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いま小学校で「学級崩壊」が深刻な問題になっていると。あなたが有効だと思う改善策は?

参考URL:小学校の学級崩壊、なぜ起こる?
http://news.goo.ne.jp/article/mamatenna/life/mam …
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gooニュース編集部から時事問題に関する質問をお届けします
http://news.goo.ne.jp/

A 回答 (7件)

有効な改善策?ないでしょうね。



そもそも、現状をどのように捉えるか、によって「学級崩壊」の意味が全く違ってきます。その議論をせずに改善策はありません。

一般的に「学級崩壊」という場合、特に1年生ぐらいの時に、椅子に座ってられない子がいる、授業時間中集中していられない子がいる、などの「問題」とされる行動があってこれが高学年時まで尾を引くと、クラス全体が荒れて効果的な授業ができない「学級崩壊」になっていくわけです。

で、これらの原因はすべて生徒側にあり、しつけができていない保護者の責任になっているわけです。

しかし、現代社会は「自由」をよりよい価値観として認めています。古臭い風習やしきたりから解放されて、自由に個人の意思を尊重する社会、を目指しているわけです。

であるなら、昔の子供はシキタリにしたがって椅子に縛られていただけであって、今の子供たちは(現代の大人の影響を受けて)より自分の要求を伝えるのに躊躇をしないだけ、という考え方もできるでしょう。

実際問題として、家庭が崩壊していなくても、しつけが満足にできない親世代も多いのが現状だからです。そして彼らはまさに「現代的な価値観」の要求として、厳しい躾けを行っていない、可能性もあります。

つまりここでまず考えなければいけないのは
・学級崩壊に至らないようにするための「躾け」とか「集団行動の価値観」の基準をどこに定めるのか
ということにほかなりません。

教師や一般的な認識として「保護者は学校に上がる前に躾けを行って、集団行動に耐えうる新入学児を育成している」と当然おもっているのに対して、保護者達は(全員ではないが)そのように考えていない人もたくさんいる、ということであり、その認識のズレが一斉にスタートする1年生の教室で不協和音として学級崩壊に至るのである、と考えるほうが自然であるといえるでしょう。

そして、学校側は「親に協力は求めるが、学校で預かった以上、躾けもなにかも学校で行う」と考え実行するために、教師に負担がかかり、教師の鬱や過剰反応による学級崩壊が起きている、と考えたほうが健全であると思います。

このように考えて初めて、学級崩壊を防ぐ手立てを考えることができるのではないでしょうか。
以下は、防ぐための提案です。

1 学校は1年生に要求する能力をあらかじめ明確にし、そのためのスキルを身に着けるように未就学児の保護者に通達する。(たとえば、授業の途中でトイレに行かない程度に我慢ができるとか、授業時間中椅子に座っていられる集中力をつけておく、などです)

 これらができない場合、クラスから外して専門的なトレーニングを行う旨もあらかじめ通達し、クラス担任の教師とは別にトレーナーになる教師などを学校に配置する。

2 教師の責任の範囲を明確にする。
 あくまでも教師は「学業を教える専門家」です。学業を教える前段階の子供はトレーニングを行うだけでなく、中学年以降のいじめ問題なども「学校の責任としてかかわる範囲」をもっと明確にするほうがいいでしょう。今のままでは、理不尽な児童やモンスターペアレントにすべての責任を押し付けられて、教師の仕事とストレスが増えるばかりです。
 ここから先はできない、保護者の責任、という線を明確にすべきですし、保護者が忙しくて躾ができないなら、学校以外の行政でフォローすべきかもしれません。

3 ルールを明確化・厳格化して運用する
 たとえば、欧米などは日本以上にしつけができていない生徒がたくさんいます。しかし、学級崩壊に至る例は少ない(いや、少なくはないが日本とは違う)です。これは、ルールが明確でルールを破る児童は排除できる、というコンセンサスがあるからです。問題児を排除できれば学級崩壊もしにくくなります。

