アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

[1] 言葉遣ひは荒いが、その内容は的確である。
[2] なにやらむづかしげな表現がしてあるだけで、中身は空つぽだ。
[3] きはめて丁寧な言ひまはしをしてゐるが、発言内容はでたらめだ。

私としましては、[2][3]は削除されても差支へがないのですが、[1]は必要です。現状では逆に[1]のみがしばしば削除されてゐます。これについてどのやうに考へますか。

*** *** *** *** ***

[1]の例を挙げたいのですが、当然のことながら削除されてゐてそれができません。内容的に近い投稿文を先日読みましたので引用しておきます。哲学カテゴリへの批判は以前からしばしばなされてゐますが、真摯に受けいれるどころか、そのやうな助言者を馬鹿にするやうな態度が見られると私は感じます。
「難解な文章を書く人は、無意識的に自分を実際の中身よりも大きく見せたいという「背伸び」、あるいは、熟していない自分の思想への自己陶酔からやっていることが多く、要するに羊頭狗肉っていうやつです。それをありがたがる人は、自分の知識や教養が十分でないという自覚が裏目に出て、今自分が理解できないような難しいことを書いている人は、頭のよいすごい人なのだと勘違いします。Q&Aの哲学カテに特有のことではなく、どこにでも見られる現象です。」

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    色事といふ意味がわからなかつたのですが、イロノーゼでした。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/08 21:39
  • うれしい

    人それぞれ受止め方が違ひます。「散乱した思索の足跡がそのまま表れているような珍回答も、実は旨いんじゃないかと私は思っています。」とおつしやる投稿も私は好きです。他には大風呂敷を広げるやうな回答も、ねちねちしてゐなくて、すがすがしいと感じます。いろいろな人がゐるからこそ、このサイトは成立します。私のやうに茶茶を入れるだけの者は、正当的な回答をしてくださる方が大勢いらつしやるからこそ好き勝手ができます。その点は充分わきまへておく必要があります。このたびのみなさんの回答も何度か読返してありがたく感じてゐます。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/10 00:17
  • つらい・・・

    回答番号9で「あたしが若い頃[2]に騙されて、難しいことが言える人に憧れたこともあったんだよね。」といふ話をしてくださいました。cyototuさんの御意見はそのやうな経験を通して得たものだと思ひます。人間が身につけるのは結局、経験、なかでも特に失敗、さらには痛い思ひをすること、によるのではないでせうか。本に書いてあることや、このサイトの投稿文などは、あくまでも参考にするものです。それぞれ経験が異なりますから、受け止め方もさまざまになるはずです。ひとつの意見に対して同調者が極端に増えることは異常な現象に見えてしまひます。

    痛いところを突かれると、反省するのではなく、反発するのが人間です。今回のやうな質問はこれまで何度もなされてきましたが、そのたびに状況が反対の方向に進むのを見てきました。実際に痛い思ひをして学ぶことが大切なのではないでせうか。「認識の深まり」では、何も変らないと思ひます。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/10 06:51
  • どう思う?

    職場では、ひとに嫌はれることも給料のうちです。議論や批判によつて、哲学も科学も進歩してきたのではないでせうか。哲学の本には「批判」の文字が入つたものがたくさんありますが、哲学カテゴリにおいてさへ、批判をしてはいけないといふ意見が聞かれるのがよくわかりません。勝ち負けや、優越感を誇ることなどと勘違ひしてゐるやうに見えます。今後とも、このやうな反対意見をお待ちしてをります。

    >ここは頭の良い人も悪い人も利用できる広場です。

    この件は、「このサイトの奴らは馬鹿ばかりだ、俺は未来の天才のために書き残してゐるだけなのだ」と主張なさる方に、お尋ねください。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/10 07:28
  • うれしい

    回答番号8のコメントに書きましたとほり、今回は女性の方をベストアンサーにいたします。

    みなさまから回答をいただいて、[2][3]も人間社会のひとつのあり方であり、その活用方法について考へるやうになりました。いかがはしい新興宗教の金儲けの手法でもありますし、詐欺師も内容の本質を隠して中身がわからないやうな表現を、丁寧で礼儀正しく説明します。さういふものに引つかからないための訓練になるかもしれません。人間といふのは、引つかかつたあとで、気づくものですけれど。

      補足日時:2015/11/11 18:55

A 回答 (13件中1~10件)

