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明治期の教育について、

政府は国民皆学をめざし、ドイツを規範として、全国を画一的に学区に分ける制度を定めた

この文章の誤りはどこですか?

A 回答 (1件)

>政府は国民皆学をめざし、ドイツを規範として、全国を画一的に学区に分ける制度を定めた



A:>この文章の誤りはどこですか?

回答A:質問の制度の元になったのは、フランスだと思います。


明治初期の日本の教育法令は以下の順に発令されています。

【学制】(1872年 フランスを範とした学制)
全国を8大学区に分けて、各区に大学校1、中学校32、各中学区に小学校210を設ける。
(この法令は、画一的で当時の国民生活とかけ離れていました)


【教育令】(1880年 アメリカを範とした自由主義的教育制度)
画一的な学区制を廃して町村を小学校の設置単位とする。
管理も地方に移管。
就学義務を大幅に緩和。


【学校令】(1886年 ドイツ式学校制度)
「学校令」は帝国大学令・師範学校令・中学校令・小学校令などの総称。
小学校・中学校・師範学校・帝国大学などからなる学校体系を整備。
小学校・中学校・師範学校は、それぞれ尋常(じんじょう)・高等の2種に分けれました。
後に、尋常中学校→中学校、高等中学校→高等学校 に改称。
また、東京大学は「帝国大学」に改組され、1897年に「東京帝国大学」と改称。



この回答ですが、あなたが一通りの努力をしているという前提でのものです。
(楽をする為に他人の好意に寄生するものではない)
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