4 教師の権限も限定する。
 今、学校では「教師が生徒から暴力を受けたら、警察を介入させることに躊躇しない」という取り決めがあるようですが、逆に「教師が限度を超えて生徒に暴力を振るった場合」についての明確な線引きはありません。また、実際に生徒が教師の暴力に対して警察を呼ぶことは難しいです。
 ルールを明確にしても、運用する教師のほうがあやふやだとルールにかこつけたリンチになりやすいものです。
 教師がルールを守ること、これも重要な問題です。

これら、今までの教育として惰性的に教師の頑張りに任せてきた部分が多いでしょう。明確なルールと、教師の権限を制限することによってのみ、バランスのとれた活動が復活するのではないでしょうか。
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学校教育が変だな?と思い出したのは


「徒競走でみんな一斉にゴールする」という話を、どこかで聞いてからのことです。
「それなら競争しなきゃいいのに?」ということになるはず。
運動会で「お弁当」を各自持ってきて親と一緒に食べるのは、きっと楽しい記憶になるはずですが、これもまた「差別を生みやすい」とのことで給食になったのでしたっけ?。

イジメの問題がクローズアップされて、イジメを行った子たちや、その親達に対しての風当たりは大きなものがあります。
イジメによって、自殺してしまう子が出てしまうと、その矛先はそれ以外にも学校側に向いてしまいます。
学校側は「イジメはなかった(確認できなかった)」という事を先に言いますが、果たして誰が「イジメの原因はこうで、こうすれば良かったんだよ?」と語れるでしょうか?。
子供には子供なりの「心理」があり、プライドがあります。
自負があって、それは大人が日々感じているものより、もしかしたらずっと強固で大きく、激しいものかもしれません。

その他にも教師のストレスから来るであろう失態、理想から外れたことからの現場への失望、モンスター・ペアレントの増加(昔からこういった親たちはいますから)、内申書の評価への傾倒など、書ききれないほどの問題が「野放しのまま」で、現場は動いているはずなのです。

何一つ、満足な解決策を持てないままの教師は無力だと想像が出来ます。
何かをやりたい、理想を燃やして教育現場にデビューした教師たちが、燃え尽きるようになって辞めていく。
責任感が強くて、義心が旺盛な方だからこそ教師を目指されるのでしょうから、それが失望に変わってしまった瞬間から、目の前が暗闇と化し、ただ彷徨い続けるしか無いと、観念をしてしまうのではないでしょうか。

ボロボロと化した教師たちに、果たして何が出来るのでしょうか。
懸命に職務を全うせんと足掻き、しかし、立つ地の無いことに苛立ち、やがてはすべてを捨てるようにして蹲ってしまう。
生き残れるのは、どこかで現在の教育制度を呑み込んで、自身を強固な殻に包むようにして教壇に立ち続けることが出来るような、そんな人だけのような気がします。

そうです。
学校、という場所…クラスという場所は、最早「鳥の巣」と同じです。
親鳥はただ、卵を抱くことしか知らず、愚鈍なまでにその「孵化」を待ち望みます。
オスはただひたすらに、孵化した雛に餌をやり続けるだけです。
雛達は、互いの「生存権」を巡って、熾烈な戦いを繰り広げます。
そしていくつかの卵は巣の外に落ちて死に、孵化した雛も、弱々しくしか鳴けない個体は、親に見放されるまま死んでいきます。
動かなくなってしまった雛は、巣の外に押しやられてしまう。
巣から「見えなく」なってしまったものに、一瞥の視線すらかけられることはありません。
そして…「彼等」は、その巣が「どこにかけられているのか」を理解できません。
嵐が来れば落下してしまうような、そんな場所にかけられた巣の上でさえ、自然の掟とはいえ「慈悲無き営み」は繰り返されているのです。

然れども!私たちは「ヒト」なのです。
見て見ぬふりをしたままで、生きていっていいはずがない。
零れ落ちそうな子供には、その為の「網」を作らなければいけない。
引き上げ、救わねばいけない。
弱々しくしか鳴けない子供には、きょうだいたちが手を上げ、親に知らせねばならない。

巣が小さいならば、大きく拡げねばならない。
住処が小さければ、少しだけ誰もがそれを分け与えねばならない。
これは、徒競走で「皆が並んでゴールする」などという「おためごかし」ではない。
それよりも遥かに、自らの身を、心を砕いて他人へと飲ませるという「命の水」を、私たちは自らの血で補わなければいけないのです。