「言葉は精神の肉体」って仮説が好きで、


文章には人柄や経験や知識量が出てきて、気が合ったりすれ違ったり、
言葉を所得するのも放つのもセンス如何とかあって難しいですね。

身ぎれいにしていても汚い言葉(内容と無関係に)を使われて
好きにはなれなく1は生理的に清潔感がないようで敬遠するなあ。

話を精査するため難解にされくどくどと話されても
疲れてウンザリする器の小さい私です。
理解されない言葉なら人に話す以前に問題がありそうで、
情報量が少なくても有意義ならでない、なら意味ないですよね。

当然と思うことの「己の欲せざる処他人に為さず」の意味の「間主観性」
も検索すると高次元?の語群豊かな解釈ではこうなる↓

「E.フッサールの用語で,相互主観性あるいは共同主観性ともいわれる。純粋意識の内在的領域に還元する自我論的な現象学的還元に対して,他の主観,他人の自我の成立を明らかにするものが間主観的還元であるが,それは自我の所属圏における他者の身体の現出を介して自我が転移・移入されることによって行われる。 」

↑こんな説明で納得できる人も常識的な基準を超えた変態に違いない。
フッサールかオッサールか(笑)
変態には「とうてい理解されない苦労をしていること」が必須要素ですし、
哲学が求める「(万人が)納得を得られる改善策、対処法」に文章からしてそぐわないからです。
子供は言葉は少なくても大人より理性的に話してるのかもしれないと思いました。
だってわかりやすいから。
理性の推進力がわかり易さ、合理性だってことだと。

ぷらぽさんの主張はソクラテス級変態っぽくても、すいません、納得できるので、
結局哲学も行き着く先は「豚の満足」を得ようとすることなんですね?

哲学が目指しているのは突飛な見解を披露することではなくて、
真理や本質を晒してその普遍性を確認共有されることが大事なはず。
それ以外に哲学の具体化も正当化もしようもないから。

横入りですが、寅さんの奮闘編鑑賞として面白そうですね。
インテリゲンとかイロノーゼとか寅さんは言葉を沢山知ってるよりすごい創る人。


精神(エンジン)に、感情は推進力アクセル、理性は制御ブレーキとして備わってて、
「安全に有意義に楽しむ使い様」わかり易さは知識量より理性が備わっているから
こそなんだと思う。

その理性ブレーキ性能以前に、ドライブを楽しむためのインフラや楽しめる車すらない
となると、そもそもな苦労もないのだけれど、
なぜだかあんまり内容空っぽな馬鹿がばれたくなくて、背伸びするけど、
とうにバレてしまってるが(笑)
ぷらぽさんが「アホにアホといっても事実を告げてるだけなのでそれは問題ではない」
という言葉で救われました!
なぜ、アホがニヒルになったり背負ってる風に哀愁しなきゃならなかったんだろうかと。

「理性なにそれ美味しいの?」と知的感情論暴走のために苦労したり、
他人の顔色伺い感情演出に躍起する他人の様子を伺うと、
群れから外れた一匹メス豚といわれようが、師匠と同じく色事でもう悩めないし(笑)
アホだからこそ感情など空っぽで理性を楽しめることがあります!
すごく賢くなくて良かった~と思う。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

「マキュアベリは、彼以前の世界中の賢人たちに論じられて来た「人間はどうあるべきか」の未熟な人間観を脱却させ、「人間は実際にはどうあるのか」を論じることで人間学を人文科学に昇華させ、人類に多大な人文科学的知見をもたらせました。」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/9071123.html
(回答番号21)

cyototuさんの文章です。教えて!goo名言ベスト5のひとつだと思つてゐます。哲学カテゴリは「人間はどうあるべきか」に偏りすぎてゐます。現実に対応するときには、その点も必要なのですが、出発点は「人間は実際にはどうあるのか」だと思ひます。これが判つてゐなければ「どうあるべきか」を論じることができないのではないでせうか。

先日の質問ページに書いたのですが、「認識を深めることが人の使命である」などといふ見解は何の根拠もない単なるでまかせの言葉に思へます。「人間は実際にはどうあるのか」が見えてゐません。いきなり、さうあらねばならない、と主張するから、それに合せてわざわざハードルを上げて背伸びをせざるを得なくなります。結果として、わからないから教へてくださいと頼まれても、答へることができずに、俺の意見は易しい表現に直すのが不可能なのだとか、Q&Aサイトの馬鹿どもに理解できるはずはない、後世の天才のために書き残してゐるのだとか、そんな言ひ逃れの連続です。楽にしてさしあげたほうがよろしいのではないでせうか。肩苦しいサイトではないのに、自分で自分の首を絞めてゐる人が多いやうに見受けられます。

