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私は嫌いだ、パラエモンの文法教本を折あるごとに蒸し返して、たびたび言及する女は。そして常に話し言葉の文法や規則を守り、私の知らない詩句を引用し、古代文学に精通した女は嫌いだ。
(『ローマ諷刺刺繍』国原吉之助訳 岩波文庫176ページ)

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ユウェナーリス『諷刺詩』第6歌に、「パラエモン」Palaemonといふ人が登場します。文法に詳しい人のやうですが、だれですか。ネット検索すると以下の動画がヒットしました。どんな関係なのですか。

質問者からの補足コメント

  • 質問文の訂正
    『ローマ諷刺刺繍』→『ローマ諷刺詩集』

    ついでに、パラエモンについて、もうひとつ記述を挙げておきます。
    「パラエモンよ、譲ってやれ。給料の中からいくらか金額が減っていても、我慢するのだ。」
    (第7歌 204ページ)

      補足日時:2015/03/18 20:23

A 回答 (3件)

こんばんは。


ほかに質問がないので。

動画のパラエもんは正体不明ですが、どらえもんと時々一緒に出てきますね。どらえもんといえばエビフライですね。



Palaemonは、テナガエビ科のスジエビのことですかね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B8% …

下のサイトには、スジエビ(“僕ドラ…、もとい、僕パラえもん”:未来からやって来たエビ型ロボット)と書いてありますけれど(笑)。

http://web.ias.tokushima-u.ac.jp/aragimo/page44/ …

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冗談はさておき・・・

パラエモン(Quintus Remmius Palaeman)は、Vicentia(現在のイタリア・ヴェネト州)出身のローマの文法学者で、皇帝ティベリウスとクラウディスの時代に生きた人(5~65年ごろ)です。パラエモンの「文法学(Ars grammatica)」は失われ、その輪郭のみが、4世紀ローマの文法家、カリシウス(Flavius Sosipater Charisius)の著作のなかに見出せるだけですが、体系的なラテン語の文法書としては最初のもので、中世にいたるまで、ラテン語文法の基礎となりました。正しい発音、具体的な用例や、文法違反についての論議が含まれていたそうです。
当時、国家の政治的雄弁性から、帝政時代の演説術への変革によって、修辞学(弁論術)が次第に重要視されるようになりました。元老院議員が、政界での失策に耐えられるようにするため、皇帝は文学と詩を推奨しました。修辞学校はどんどん重要になり、逆説的にも、それ以前の弁論術の衰退が嘆かれるほどにまで達しました。帝政時代には、その教育科目は、「芸術」となるまでに前進を重ねていきました。
古代ローマの職業ではみなそうでしたが、教師の受ける報酬も、身分とはほとんど関係がなく、ローマの作家、スエトニウス(Gaius Suetonius Tranquillus)の「文法家伝」によると、当時の文法家には、もと奴隷や孤児などもたくさんおり、パラエモンも奴隷でした。しかし、奴隷だったパラエモンが高給取りだったのに対して、やはり有名だった文法家、プピリウス(Lucius Orbilius Pupillus)は、百歳で死ぬまで貧困生活を余儀なくされ、屋根裏部屋で過ごしたとか(ホラチウスは、このプピリウスが六十歳ごろに師事していますが、のちに、手紙の中でプピリウスについてあまりいい印象のことを書いておらず、そのため、プピリウスの名前が、「狭量で怒りっぽく、叱責するばかりの教師」の典型を表す言葉になってしまいました)。
スエトニウスは、パラエモンが浪費家、かつ傲慢な性格であったことを示すエピソードを伝え、「豚」と呼んでおります。一日に何度も風呂に入ったそうです。とはいえ、記憶力に優れ、また、独特な韻律で詩作をしたといいます。教師としても名声は高く、詩人で風刺家のペルシウス(Aulus Persius Flaccus)と、修辞学者、クインティリアヌス(Marcus Fabius Quintilianus)は、パラエモンの弟子であったと言っています。

下のPDFの37ページ、「3.教師」の章に、古代ローマの文法家についての記事があります。
http://www.waseda.jp/prj-med_inst/bulletin/bull0 …
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この回答へのお礼

ユウェナーリスを読んで、中国の遊園地の似ても似つかない「パクリのドラえもん」を略して「パラえもん」なのかと思ひました。岩波文庫でここに注がついてゐないといふことは、ドラえもんなみに有名な人物だといふことです。私は初めてききました。海老の話も初めてです。

いつもながら、詳細な情報をありがたうございます。パラえもんの著作が現存してゐたら、日本でもラテン語の研究がもつと盛んになつてゐたのではないかと、残念です。シュメール語の先生は、欧米の学者にはかなはないから、ギリシャ語やラテン語はやめておけと助言してゐたほどです。スエトニウスのDe Grammaticisは日本語訳がないので、読んでゐません。ラテン語の本も持つてゐませんけれど。

