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普仏戦争においてプロイセンはフランスに完勝し、フランスはパリを占領されて完膚なきまでに叩きのめされたと思いますが、その時にプロイセンはなぜ、フランスを植民地化しなかったのでしょうか?

植民地化しないまでも、ドイツ皇帝がフランス皇帝を兼ねた同君連合を結成したり、フランスを保護国や傀儡国家にするくらいは出来たのではないでしょうか。

やはり、同じ白人同士なので手心を加えていたのでしょうか。

A 回答 (2件)

ヨーロッパは多くの国があり互いにけん制しあっています。


オーストリアはプロシャとフランスが一体になることには大反対です。
イギリス、ロシアと手を組んで抵抗することになる。
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娘の高校時代の世界史教科書を見てみると、「フランス政府は降伏し、アルザス・ロレーヌの両州をドイツにゆずり、莫大な賠償金を課せられた。

」と記されているだけなので、疑問に思われていることは試験には出ないと思いますので、まずはご安心ください。
 インターネット情報も加味した私の答えは、次の二つになります。

・まず、植民地国になれるのは、プロイセンが必要とする資源が豊富にある・・・というのが条件になりますので、フランスはその条件に適合しない貧しい国だったということになります。

・次にプロイセンの最大の目的はドイツの統一国家を築くことだったから・・・ということになると思います。

 フランスは今も昔も軍事的な強国ですので、ビスマルクとしては戦後フランスに報復されないようにいろいろと手を尽くしたみたいです。また、普仏戦争はビスマルクが仕掛けたうえで、フランスが戦争開始するように追い込んでいるみたいです。
 なお、普仏戦争の敗戦によるフランスのドイツに対する屈辱と恨みが第一次大戦の根っこのひとつになってるようですので、なかなか面白いと思いました。

良い勉強をさせていただきました。ありがとうございます。
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