回答番号10で、[2][3]の活用について教へていただきました。回答番号6のコメントに記しましたが、いかがはしい新興宗教に財産を巻き上げられさうになつたときには、哲学カテゴリの現状を思ひうかべれば、救はれるかもしれません。

>すごく賢くなくて良かった~と思う。

「無知の知」が哲学の基本だと主張する人は多いのですが、ほんとうにさう思ふ人は少ないやうです。

御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/11/09 22:25

>数学は完璧な学問だと言はれますが、どうなのですか。



『数学とはなんですか』http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1155704 …

の一連のブログでいろいろ書いておきました。そこにも書いておきましたが、数学はなぜ完璧なのかに関して特別な事情があります。

そのことに関して数学もご多分に漏れず、発展進化して参りました。ちょっと待った。完璧な学問が進化するって、矛盾じゃないんかね。

実は、完璧であるように進化出来るちゅう一見矛盾して見えることを矛盾なくやってきたのが数学なんだね。これって数学だけだから、やっぱ数学は超特殊な、だからガキの学問だとあたしゃ日頃から言ってるんだ。

この世の中、相手が言っていることを否定しさえすれば何かが出来上がって来ると本気で考えているのは、ガキと数学者だけだ。以前得られた正しいとされた認識を未知な領域に拡張するには無限の方向がある。なのに数学は、「背理法」なる証明法が可能なような方向にだけ特化して進化して来た。要するに、拡張された後にも、否定的な見解が証明できたら、その対偶である肯定的な証明できたことになっているように発展させてきたんだ。

んで、何で背理法にこだわるのか。その答えは上で紹介したブログに詳しく書いておいたけど、背理法が使えると証明が桁違いに簡単になるからだ。数学者は背理法というこの美味い蜜どうしても手放せない麻薬中毒かアルコール依存症ってところだ。まあ、背理法の否定は一神教の連中が、神を否定するくらい恐ろしいことなんだろうね。

要するに、背理法が使える世界を完璧な世界って言ってるんだ。もちろんこれは虚構の世界なんで、われわれ現実の世界のは全く関係がない。だから、今後どんなことがわれわれに起こっても、現在の数学がすべてくづかご行きになる日が来る可能性はない。

対数が解んない連中は、理系の学者にも一杯いるよ。そもそも人間の能力は指数関数的に違っている。相手が自分より2倍優れていると思えたら、実際は10倍優れているんであり、3倍優れているって見えたら実際は100倍優れているんだ。だから人間の頭は実際の値じゃなくってその対数を感じるように出来ている。なのに理系の野郎には、その対数の値を現実の値だと思っている連中がいくらでもいる。こんな奴らが対数だ数学だっちったら、屁っと思ってていいよ。
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この回答へのお礼

おもしろい視点で教へていただき、ありがたうございます。むづかしげな数式の話があるのかと思つたのですが、社会への批判専門のガキとの対比には、目が開かれます。政治には空白がゆるされませんから、対案が必要です。

さういへば創造説の本を読んでゐると、よく似てゐます。進化論の問題点を列挙して、これは信用ならん、だから創造説なのだ、といふ論法なのですが、相手を批判しても自説の証明にはなりません。こんな簡単な方法で証明できるやうにしたのが数学者なのですね。

>もちろんこれは虚構の世界なんで、われわれ現実の世界のは全く関係がない。

しばしば科学の成果を、適用可能範囲をはるかに越えて社会にあてはめてゐる例を見ます。cyototuさんのやうな自然への謙虚な姿勢をお持ちの方の文章でしたら安心して読むことができます。

>人間の頭は実際の値じゃなくってその対数を感じるように出来ている。

化学薬品の運搬取扱をするときにpHが出てくるのですが、水素イオンが10倍になれば、酸つぱさとしての感じ方が2倍になると聞きます。大きな数を小さい数として認識できたり、難しいものを解りやすく説明できたり、cyototuさんのここでの文章は、人間本来のあり方なのでせうか。

お礼日時:2015/11/11 08:47

>No.11の回答に寄せられた補足コメントです。

補足日時:2015/11/10 06:51

に対する反応です。

その反応を披瀝する前に一言。11月9日に無事テキサス・オースチンの家に帰って参りました。毎回日本から帰って来るとき、自分の家が建っているのだろうか、変なことなんぞ起こっていないんだろうかと心配しながら帰って来ます。以前、帰って来たときには、キツツキに暖炉の煙突の壁を穴をあけられていました。また、家が傾いているときもありました。土台屋さんに連絡して、岩盤まで杭打ちをして家を奈良すのに、ウン百万円掛かりました。今回帰って来た時間は夜なので、明日の朝までどこがどうなっているか不安でもあり、楽しみでもあります。