>「豚」と呼んでおります。一日に何度も風呂に入ったそうです。

私と同じです。

>記憶力に優れ、また、独特な韻律で詩作をしたといいます。

私とは反対です。

お礼日時:2015/03/19 22:27

下のリンク先のものであっていますか?残念ながら読めません。

英訳、独訳もないようです。

スエトニウスのDe Grammaticis

http://www.thelatinlibrary.com/suetonius/suet.gr …

http://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=umn.31951p …

ディオニュシオス・トラクス

http://www.hs-augsburg.de/~harsch/graeca/Chronol …

http://el.wikisource.org/wiki/%CE%A7%CF%81%CE%AE …
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この回答へのお礼

お調べくださり、感謝してをります。

はじめのURLのものは、以前にダウンロードしてパソコンには入れてあります。読んではゐませんけれど。THE LATIN LIBRARYのサイトは、稀少な作品も掲載されてゐて、重宝してゐます。他は未見です。ありがたうございます。

ドイツのTeubner版があるはずなのですが、ネットにはないやうです。

今日は哲学カテゴリの質問に回答がたくさんあつて、こちらへの返事が遅くなり、申し訳ございませんでした。OKWaveの社長への質問コーナーにスタッフらしき人の投稿がありますが、本物なのですか。

お礼日時:2015/03/20 00:33

パラエモンについて、もう少し詳しいことがわかりました。

また、No.1の回答に誤りがありましたので訂正します。

パラエモンは、ヴィチェンツァの奴隷の息子で、織工としての教育を受けました。しかし、あるじの息子が学校へ行くときの付き添いを頼まれると、その機会を利用し、より高い教養を身につけました。その後奴隷から解放され、文法学校を開きます。道徳的には無法な男で、皇帝ティベリウスとクラウディウスは、パラエモンの学校についておおやけに注意を呼びかけたほどですが、それでも高い名声を得るすべを心得ていたようです。人をひきつけた理由は、常に知識の準備が整っていたこと、生き生きした言葉を完全に使いこなしたことにあります。学校では、古い作家に替えて新しい作家をとりあげました。パラエモンにとっては、ウェルギリウスこそが詩人であり、それより古いウァロ(Marcus Terentius Varro)を罵倒したといいます。No.1の回答で、スエトニウスがパラエモンを「豚」と呼んだ、と書いたのは誤りです。Varroというのがよくわからなかったので間違えました。パラエモンがウァロのことを「豚」と呼んだのだと思います。パラエモンは自尊心が異常に強く、自分とともに学問はこの世に生まれ、自分が死ぬときは一緒に墓に葬られると豪語しました。ギリシャ神話に、「パライモン(Palaimon)」という海の神がいます。ラテン名は、パラエモンで、同じ名前になります。ウェルギリウスの「牧歌(BucolicaまたはEclogae)」の中の、牧人メナルカスとダモエタスが歌合戦をする場面で、「パライモン」が審判として登場しますが、パラエモンは、これは将来、自分が詩人たちの批評家となることの予言であると断言しました。また、盗賊の手に堕ちたときも、自分がパラエモンであると名乗ると、盗賊たちがすぐ解放した、などと話しています。No.1にもすでに書きましたが、パラエモンは、ぜいたく三昧の暮らしをしていました。学校の収益も豊かで、そのほかの収入もあり、特に合理的な経営による大きな農地収益があったにもかかわらず、それでも足りませんでした。
plapotiさんならご存知でしょうが、ビザンチンでアリストファーネスに師事し、ホメーロスの研究者、文献学者として知られるサモトラケのアリスタルコスの弟子にトラキアのディオニュシオスがいます。このディオニュシオス・トラクスの「文法の技法 (Τέχνη γραμματική テクネ-・グランマティケ-)」は、現存する最古のギリシアの文法書ですが、パラエモンはこの文法書を基礎として、自分の文法書を書きました。もちろん、ディオニュシオスの文法書からは大きく踏み出してはいますが、カテゴリーはそのまま使い、ラテン語に訳しました。今日、格とか代名詞などの文法用語を使っているのは、パラエモンがディオニュシオスの「文法の技法」を踏襲したことからきています。パラエモンの文法は、体系的に整い明晰だったため、今日の文法学にも残るほどで、パラエモンの文学に関する業績は、これと、新しい作家を学校の授業に導入したことです。それに対して詩人としては、あまりにも難しい韻律で書いたため、後世への影響はわずかです。セネカの影響を受けたのではないかとの指摘があります。

調べていくと面白いですが、締切になる前にここでお送りします。
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この回答へのお礼

丁寧な追加回答をありがたうございます。不勉強なものですから、とても助かります。

パラえもんは、やり手だつたのですね。ユウェナーリスは、文法学者の給料は比較的安いと記してゐますが、パラえもんは、そのあたりの腕も良かつたのでせう。ウェルギリウスが好みだといふのは、いい感性です。

海の神パライモンのことは、エウリピデス『タウリケのイピゲネイア』(271行)で読んだことがあります。ディオニュシオス・トラクスは読んでゐません。これまた本も持つてゐません。インターネット・アーカイブのサイトで探してみます。

お礼日時:2015/03/19 22:54

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