プロが教えるわが家の防犯対策術!

純粋に学術的興味から質問します。
東海大学において「学習能力の高い天才ラット」を作ったという記事を見ました。
交配により作成し、30年の時間を要したそうです。
これまで私は知能が遺伝するということを考えたことがありませんでした。
例えば東大生の親は高学歴が多いということは知っていましたが、それは主に金銭的理由や家庭環境によるものでしかないと思っていたのですが、もちろんそれらの要素は多分にあるのでしょうが、知能が遺伝するという側面もあるのでしょうか?
後天的要素を排除すれば(実際には不可能ですが)、勉強の出来や学歴は努力のみによると思ってきた今までの常識が崩れたような思いです。先天的要素で差異があるという点について。

またその事実を認めると、個人の知能は先天的に誰しも平等ではなく、個体差や遺伝の影響も存在し、場合によっては地域や環境、人種間にも知能差がでてくる可能性も存在するということなのでしょうか?もちろん個人によって差や例外があるのはわかっているので、例えば地域ごとや人種ごとに知能検査をして、その平均値に差が生じるかどうかということです。

これらの研究は似非科学もおおいと聞きますが、この「天才ラット」のニュースは朝日新聞も報じているため捏造ニュースではないと思います。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/51747940.h …
http://amrit-lab.com/c/AM86.html

A 回答 (9件)

すみませんが、話が少々、飛躍しているようには思いましたが、興味深い結果であることは、ご質問者様に共感します。



この記事は、単に、学習能力の実験を行った場合、30年間かけて、学習能力の高いネズミ同士を交配させると、学習能力の高いラットが出現したという、実験結果の報告ですね。
しかもその賢さが安定するのに、20年かかったという報告ですね。興味深い実験報告です。
但し、その学習能力の高さが、他のより高度な学習能力を修得したり、開発したりするのかどうかまでは、何も書いておりません。
しかも、人間のことには、少なくとも、この記事には書かれていません。

従って、いろいろなお考えがあるかとは思いますので、ご質問者様のような知能は遺伝するという考えを推察しないわけではありませんがそれは、将来説明可能な考え方の一つに、先天的なものと、後天的なものの相乗効果もあり得るということを示唆しているかもしれないとは、私も思いますが、それは考えの可能性なので、実験をしなくても、推察できることなので、この実験の確からしさから言えることではありません。

むしろ、この記事にショックを受けるのであれば、双子の人間の知能検査の調査をした以下の結果の方が、貴殿には、ショックが大きいのではないでしょうか?
第2回 「知能指数は80%遺伝」の衝撃 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/2012011 …

さて、ご質問者様のご推察の「個体差や遺伝の影響も存在し、場合によっては地域や環境、人種間にも知能差がでてくる可能性も存在するということなのでしょうか?」というご疑問に関してですが、何回も繰り返しますが、この実験だけでは、何とも言えませんが、この種の実験から推測すれば、或いは、起こり得るかもしれませんね。
それが、これまでに、民族間の争い等を含め、結局何らかの方法で生き残ったもの(自然淘汰を含む)を優秀とするならば、それらの遺伝形質が、後世まで継承される可能性があるわけですから。

但し、知能検査といっても、さまざまな知能があります。
既存の知能検査のある種の数値が高いからと言って、知的能力が高いと言えるのかどうか?また、今評価されている知能の高さが、遠い将来も評価し得る知能の高さと言えるかどうかの問題はあると思います。
ここで想定すべき知能とは、もっと広義の、もっと基本となるものを想定していますから、病気になりにくさ(重篤な病気にり患したり、疲弊したり、老化したりするような状態には、なににくい状態)なども加われば、ある程度は、説明可能なこともあるかもしれませんが、固定的な民族間の比較という遺伝レベルの話になると、より濃い血筋(血縁関係)は、DNAの特徴がより強調されやすいというこれまでの報告もあるので、一方では、その内容され、潜伏している脆弱性が、どのように露呈するかを解明する必要はあると思いました。

高度な学問に対し、反射レベルの感想と稚拙な説明で失礼しました。
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この回答へのお礼

研究で未確認のことまで憶測で発言するとそれが歪んだ悪影響を社会に与えてしまうということもあるかもしれません。(だから研究をより進めればいいというものでもなく)
確かに知能検査というのはあくまでもごく一部の能力を計る指標に過ぎませんし、それで優劣をつけることは無意味でしかないですね。さらに遺伝のメリットが脳のどの働きに恩恵をもたらすかということについても、まだ知られていない脳の働きがあると思います。
私が引っかっていたことも含め、実に的確に指摘してくださって嬉しいです。
とてもロジカルに回答していただきありがとうございました。

お礼日時:2016/02/22 01:11

頭の悪い人は「知能が遺伝する」ということを知らないか、認めたがらない。


頭の良い人は「知能が遺伝する」ことを知っているが、それを言わない。
凡庸な人々は凡庸な研究者の研究を自分の気に入る様に解釈し、慰めを求める。
これらは「不都合な真実」として報道されない。