さて、私は何処にでもいる理屈好きの思春期の典型だったのですが、お袋から何時も同じ返事きり帰って来ませんでした。

「世の中、理屈じゃない。」

この返事ばかり。この言葉は思春期の頃から私の中心課題だったようで、物理学と言うトコトン理屈の学問をやって、やっと50過ぎごろから、お袋が正しかったんだっちゅうことが経験で判るようになって来たと思います。

お袋は大正初期の日光の裏側の山奥の生まれ、尋常高等小学校、今で言う中学校の卒業です。子供の小さい手が、曲がったランプのガラスのスス掃除に一番良いという世界に育ち、汽車や海を初めて見たのは13才の時だったと言っておりました。娯楽のない山奥で唯一の楽しみは、百人一首だったとか。お袋は百人一首を全部そらで覚えておりました。それどころか、その替え歌まで覚えておりました。お袋から教わった百人一首のオマージュです:

ももしきやふるけて破けてけつが出て 朝の寒さにおちんこちぢまる

八重むぐら茂れる宿の寂しきに 一枝ちょうだいあっかんぺろりん

私の人生は、このお袋の「世の中、理屈じゃない」の言葉の意味との対峙でした。理屈の権化、現人神であられる物理学を生業にしてウン十年、やっとこのお袋の言葉の重みが実感できるようになりました。

安易な娯楽のない世界って、人間をどこまでも高みに持ち上げてくれるんですね。

今の私が言えることは、

理屈を学ぶ学問が数学であり、事実を学ぶ学問が歴史である。

んで、哲学は? それが知りたかったら事実(もっとわかり易い言葉で言うと事象)を数学で記述する努力をしなさい、ってところですかな。

んで、哲学よると、男女の中はどうなんだ。

鳴かぬなら抱いて上げようホトトギス

ってえのは正解かも知れん。
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この回答へのお礼

先日の質問ではamaguappaさんに手玉に取られ、今回のmiko-desiさんへの補足の文章は、余裕がないのをcyototuさんに見透かされてゐるやうです。文通相手の小学生の手紙を読むと、予期しない反論があつてコテンパンにやられてしまひます。小学生なみの高度な批判のできる人はこのサイトには少ないので、感謝してをります。

>自分の家が建っているのだろうか

さそりを逃がしてやるくらゐですから、推察いたします。

>世の中、理屈じゃない。

むづかしいものです。だからおもしろいのでせうけれど。『百人一首』は酷評する人もゐますが、やはり私は大衆受けするものが好きです。

>理屈を学ぶ学問が数学であり

数学は完璧な学問だと言はれますが、どうなのですか。頭の良い人たちが数学だけを特別視して平身低頭してゐるやうに見えます。現在の数学がすべてくづかご行きになる日が来る可能性はないのですか。少なくとも数学にからめとられるやうな生き方はしたくありません。男はともかく、女は数学での記述は無理ではないでせうか。

運送業に必要なのは、荷物の数がきちんとわかる程度のことです。以前化学カテゴリで対数について質問したことがあります。世の中には、指数がわかつても、対数のわからない人が大勢ゐます。理系の優秀な人たちには、この現実がどうしても理解できないやうです。仕事では対数を使はずに対数の計算を説明します。他の人に説明しようとすると、自分がどれだけ解つてゐないかを痛感します。

御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/11/10 21:11

#9での質問、



>だれの文章の影響なのですか

への反応です。

山路愛山の歯切れの良い文章は好きですね。戦前の聖書もそうなんだが、旧仮名遣いの文語は歯切れが良くて気持ちが良い。んで、歯に衣着せぬ文章は、畏れ多くも、南方熊楠神の御文の足の爪の垢ほどでも書けたらという夢のまた夢を見ているからなんだろう。『南方マンダラ』や『履歴書』の御文は、読んでいて、かたじけなくも涙こぼるるくらい有り難い。

あとは、なんつったてフーテンの寅さんだ。寅さんに言わせると、頭が良いお方はインテリゲンちゃんて言うんだそうで、そのゲンちゃんはイロノーゼに悩まされるんだそうだ。その点、あっしなんかそんな色事には縁がないもんで、気楽なもんだっちってた。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

