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中山茂大著の“イスラムと世界を知る本“を、興味深く読んでいて、気になる個所に遭遇しました。
“ポルトガルがアフリカ大陸を迂回しインドへ辿り着いた”と“スペインが新大陸から香料諸島に到着した”という説明の後に、次が続きます。
<これ以降、ヨーロッパ世界の破竹の進撃が始まるわけだが、地中海にはオスマン帝国が、インドにはムガール帝国が、中国には清朝が、日本には徳川幕府が、ロシアにはロマノフ朝が、という具合に長期政権がそれぞれ誕生した。
世界が安穏としている間に戦争を続けていたのは欧州だけであった。>
お聞きしたいことは、以下です。
1.各地で(徳川幕府も含めて)長期政権が成立したことには、世界史的に何か要因があったのですか?
2.あるいは、たんに、各地で長期政権が重なったに過ぎないのですか?
教えて下さい。
         
      オスマン帝国(1299~1922)、 ムガール帝国(1526~1858)
      清朝(1644~1912)、 徳川幕府(1603~1867)
      ロマノフ朝(1613~1917))

A 回答 (6件)

長期政権?は、多くの地域で、多くの時代に成立していて、17世紀~19世紀に特有のこととは思えません。


http://www.eonet.ne.jp/~libell/1yosikawa.html
むしろ、上記の世界史対照年表の範囲で見るならば、19世紀以降には各地で四分五裂で短期の消長が起きているようにさえ見えます。
それは19世紀、20世紀だと、現在の国家レベルの大きさの版図をもつところが争う状態になったのであって、もっと以前には、経済圏が狭かったり、広範な地域を統治する組織を持てるだけの発展段階にはなかったところが多かったのではないかと思います。5百年前、1千年前でも、広域に版図を持つ国(王権・王朝)はあり、そうした国は数百年間続いていたことも多いです。
なお、多くの王朝・王権は長期に存続していたとしても、旺盛な状態は前半にあり、その最盛期以降は長い期間衰退しながら続き、他に侵略、打倒されるまでは、結構権威だけのように続きます。 それって、企業や商店などでも似たようなものです。
なお、「ヨーロッパ世界の破竹の進撃」といっても、国家体制別に眺めれば、結構バラバラです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
引用して頂いて世界史対照年表を眺めると、各地で沢山の国が興亡しています。いつの時代にも、長期政権が並列して存続していますね。徳川幕府の時代にだけ、長期政権が著しく多かった、とは言えませんね。

お礼日時:2015/11/26 08:20

あれ? なんか文章に違和感があるなぁ....



最後の「世界が安穏としている間に戦争を続けていたのは欧州だけであった」のところ, 実際には「長期政権」と直接関係ないよねぇ.

あと突っ込んでおくと, 「そもそも『政権』とはなんぞや」ってところから問題になる. 特に「○○朝」で表されるものが東洋 (主に中国や日本) とヨーロッパでずれているので, その違いに気をつけないといけない. 例えば「徳川幕府」では 7代家継から 8代吉宗に将軍職が受け継がれてるけど, その間は 8親等離れているのでヨーロッパなら十分「別王朝」と数えられるレベル. 逆に, フランスではシャルル 4世からフィリップ 6世に王位が渡ったときにカペー朝からバロア朝に変わったとするんだけど, この 2人はともにフランス王フィリップ 3世の孫 (つまり 4親等) だから, 東洋の「王朝」の概念を使えば「同じ」ということになる (さらにいうとそのあとのブルボン朝もカペー朝の支流なので, その観点では「フランスは 987年から 1792年までカペー朝の支配下にあった」ともいえる).
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
1.欧州・・・について、著者は、(残念ながら)全世界に該当することではではない、と言いたいのかな、と私は思っています。
2.挙げられた5長期政権は、細かく検討すれば、別の評価になるのですね。

お礼日時:2015/12/01 19:36

オスマン帝国の600年の長期政権の前には、1000年に渡るビザンツ帝国の超長期政権がありましたし、清朝の前には260年に渡る明朝の長期政権がありました。

また、ムガル帝国は300年続いていますが、インド半島の大部分を支配していたのは100年くらいで、あとはインドの一部しか統治していなかったようです。
後はロシアと日本の長期政権ですが、17世紀頃から軍事技術が発展するとともに武器の高価格化が進み、一部の権力者しか武器を購入できなくなったということが理由としてあると思います。
金のない異民族や庶民による反乱はたやすく鎮圧されるようになったので、政権が長期化したのでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
1.超・長期政権があるものですね。また、長期政権と言っても、一部しか統治できなくなったのもあるのですね。
2.軍事技術の発展により、武器の高価格化が進み、
<金のない異民族や庶民による反乱はたやすく鎮圧されるようになった>
のですね。

お礼日時:2015/11/30 17:44

政権の安定は紛争・戦さの起こらない状態が続くことが要件です。

手槍一つで事を構えられた時代から火薬・火力の発達により、争いの規模や形態が変化してしまったことが大きな理由と考えられます。これまでのように少々のチカラでは反乱が起こせなくなってしまったのです。

武器も戦闘員も戦時の体験の中で磨かれ成長します。長期安定政権の中で争いが無かったことが、もともと軍事力で成立した政権のその軍事力を弱体化させてしまいました。結果せっかくの長期政権も滅ぼされてしまいましたよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
武器などの発展より
<少々のチカラでは反乱が起こせなくなってしまった>
ことが、政権の安定・長期化に寄与したのですね。

お礼日時:2015/11/27 11:46

オスマンとか清朝を長期政権と言う言い方にはお目にかかったことがないが、もしこれを長期政権と言うなら、4000年の昔から長期政権の連続で、この時代に限ったことではないですよ。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<オスマンとか清朝を長期政権と言う言い方にはお目にかかったことがない>
そうですね。ところで、二つの政権期間は600年以上と200年以上ですが、長期政権というのは、その期間のみでは判定できないのですか? 政権の、たとえば強力さが必要なのですか?

お礼日時:2015/11/27 11:37

おもしろい視点ですね。

銃の発達で軍事力が安定してきたと言うことがあると思います。チャンバラの時代なら一人の英雄が暴れたら100人ぐらい殺したなんて事もあったでしょうが、(三国志にそんな話が多い)銃の時代になるとそれが出来なくなった。
 陣地を作って銃を構えていれば滅多に負けることがなかったと言うこともあると思います
 またまだ航海技術が発達していなかったので、外国に大量の軍隊を送ることが出来なかった、と言う面も多いと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
要因として
1.<銃の発達で軍事力が安定してきた。
ですね。一たび政権が成立すると、軍事面での崩壊が起きえなくなった、ということですね。
2.<航海技術が発達していなかった>
ですね。特に、欧州は混乱しているので、体制の面でも、航海技術の面でも、大軍隊を送ることが難しかったのですね。

お礼日時:2015/11/25 16:33

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