漢字が基になっていますが(^_^;))に直したら、和漢混交文の旨味がなくなってしましますね。表意文字と表音文字の問題です。大和言葉には同じ発音で多数の意味を表す言葉がたくさんあります。「かく」なら、文字を書くのか絵を描くのか、背中を掻くのかわかりません。それを漢字に直せば…一つ前の文から一目瞭然ですね。
私は、現在の日本語を誇りに思ってます。他国の言語も、そのままの表記で取り入れられ、また、読みかたのカタカナ表記でも表せる。動詞、形容詞、形容動詞などは、外国語・他の品詞から簡単に作る。プレイする、黄色い、偉大だなどは代表例です。
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そのような主張をしている人は意外と見られますね。


自分のブックマークをざっと漁ったとこだと、この辺りとか。
何かの参考になるかもしれません。


漢字廃止論 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/93837

海外「全文ひらがなは悪夢」 日本は漢字を廃止するかで外国人激論 - パンドラの憂鬱
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-en …

かんじを つかわないと ひょうげん できない こと - やねごんの にっき
http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20091201
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わたしはそうはおもいません。

かんじによっていみはいろいろかわり、かんじるとろこのびみょうなぐあいがかわってきます。つたわらないかのうせいがあるいじょう、まったくさんせいしません。また、ぶんがみじかくなってよみやすくもなります。これもはんぶんいかのながさになるでしょう。
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回答番号1のかたがおつしやるとほりです。



漢字の音読みと訓読みによつて、言葉の意味が鮮明に伝達できる、このことを指摘したのは、言語社会学者の鈴木孝夫さんです。たとへば、「hydrophobia」といふ英語のことばがあります。英語を母語とする人や英語の得意な人でも、この意味がすぐにわかる人は少ないさうです。しかし、日本語で「恐水病」といへば、小学生でも意味が理解できます。「みづ」「おそろしい」「やまひ」で、「水を恐がる病」なのだと、訓読みできるからです。

ちなみに、ギリシャ語ができれば、「hydro」はὕδωρ(水)、「phob」はφόβος(恐れ)、語尾の「ia」ια は状態をあらはす、とすぐに理解可能であつて、日本語と同じ仕組みです。 違ふのは、日本では、中国語ができなくても理解できる点です。m_shins0925さんが御指摘のとほり、日本語の中心は大和言葉です。それを漢字と結びつけるのが、訓読みです。

むづかしい言葉は一部の専門家だけにしか通じない言語にしてしまふよりも、小学生にも理解できること、こちらのほうが、すばらしい言語だとおもひます。


>>ちなみに僕は日本人です。

私も日本人です。どちらかといへば、漢字を少なめにして書きます。最近はパソコンの自動変換のせいか、無闇に漢字を多用する文章を見かけます。なにごとも、ほどほどにと思ひます。
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