お答へくださつてありがたうございます。私は大衆受けする有名なものしかわかりません。

>山路愛山の歯切れの良い文章は好きですね。

初めて聞く名前です。kindleで無料で手に入るものだけダウンロードしておきました。少し開いてみましたが、馴れるのに時間がかかりさうです。聖書は全巻通して読んだのは文語訳だけです。たしかに文体が似てゐます。多くの文学者が賞賛を惜しみませんが、係り結びのない漢文調の古文は少し硬さがあつて、私にはやや抵抗があります。かういふ文章がすらすら読めるのは素敵ですね。

>南方熊楠神の御文

こちらもcyototuさんのブログで拝見して知つた方で、少しだけ読みました。『南方マンダラ』は文庫本で近所の本屋に在庫があるやうですので、買つてきます。

>なんつったてフーテンの寅さんだ。

私もこの映画は好きです。DVDは第7作「奮闘篇」しか持つてゐませんが、ときどき観てゐます。「インテリゲンちゃん」といふのは、トラック運転手とは正反対ですね。ノイローゼになる前に、汗かいて一杯飲んだらさつさと忘れてしまひます。

お礼日時:2015/11/08 21:17

[1]が良い。

[2]と[3]は使いようで良くもなり得る、ってなところでしょうな。

>「規約にもとづいて公正に対処します」なんて出来もしないウソは不要です。

全く以て御尤も。不要で結構鵜、結構毛だらけ猫灰だらけですな。

あたしが若い頃[2]に騙されて、難しいことが言える人に憧れたこともあったんだよね。大学生の頃、ある先生が黒板にやたら難しい式を書き連ねて、あたしのさっぱりわからない授業をしてた。あたしも何時かあんな式が解るようになりたいと、憧れたもんだ。んで、大学院生になってしばらくして、その先生はここ10年以上一本も論文を書いていない輩だとしったとき、何だあの授業は素人相手のこけ脅しだったんだ、って判るようになった。

[2]と[3]の使い道なんだが、昔私の先生だったプリゴジン教授が日本のある大学で一般人向けの講演を行ったときの出来ごとだ。講演が終わって聴衆の一人の方が、聞きかじりの生半可な言葉を使いながら、なんか要領を得ない質問したんだ。その時、司会をしていた日本の大学の先生が、その質問者を小馬鹿にするような反応をしながら、プリゴジン教授に英語でその質問の内容を翻訳した。んで、驚いたのは、プリゴジン教授は、その質問の内容を全く無視して、その素人の方の言葉の中からプリゴジン教授が興味がある言葉に取り出して、とても深い内容のことを述べて下さった。もちろん、聴衆は大満足していた。その素晴しい内容の話を聞けたのは、この日本の大学の先生に小馬鹿にされた質問者のお陰なんで、その質問者も大満足していた。

あたしに言わせると、恥っ掻きの大馬鹿もんはその日本の大学の先生だったちゅうことになる。だから、[2]も[3]も使いようで、キラットした宝石にもなるんだね。
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この回答へのお礼

楽しい回答を寄せてくださり、ありがたうございます。やんはりとしたユーモアは気持ちが良いものです。だれの文章の影響なのですか。

>何だあの授業は素人相手のこけ脅しだったんだ、って判るようになった。

ブログでお書きになつてゐた記事を思ひだしました。
http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1208847 …
「国内外の物理学の専門家 ⇒ 大学院生 ⇒ 大学生 ⇒ 一般人 ⇒ 高校生 ⇒ 中学生⇒ 小学生
で講義の仕方がむずかしくなって行きます。......小学4年生の前で話せるようになったら、もう怖いものなしでしょう。」
子供に判るやうに話ができる、ここまでくれば本物ですね。私も同じ経験をしました。小学生の文通友だちがゐるのですが、いつも馬鹿にされてゐます。小学生に馬鹿にされるやうになつたら、もう怖いものなしです。Q&Aサイトの誹謗中傷など痛くも痒くもありません。

>[2]と[3]の使い道なんだが......

