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http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%82%aa …

これは個人の問題ではなく、世の中全般に蔓延する問題のような気がするのですが・・・
いかがなものでしょうか?

彼らの親世代でありますが、我が子たちには、小学生高学年あたりから記録が残る怖さを教えてきました。
・書いたもの ・録音録画物 ・写真

記録を残してはいけないのではなく、社会通念として公序良俗として後から見たら恥ずかしいものを残さないこと。これをきちんと教育したいのです。
(うまく説明できないのですが。)

LINEで共有された写真、受け手が他の人に再び送ったら??
その内容が内輪はともかく、恥ずかしいものだったら?

携帯電話を与えたときに不安は感じました。
しかしながら与えないわけには行かない。うまく使いこなす必要があるから。
その後広がるSNSの使い方。
(ここのような場の使い方も同様。・・・同じIDで書き続けない。)

自分自身はあえてSNSを使ってみました。
結果として、使い方は知っているが、積極的には使わない選択にしました。
FACEBOOKなどは怖すぎます。アカウントは持っていますが、消極的な使い方。
(漢字名では登録しない。個人特定されたくないから。)

アルコールが入ったときなどは特に危険 と自分でも感じました。

わが子たちの書き込みを見て唖然としました。
セキュリティをかけていない。バカ丸出し。 
このままでは一線を越えて「バカッター」に発展しかねない。
(セキュリティをかければよいと言うものではない。・・・クローズした世界から意に反して世に流出する可能性も孕んでいる。)

わたしが言うとぶち切れられるので、わが子たちに世代が近い、年長の甥に相談しました。
叔父さんも気にし過ぎだ。でも心配はわかる。ひどいもんね。

甥から指導してもらいました。

質問者からの補足コメント

  • 今の時代で怖いのは、前科ではない記録がネット上にいつまでも残ることです。
    例えば逮捕されて不起訴でも興味をそそる事案であれば用意に検索できてしまうことです。
    初めの失敗で、人生まっさかさまになってしまう危険も孕んでいるような気がしました。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/01 11:07

A 回答 (7件)

確かに親の問題だな。

自分が知らないのに与えるからこうなる。育て方でかなり変わるよ。使い方がわかってないいい大人でも、皆で撮った記念写真を勝手にブログやTwitterでアップしてるものね。ひとつの問題は、離婚だと思うけどね。友だち作ってないから、つがいも続かない。携帯→スマホなど声色や表情を見ないで言葉を伝えるツールは、関係を上っ面にしてしまったしね。
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世の中全般に蔓延する問題だと思います。



自分が子供の頃を思い出したり、若いときを思い出したりし、

激しい違和感を感じます。

もう10年以上前から心配しています。


うまく説明できるかわかりませんが。

そうですね・・・。

人にはやろうと思って出来ない、簡単なことがあると思いませんか?

例えば、

「授業中に立ち上がって、奇声を発する。

 やったらどうなるだろうか?

 生きていると言う事は、

 自由なんだから、いますぐやってもいいはずだ。」

と言う考えを弄んだことはありませんか?

結局は出来ません。

そのときは、色んな理屈をつけて、

「やろうと思えばいつでもできる。」

自分は自由であると思い込もうとするものです。


晩年になって、思ったのは、

「本当は、やろうと思っても出来ないのじゃないか?

 なんらかの制約が自分の中にあり、出来ないのじゃないか?

 自分が自由だと信じたいため、

 あえてこの制約の強さを試さないのではないか?」

と考え、この制約がどのくらい強いか本当に実験したことがあります。

異常な強さです。

結論として言えるのは、人は常に自由ではありません。


何が言いたかったかと言うと、

質問者さんがリンクを張ってくれた行為ですが、

出来てはいけないカテゴリのはずなんです。



わたしは、人の成長を、トイレの話で説明することがあります。

(人生については車の運転で説明したりします)

トイレと言うのは、

動物にとっては大変不自然であり、本能では真逆の行為でしょう。

(猫などはかなり賢いですが)

つまりこれは、

教育によって出来上がる本能の一つであり、人間性の証明なわけです。


例えば、

「自分は自由なのだから、いつでもお漏らしできる。

 自室れあれば、誰にも迷惑をかけない。

 だからやってもいいはず。」

とか、自分を勇気付けたとします。

それでも、これは中々出来ませんよね。

これと同種の強制力が人には無数にあり、

その制約を内包していることが、人間性の証明なのだと思っています。



ところが、

「ここでお漏らしをしたら、親に怒られるのでやらない。」

という人がいたらどうでしょう?

つまり、この人は本当は、好きなときにお漏らしをしたいというわけです。

普段は、誰かに見張られているため出来ない。

そのため、普通の人に見える。

本人も普通の人だと思っている。

しかし、誰も見ていないと思うと、にやりと笑い、解放してしまう。

そして中々やめれない。


さて、この人は人間なんでしょうか?


同じように考えて見ます。

誰かに迷惑をかけてはいけないのは、何故なのでしょうか?

怒られるからですか? 気分が悪いからですか?

ふざけてはいけないのは何故でしょうか?

怒られるからですか? 恥ずかしいからですか?


理由は色々と論じられるはず。


しかし、

そこに理由があっては、いけないものがあると思うのです。

「そんなことは、思い出せないくらい昔に興味をなくした。」

考えもせずに、”やりたくない”と決まっている。

”理由”よりも強い、”制約”を持っているのが正常なんだと思えます。


では、理由があって我慢しているだけの人がいたら?