差別で傷む心を救えるのは、自らの傷口から流れる、その「血」だけです。
互いが対等になるということは、互いが不完全であり、未完成であるということを認められる存在にしか出来ない。
差別的であるとか、格差だとかをいくら口に出したところで、傷つけられた心がそれで埋まるわけもない。

学級崩壊がなぜ起こるか?って??。
水を多量に含んだ「崖」が、崩れないという保証などありはしないだろう!?。
学級崩壊は、今の教育現場が抱えた問題が、行き場なく溜まり続けた結果での「爆発」に過ぎない。
理由はとても「単純」だ。
皆が自らの行動への「責任」を放棄している…ただそれだけのことにすぎない。

日本人が果たして「ヒト」として居続けられるのかどうか。
その選択は、そう先のことではない気がしている。
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知育・体育・徳育をすべて学校でするのは無理。


体育と徳育は集団社会での実践に重きを置いて「体で習う」べきものだし、
知育は必須と選択に分けて「頭で学ぶ」べきものと考えます。
学校は知育に集中すべきで、体育と徳育を「習う」場としては不向きに感じます。

それと、国家の中枢が左脳集団化しているのも大きな「弊害」と思います。
小賢しい知識では対処出来る範囲も限定されます。
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(1)家庭教育に問題がありそうです。

子供は親が育てるもの、というのではなくて社会や地域が育てるもという文化を政府がCMを作って根付かせる。それにより自己中な子供が減る。

(2)子供数が減って教師は余るのだから、時々1教室に2人にすればいかがでしょうか。

(3)老人にボランティアで教室を見てもらってアドバイスを頂いたらどうでしょうか?
日本には人生経験豊かで暇を持て余している老人がたくさんいます。
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昭和の教育方針を復活させる。


つまり、悪い事にはペナルティを与える。
「後ろに立っていなさい」とか、「職員室前の廊下に立っていなさい」とか昭和に有ったペナルティの復活。
時にはコツンと拳を当てる事も必用でしょうし、授業中騒いだならばチョークを投げつけるのもアリとしないと。
今では直ぐに体罰だと言い始めますが、悪い事をしたならばそれに対する対価としてのペナルティは必用。
また、自分の子が・・・と言うモンスターペアレントのバカ親増殖で教職も単なるサラリーマン化していますので、モンスターペアレントに
対しても論破出来る様な研修制度を設けて教職員を研修させる。
場合によっては軍隊式教育も必用かも知れません。
野蛮だとか暴力だとか言い始める大人も多いですが、自分らも怒られずに育って親と為った世代ですから、昭和世代から言わせれば
バカ親としか見えない。
「可愛い子は旅をさせろ」と言う言葉もありますから、旅をすると言う事は困難にも直面し自分で解決しないと為らないですので
親が口を出すのはルール違反。
教育委員会なんて事なかれ主義ですから権力を与えず、指揮検討実行権などは現場に与えるべきであるし、それに伴い責任も
持たせるべきでしょう。
今の体制の教育委員会など不要。
文科省も「まあまあ」や「なあなあ」とならずに、悪役を買って出るべきであろう。
選挙の時には綺麗事の羅列で人気を取ろうとし、現場を見て見ぬ振りをしたり見ようともしない候補者が多いので、現実的な
教育改革の方法を有権者が出させる必用もあるでしょうね。
学校は教科を教えるだけでは無く躾けや指導も本来あるべきなのだが、バカ親によって教育崩壊となってしまった事によって
学級崩壊へと繋がったと言っても過言では無いでしょう。
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こんにちは。


複数の高校で非常勤講師をしております。

私は、高校で芸術を教えておりますが、
年々、学級崩壊の面影を見る機会が増えています。

わたしは、比較的、家庭などに問題を抱える子が多く、
学力レベルも低めな学校で、
毎年3校以上、10年間教えています。


その上で、年々、痛感しているのは、
高校に入るまで、
きちんとルール(校則)に関する受け取り方や、
先生と生徒、親(大人)と自分の立場の違いを理解していないということです。