いいお話ですね。[2]の頭の良い人、[3]の礼儀正しい人、それぞれの才能を埋もれさせておくのは惜しい。おつしやるとほり活用してゆくものでせう。

「整備文」のやうなものは世の中を明るくします。[2][3]の文章を読むと、文字のひとつひとつから、パロディにしてくれ、と訴へる心の叫びが聞こえてきます。

お礼日時:2015/11/08 19:42

おじさんです。


「私としましては、[2][3]は削除されても差支へがないのですが、[1]は必要です。現状では逆に[1]のみがしばしば削除されてゐます。これについてどのやうに考へますか」
→書かれていることはよく分ります。
中身が大事ですから。
でも、表現の仕方にも気をつければ、もっといいでしょうね。
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この回答へのお礼

>おじさんです。

おねえさんの回答を希望してゐます。

>中身が大事ですから。

ものごとの良し悪しを決める基準はたくさんあると思ひます。組織の場合は、その目的が重要な要素だと私は考へてゐます。Q&Aサイトならば、当然のことながら質問をして回答し、そこから学ぶことです。[1]はこの目的に合致しますが、[2][3]は目的に反します。現在の状況は、運営側の問題といふよりも、利用者にそのやうな認識がないのだと思へます。

>表現の仕方にも気をつければ、もっといいでしょうね。

気をつけます。申し訳ございません。御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/11/08 19:17

豚が増えている?そうなのですか。

私は実は十五年も前に教えてGOOにおりました。IDが停止されたり忘却したりでOKWAVEに移り、そして分裂後また教えてGOOに戻ってきた口です。十五年も前の頃は、もう私は言いたい放題真っ逆さまでして、批判されているのにそれを批判とも思っていないような、なんというか暴虐文人でした。

最近。豚が増えたのはプラポチさんが豚の宣伝をするからでは?私も気づけば口を開けて餌を待っている次第です。
しかしそれでは困るというので、私はトウモロコシを生産しようと思います。知識は少ないので広く回答者様方にカバーしてもらおうw
豚さんたちも半分放牧ということで、自然の草を食べてもらうというのはどうですか?草、食べるのかな?

一角獣の方とはある程度信頼があると私は思っています。歯に衣着せぬ物言いも、だから出来るというのは有りますね。彼は豚ではないので、トウモロコシも草もきっと食べません。清涼な水と、清らかな乙女がいれば一角獣は生きていけるのですが、そういうとなんだか絶望的ですね。。
賢者の一人や二人現れてくれなければ、彼は干上がってしまうかも。
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この回答へのお礼

追加回答をありがたうございます。反対意見を出していただいたほうが役立ちます。豚は反対者が増えるほうが幸福です。回答番号2,3,4の方ももう少し反論してくださるとよろしいのですけれど。最近回答番号1,6の方がおとなしくなつたので心配してゐます。あほなさんが虐めたのではありませんか。

>IDが停止されたり

OKWave、gooでは珍しくないやうです。私も一度警告を受けました。ここは行儀の良い人の意見で規約が定められてゐるやうに感じます。最近は、自分が馬鹿だと書いただけで「誹謗中傷/名誉毀損」で削除されることがあります(笑)。私だけでなく、他に二人から聞きました。

メンヘラといふ用語をこのサイトで初めて知つたのですが、世間一般よりもはるかにその割合が高いやうですから、それなりの気遣ひは必要だとは思ひます。

>豚が増えたのはプラポチさんが豚の宣伝をするからでは?

宣伝はしてをりません。豚は私一人なのが最善です。生産者が増えてくれなければ困ります。豚理論の弱点です。あほなさんが一角獣さんと手を組んで崇高な理想を掲げて、非生産的ではなく、生産的な人を育てていただきたいと願ひます。

>私はトウモロコシを生産しようと思います。知識は少ないので広く回答者様方にカバーしてもらおうw

ありがたうございます。ついでに葡萄酒もお願ひいたします。

>豚さんたちも半分放牧ということで、自然の草を食べてもらうというのはどうですか?

「豚さんたち」は複数形のやうに見えるのですが、ここは単数形であるべきです。

>賢者の一人や二人現れてくれなければ、彼は干上がってしまうかも。

あほなさん一人で充分です。

お礼日時:2015/11/07 21:38

(ち) 末尾の文章例が [1]の《内容的確》に当てはまるか? この話は じつはその先があります。



 (つ) 難文は 背伸びをしている場合が多いと仮りにした場合 では やさしい文章は そうではないのか? という問いについて省みておかねばならないと思うからです。

 (と) 読みやすくしかも中身が充実している文章について それでもその文章が では 孔雀のように必要以上に着飾っていることはないか? あるいは やたら権威ある人物名などを押し並べて笠に着ようとしていないのか?

 (な) 難文の背伸びと 易文の着飾りと それらは互いに性質が違いますが それでも《羊頭と狗肉との差》がある〔としたら ある〕と考えられるからです。

 (に) 果たして 難解な表現を弄しようとする場合と すがすがしく軽く分かりやすい表現を並べる場合と いったいどちらがより多く《下駄を履かせて》いるか? どうでしょう。

 (ぬ) こういう場合は わざわざ統計を取る必要はないでしょう。目分量で捉えて けっきょくどっちもどっちである となれば それも ひとつの答えの目安となるでしょう。

 (ね) つまり だとすれば 掲げられた文章例は けっきょく 意味を成さない。と結論づけられるのではありませんか? 