これは大変なストレスですよ。


いずれは、やってしまうでしょう。


ネット社会に限らず、

どうでも良い小さなこと。

ところどころで激しい違和感を感じます。


「制約を獲得出来なかったから、出来てしまう。」


想像は出来ても、出来てしまったらおかしい。

そういう小さいことが沢山あります。

今の時代は、ここに気をつけて、人を見ていく必要があると思っています。

一定の年齢になっても、そういう傾向がある人を見たら、

君子危うきに近寄らず。



親御さんは、

子供がそういう状態であるか気にして、早く治してあげてほしいですね。


以上、ご参考までに。
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正直、元々、非合法なことをするのが格好良い、というような風潮というのがある、というのが大きいと思います。


例えば、飲み屋とかに言ってみると、いい年したオッサンが、「俺も昔は悪かった」と犯罪自慢をしている光景を見ることがあります。まぁ、飲み屋で真偽も不明な自慢をしているだけなら別にどうでもいいのですが、その犯罪自慢をして有名人になっている人も沢山います。

その典型例は、現在、文部科学副大臣をやっている犯罪者先生こと義家弘介氏でしょう。
彼の売りは単に高校時代に教師に暴行を働いて退学になったのち、全国からそういうのを集めて教える高校に編入して高卒資格をとり、その後、高校教師になった、というだけです。しかも、その高校教師も6年しかやっていません。
ところが、なぜか、そんな人物が「凄い教師」のように持ち上げられ、そして、教育政策の専門家として国会議員、副大臣にまで祭り上げられているのです。

質問者様が仰るように、「社会常識的に見ておかしい、恥ずかしい、というような行動はネットなどに出すな」と教えるのは大事だと思います。しかし、このような風潮がある限り、私は、バカッター騒動のようなことをする人物はずっと出続けると思います。

むしろ、私は、現在の状態と言うのは、その「非合法なことをするのが格好良い」というような風潮が打破されるための過渡期ではないかと思っています。
少し前に、国会議員が、「自分が学生の頃、教育実習生が生意気だったので、トイレに監禁し、爆竹を投げ込むなどの嫌がらせをしてやった」と自身のサイトで自慢げに書いた結果、大々的にバッシングされました。この国会議員の場合も、先に書いたような「昔は悪かった」的な発言で格好をつけようとしたのでしょう。しかし、それが完全に裏目に出た結果と言えます。
ネットが広がり始めてせいぜい20年。モバイルツールなどと考えれば、10年程度です。その中で、飲み屋で話をしているのとは違うんだぞ、という認識が広まっていくその契機になるのが、こういったバカッター騒動ではないかと思います。そして、それが広まると、先に書いた「昔は悪かった」というのが格好いいこと、というような風潮そのものの打破になるのではないかと考えています。
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No.2です。


お礼に書いてくださったことの意味が掴みづらいのですが、それは教育うんぬんではなく、「ネットがなかったから」ということですよね。
なかったものが有るようになるのは時代が変われば仕方ないのですが、要は「物は使いよう」ということだと思います。
便利な物を便利に使うのか、あるいは使われてしまうのか。
包丁などの刃物と同じで、物を使う側の責任だと思います。
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> これをきちんと教育したいのです。



特に間違った教育とは思いませんので、どうぞご随意に。
ただ、それを「世の中(他人)」にまで期待しても、無理,無駄だとは思います。

学級崩壊,学校崩壊を防げぬ行政,学校やら、モンペや、遊興に浪費しつつ給食費未払いの親を相手に、ネット社会への教育上の取り組みに関し、コンセンサスが形成できるとは思えません。

すなわち、ネット社会の話以上に、リアル社会が混沌としています。
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どういった回答を期待していらっしゃるのかわかりませんが。



過保護のため自己責任という感覚が育たないと感じています。
昔なら自己責任といえたことも、マスコミ等に学校責任を問われるため、常に大人が先回りしています。
駅から大学までの道に交通指導員が立っているのを見たときは、ここは小学生の通学路か?と驚きました。
親の関わり方といい、大学が小中学校のようなことになってますよね。

リンク先の消防士の話などは、大いに報道して、本人たちが恥をかけばいいと思いますよ。
消防学校は謝罪する必要はなく、本人たちが責任を取るべきことです。
そうやって学んでいくしかありません。

お子さんの年齢が分かりませんが、ネット上の書き込みなどはある程度の年齢になれば管理するのも無理があるでしょう。
UPしたことは常に世界中に広まる可能性があること、消えることは絶対にないことを理解させることだと思います。
その上で利用は自己責任です。

自分は広告宣伝のため、ネット上で名前や連絡先を掲載したことがあります。
悪用される可能性も十分に承知していますが、世の中にはそれが必要な仕事も多くあるのですよね。
必要な期間が過ぎ、自分のページは消しましたが、今でも検索すると出てきます。
使う側が覚悟と責任を持つことですね。
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この回答へのお礼

むかしも体育会系の運動部なんかは宴会で恥ずかしいことをしていました。
(恥ずかしくてこんなところに書けません。)
しかしその記録はありません。記憶だけです。

お礼日時:2016/02/01 11:10

昔、からすれば。

みなものすごく行儀よくなり、治安も良好になってますよ。
あなたが気にしているものは、過去にはなかったので比較になりませんね。
数百年前には自動車なかったのに「自動車事故が増大している!」と騒ぐようなものです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

そんな回答は期待していません。あなたはいつものようにこんな回答をしてきます。

お礼日時:2016/02/01 10:49

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