人として対等であるという事と、
責任を持っている立場の違いは一緒にしては行けませんが、
それを説明している人は親も含めて少ないです。

例えばですが、
ピアスや化粧などに関しても、
生徒は「なんで先生は良いのに私たちはダメなのよ?納得できない」と
エラそうに主張するコが毎年の様にいますが、

「あのねぇ…そもそも、先生にも「高校時代」があって
 少なからず、同じような校則がある中で、破れば怒られる責任も全うした上で、
 クリアして今があるんだから、
 まだそれすらクリアしていない君たちと一緒にしないでくれる?」…と。
 「クリアしたからこそ、その辺の自由が許されてるのよ〜」と言えば、
ほぼ、文句を言うコはいません。
なるほど…と納得してくれますが、そこまで説明している人は少数だと思います。

そんなこと、「言わなくてもわかれ!」で済ませている大人も多いのではないでしょうか?



②で説明させていただきますが、
きちんと言えば、素直に理解し、きちんと対応できる子がほとんどにもかかわらず、
なぜ、高校に入るまでの、もっと柔軟で素直なうちに、
親も教育者もそれらをキチンと伝え、徹底してこなかったのか?と、
毎年の様に不思議に思います。

やんちゃな子ほど、毎年の様に4〜6月くらいまでは
かなりぶつかり合いしんどいですが、
結果的に、正論で、何で怒っているのかということも含め、
生徒の無意味な脅しや態度に対して、屈する事もなく、
そんなの通用しないよ…とやり取りし合えば、
互いに理解を深める事ができます。

それゆえ、これまで、親や先生達は
この子たちと、そこまで向き合う事もぶつかる事もせず
放置してきたんだろうな…と感じる事が多いです。



【①親の教育。】

 親が、自分の責任を放り出し、全てを教員に任せている感じが否めません。
 自分ができていないのに、教師を攻める親も多いです。

 また、自分の都合ばかり、自分の子供の事ばかりで、
 周りのことを思いやらない親も多いです。

 どちらに関しても、自分のやりたくない事はせず、人任せにしている事が原因です。
 親としての責任を果たしているとは言えません。

 自分が親であるという自覚を持たせる事、
 子供と真正面から向き合う方法を教える事、
 教育は①に両親、②に学校、③に親同士の連携が必要である事を
 今一度理解することが大切だと思います。



【②学校の方針の徹底。】

 「郷に入れば郷に従え。」
 校則が、なぜあるのかを理解していない子供は多いです。
 そして、それをきちんと説明できる親も先生も少ないかと。

 学校に入学した際、
 なぜ、校則があるのか、
 なぜ、人を傷つける行いをしては行けないのか、
 なぜ、授業中立ち歩いたり、おしゃべりをしてはいけないのか。

 きちんと、わかりやすく、根本を伝えないと子供も親も理解できないと思います。

 子供は、柔軟ですし素直ですから、
 きちんと言えば、大半の子は納得できます。

 ですが、
 価値観が凝り固まった大人ほど、受け入れる事が難しくなります。

 上からエラそうに言うのではなく、
 あくまでも、子供のため、学校のため、ご両親のため、
 できる限り多くの人が、トラブルなく和やかに過ごす為に必要な事柄であり、
 学校は、こういう目的でこういう方針を掲げていることや、
 ルールを守らず、また迷惑行為をした際のペナルティに関しても
 あらかじめキチンと、堂々と、強く主張し伝える事ができていないため、
 親が勘違いをしてモンスター化しているとも思います。

 現場は、教育委員会や校長・教頭などのトップと、
 身勝手な親の板挟みで、どちらも無関心で担任などに押し付け合ってるのも
 否めません。

 それゆえ、しっかりと、学校は正当な理由がある事には
 いくら親が文句を言ってきたとしても、堂々と対応し、
 それでも親が納得しないというのであれば、停学も考慮するなどの
 対処ができる環境を整えないと、
 どんどん学校や先生の威厳もなくなる一方だと思います。