 (の) 質問の仕方に あいまいなところがある。こういう指摘をするための回答でした。

 (は) けっきょく《内容の的確さ》を わたしたちはつねに問い求めている。それに尽きるのでは?
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この回答へのお礼

(ひ) 「けっきょく《内容の的確さ》を わたしたちはつねに問い求めている。それに尽きるのでは?」との御指摘はそのとほりと存じます。ただし不特定多数の参加するサイトにあつては、それなりの表現は必要でせうし、わからない表現があれば、判つたふりをするよりは尋ねるのが当然ですし、尋ねられれば噛みくだいて説明するのことも必要です。それができてゐない状態が広がつてゐるやうに感じます。

(ふ) 《難解な文章》についての回答をいただいてゐましたので、もう少し補足します。

(へ) bさんの投稿は、pさんの投稿よりもはるかに優れた内容だと私は見てゐます。しかしこのサイトでは、pさんを支持する人のほうが圧倒的に多く存在します。その要因は戦略の相違です。

(ほ) bさんのお好きなアウグスティヌスの時代には「説話」が大きな影響力を持ちました。そのため初期教父と尊敬される人たちは荒唐無稽な譬を多用して人人を説得することに成功しました。

(ま) しかし時代は変りました。説得のための現代の道具は「科学」です。新興宗教では進化論、相対性理論、量子力学などが大流行です。「○○の科学」といふ名称の宗教団体まであるくらゐです。でたらめであつてもそれらしく科学のやうな話をするだけで簡単に説得されてしまひます。

(み) このサイトの状況も似たやうなものだと思つてゐます。充分な知識のある人は、猪突さんの物理学にせよ、たすてんさんの音楽論にせよ、むやみと別の分野に持ちこんだりはしません。

(む) アウグスティヌスが現代に生きてゐたら、pさんと同じ手法を使つたかもしれません。

(め) 御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/11/07 20:41

結構みんな、自由にやってるから、回答の取捨選択は各自のリテラシーに任されると思うんですよ。

見栄を張って難しい風な事を言って何が悪いのかと思いますね。丁寧だけど言いたい事が散らばっていて目も当てられないとか、ネットカルチャーにおいては茶飯事でしょう。(プラポチさんはそれらは悪いとは言ってはいませんが。)

分かっている人は簡潔な言葉を用いて語り、しかも筋が通っているものですが、それはそれでいいのですが、散乱した思索の足跡がそのまま表れているような珍回答も、実は旨いんじゃないかと私は思っています。言葉にはその人の実情や実態が意識せずとも込められてしまうものです。それを食わず嫌いしては、人を蔑ろにしたことになるのではないかと私などは危惧します。

さて、問題の〔1〕についてですが、これを受け入れられない人がいて、しかもその人の要求がそのまま通ってしまう場合、要するに削除されてしまう場合、それは単純に損失なのではなく、通る声も通らなくなるこのQAコミュニティという世間の危うさを露呈しているのではないかと思います。
お上品にラッピングされたものでしか手に取れないようでは、天然物の旬の旨味は永遠に分からない。アクがある故に世間において持ち上げられず、持ち上げられない故に生き残った貴重な資源が、ネットという場所で時々発見される。しかし食べ方を知らない人はそれを忌避して、滋養の高い事を知らないまま捨ててしまう。
サプリメントのような回答ばかりを選んで健康になったような気がするが、そんなので人生楽しいのか?
化粧の下で進行する老いに怯えて、外面だけ取り繕っても心の若さは得られない。
表面を撫でるような引いた言葉では友は得られない。

野球で言う一番危ない球はデッドボールではありません。それは置きに行った球威のない球です。拙さとは違う、上手いが故に上手さで切り抜けようとした結果、ガツンとやられるという事なのです。

耳に心地いい言葉を人は求めがちです。間違いでも受け入れてしまえば耳が腐っていたと言われても仕方ない。昔から危険は甘いと言われてるもんですよ。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

「○○だけど素直な人」発言は、ご本人も気に入つていらつしやるやうです。これが一角獣さんのいいところです。世界平和は近いのかもしれません。「無知の知」を標榜する哲学カテゴリならば、もつとあつてもいいと思ひます。