 義務教育ではない高校では、最終的に「退学」とできますが、
 小・中学校では、それがない分、強く出る事も難しく、
 子供も親も危機感がないのでは…と感じています。

 義務教育とか、そんなことは関係なく、
 学校は、家庭ではないのだから、“ 家の普通 ” が必ずしも通用するとは限らない事、
 さまざまな価値観の中で、思いやりを持ち、柔軟に受け入れることの大切さも
 理解させる必要があると思います。 
 ですから、自分勝手な行動や言い分には、子供にも親にも
 徹底してペナルティをあたえるシステムにすることは必要だと思います。


 また、問題行為のある児童・生徒が1・2人ではない場合は、
 正直、1人の先生でできる範囲はどうしても限られてきます。

 授業を進行する先生・補助する先生というように、
 2人体制、教科に応じては3人体制で対応するなども必要だと思います。

 今、先生の鬱病による休職・退職が増えているのは、それが原因です。
 1人ですべてを抱え込ませてしまう環境が問題だと。

 先生は、基本1人で授業する為、責任も大きく、
 問題も1人で抱え込みやすい環境だと思います。

 プライドも高いですし、なかなか人に相談するのが難しい方も多いですが、
 会議などの回数が多い学校ほど、
 先生同士のコミュニケーションが取れ、連携も対策もとれている分、
 困難を乗り越える環境が整っている印象があります。



③【考える力・想像する力=思いやりを養う大切さ】

 私は、芸術を教えています。
 年々、受験に関係ないという理由で、
 実技教科が減らされて行っています。

 小学校や中学校ですら、
 「図工キット」のような物を配布し、組み立てるだけ…のような
 簡易的な内容をしているだけで済ましている所も増えているようです。

 何が言いたいかと申しますと、
 断然、自分でイチから考えて物作りをすることができないコが増えているという事です。

 アドバイスや見本がないと、フリーズしてしまい何もできないまま1時間過ごす…
 なんてコもザラに居ます。

 失敗を恐れ、自分の能力に見合わない完成を望むからです。

 それは、自分で考える事をせず、イチから挑戦する事もしてこなかったからこその
 勘違いと驕りがあるからだと思っています。
 能力と自覚の不一致といえるかと思います。

 そして、親もそれに気づいていない。。。なんてことも多いです。


 考える力・想像する力は、先を見越し、臨機応変に行動する為に必要な事柄だと思います。

 社会に出て、仕事をする際、重宝されるのは、
 言われた事しかできない、自分で考える事ができない人ではないと思います。
 
 自分で状況を見て判断し、自分なりに考える事や
 アイデアや意見を求められた時に自分の意志を持って伝える事ができる人だと思います。

 ですが、考える事や想像する事をしてこなかった人は、それができません。
 やり方もわかっていないからです。

 学校で教えられる機会がなくとも、
 家庭で知る機会があればいいですが、むしろその方が少ないでしょうし…。


また、自分で考える事ができ、先を見据えることができれば、
どんな行動すると良いか・悪いか…などもわかります。

人に対してどういうことをすれば迷惑をかけるか・悲しませるか、
ポイ捨てがなぜダメなのか…も先々を考えれば自分で気づけるはずです。

思いやりは、人だけでなく動物や環境に対するものでもあるので、
それらを理解する事は、生きる力として必要だと思います。


 その為に、芸術や体育など、自ら体も脳みそも動かし体験する教科が大切で、
 今だからこそ、重要であると思うのですが……^^;
 
 残念ながら、そのような考えに至るのは、私のような当事者だけなのかも知れませんね…。

 

学校は学校で閉鎖的で、
先生方も一般的な常識云々がわかっていない方も多いのが事実です。

一方で、親は親で、人の立場になって思いやりを持って接する事をせず、
あげく、親同士でイジメをしているような、
情けない親も多いように思います。

本来であれば、親は、どんなコに対しても優しく
許容を広げて、子供に平等に接する大切さを伝えるべき立場なのに…です。

親がコミュニケーション不足で、知識・視野共に不足しつつあることが増えている分、
それらを教えられる機会もない子供が増えているため、
学級崩壊につながりやすいのではないでしょうか?


長々と、エラそうに失礼致しました。
少しでもご参考になれば幸いです。
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再婚回数の法的制限。

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