>散乱した思索の足跡がそのまま表れているような珍回答も、実は旨いんじゃないかと私は思っています。

御指摘のとほりです。さまざまな投稿があるからこそ、楽しめます。ただし、私のやうな者もふくめて「非正統的な」投稿が主流になつたのでは、Q&Aサイトの意義が失はれてしまひます。豚はあくまでも少数派でなければなりません。回答番号2のコメントの初めに書いたのですが、gooが独立してから、豚がどんどん増殖してゐるやうに感じます。質の低下は他のカテゴリでも盛んに指摘されてゐることです。cyototuさんがおもしろいことをおつしやつてゐました。生産的の反対は消費的ではなく非生産的だと。たしかにさうですね。違ひは非生産的といふのは生産を意識してそのつもりになつてゐるだけなのに対して、消費的といふのは生産には無頓着だといふ点です。増殖してゐる豚は、消費的ではなく、非生産的です。

>要するに削除されてしまう場合

回答番号4のコメントに書きましたが、削除そのものは楽しみのひとつです。ただ、削除される回答から学べるものがたくさんあるのに、退治して正義感を誇るだけといふのは惜しい気がします。ここに目を向けるだけで、すばらしい回答が次から次へと出てくるのではないでせうか。私はオモテなしさんの回答からこれまで何度もヒントをもらひました。

>それは置きに行った球威のない球です。拙さとは違う、上手いが故に上手さで切り抜けようとした結果、ガツンとやられるという事なのです。

興味深い譬ですね。そのとほりだと思ひます。回答番号1の方は球児だつたさうです。

御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/11/07 19:54

plapotiさんの望む回答(本当の事だと思える)が削除されなければ、たぶんこうした質問はしなくて済むはず。


運営方針への不満が動機となった質問や、そうでない質問でもお例文などでしばしばその不満が直接的表現として有ります。
弱者の立場としてそうしたくなる気持ちは理解できます。
でもその気持ちを抑えることが、ここを利用する立場の節度かと思います。

質問文の中で引用されたというカッコ内の文に付いては、これが運営者に向けての"注文"であるならば、直接メッセージと云う形で出せばよいと思いますが、我々利用者に対するメッセージならばここで大いに"議論"するべきだと考えます。
その"議論"の是非は運営者が判断することでしょう。

削除すべきだ、すべきでない、は運営者の手の内に在り、運営者にとって利用者のこうした声はスズメのさえずり程度の事だと思えます。

それよりはもっと高度に、質疑応答の内容を確かなものにしてそれと知らしめる事で意味と価値を付ける事の方が、運営者の心を動かすのではないでしょうか。
個人も組織も短絡的批判には反発したくなるものです。

plapotiさんは、こうした運営者への"批判"を除けばとても有意義で魅力的な質問と返答をしていて、その効果は現れてきていて、私は手ごたえを感じています。
plapotiさんの力です。

私が勝手につけたニックネーム『逆説のplapoti』は別の物に変えました。

暖かな春の日のお花畑で華麗に舞う蝶の様に振る舞うので

『揚羽のplapoti』・・・・・と。
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この回答へのお礼

丁寧な回答を寄せていただいてありがたうございます。

>運営方針への不満が動機となった質問

不満があるわけではありません。削除される側も気にしすぎです。私としては堂堂と「俺がルールだ」と宣言しておもしろくやつていただきたいと思つてゐます。「規約にもとづいて公正に対処します」なんて出来もしないウソは不要です。

質問文の書き方が悪かつたのですが、今回は他の人たちからの批判について哲学カテゴリとしてどのやうに答へるのか、といふのが主な論題です。いつものことですが、関連した内容であれば、脱線も大歓迎です。

yy8yy8azさんや回答番号5のあほなさんは、背伸びをせず自然体で投稿なさいますから、話がしやすいのですが、さうでない人の場合は、プライドを傷つけないやうにするのに結構気を遣ひます。ときどきは気を遣はないこともありますけれど。

>『逆説のplapoti』は別の物に変えました。

判つていただけたやうですね。私は逆のことを言つてゐるわけではありません。回答番号2のコメントのリンク先の質問ページにつきましても、「オモテなし」さんの勇気ある投稿に感銘を受けたからこそ私が回答を引きつぎました。「オモテなし」さんのすばらしい回答を評価する人がゐないことが不思議です。

>揚羽

蝶はねこひこさんです。

荘周は猫に追はれてうなされん胡蝶となりし春の日の夢
(『徳和歌後万載集』巻第12 野崎左文校訂 岩波文庫 110ページ)

お礼日時:2015/11/07 19:25

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