植物の交配による改良はメンデル以降の濃学者は誰でも知っていた。
動物も変えられる事は、犬猫のブリーダーでさえも知っている。

30年の経過でこのトリビアルな結果。今年のイグノーベル賞候補。
税金を使わない私大だから、まだいいか。

他の回答者の方も触れていますが、戦後の一時期ですが、民族や人種間の差に
関して広範囲に知能テストが行われました。結果は、種々の要因を考慮しても
どうもアフリカ系は低いと出ました。色々な批判が各方面から有り、その後
この種の調査研究はタブー視されました。

グループAとグループBがあり、その能力Cに付いてAの平均が高いから
と言って、グループAの平均的な一人がグループBの上位より優れている
と云う保証は全くありません。
例は、A=男子、B=女子、C=100m走、Aの平均的な一人=そこのあなた、
Bの上位=陸上競技選手。
あなたがAの一員だからと言って感違いは禁物です。

知能を含めた遺伝の多様性を無視して、選択を進めてゆくと(かってナチが
行ったように)、集団は劣化するものなのです。
今人類が滅んで、ペットの犬猫が残されたら、犬は遺伝子が原初的な狼に
近い種類が、猫は遺伝子の選択化がそれほど進んでいないのでほぼ全猫種が
残るそうです。人間も高知能集団だけでは何もできないのですから、
ま~そんなものかと思います。

「不都合な真実」を潔く認めないと、いろいろと混乱します。
「不都合な真実」を認めると、何事も味気ないものになります。

「鳶が鷹を産んだ」という言葉があります。昔は「お前は駄目だが、カカアが
優れているからだろう」とか「種違いでは?」とかの揶揄的な響きが有った
そうです。昔の人は、30年に渡るイグ実験の遥か前から真実を知っていたようです。
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遺伝的要因もありますが、それは「努力しても意味がない」という


事ではなく、後天的な要因(努力)もあります。
それはスポーツと同じ事。
むしろ脳の方が、生後の五感の相関した刺激によって脳神経が伸び
るので、後天的な割合いが高いと言えるでしょう。
「同じ刺激を受けた時でも、脳の発達が大きい」という表現が適切
でしょう。
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遺伝すると思います。

ただし、生まれた後の環境次第で与えられた知能が発揮できるのか、陽の目を見ることなく没するのか、どうにでもなります。
したがって、人種的云々に差が出るでしょうが、それは環境のなせる技と理解すべきでしょう。
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知能って?、たぶん遺伝しないでしょう。


でも、その知能なるものを発揮する元、例えば神経線維の発達程度?、などは当然遺伝します。
まったく同じ訓練、同じ努力をした場合に、結果が現れる時間に差があるとか、得意分野が偏るとかはあるでしょう。
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この回答へのお礼

知能ではなく脳の働き?とでも表現するのが正確だったかもしれません。

お礼日時:2016/02/22 01:12

>その事実を認めると、個人の知能は先天的に誰しも平等ではなく、個体差や遺伝の影響も存在し


その方が常識に近い。だが、
>地域や環境
これはまだ無い。
>人種間にも知能差がでてくる可能性も存在する
ネオナチどもは喜ぶだろうが、可能性と言っちゃうと、科学は全ての可能性を許容するので、始めから無意味になってしまう、だが排除はできない。
なお米国は移民の国なので疫学的研究が可能にだったのだが、1950年代にいわゆる種族に差があるのか否かの大規模な実験・試験が行われた。
なおマッカーシーズムの後だから年代に記憶違いがあるかもしれない、調べる気も無い。
結果は当たり前だが物理・機械的能力つまり体力には有意な差があった、そもそも体格が違うのだからしょうがない、同じ背丈のサンプルなど幾ら米国に多くの移民がいるとしても集めることは出来なかったからだ。
一方同じ仕事をしている人達や、親が社会的階級を同じくする子供達に知的に統計的な差は無かった。
米国は時々一方へ振れるポピュリズムに支配され非人間的な実験どころか政策までやった。
運が良かったのは州毎に憲法が異なり、連邦最高裁はほとんど穏健でポピュリスムに懐疑的だった、さもなければ内戦が繰り返され、現在の姿を維持することはできなかっただろう。
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この回答へのお礼

これらの研究をすすめた研究者の発言がポリティカルコレクトネスに抵触して問題になったこともあるらしいですし、遺伝により個体差が生じる可能性があると知れただけでも満足することにします。

お礼日時:2016/02/22 01:12

回答№1のスマイル奇跡(軌跡?)です。

補足します。

 人間の脳や体の中で起きていることは、大部分が化学反応だと思いますが、脳内では微少電流によるネットワークも重要な働きをしていると思われます。

 専門外の工学系の人間が脳のモデルを考えるときは、細かいことは抜きにして、人間は、独自の動力発生装置を有し、また入出力機能を有する自動ロボットとして考えるとわかりやすい、と思いました。
なお、この自動ロボットは原始プログラムだけではなく、後天的に獲得したプログラムも含めて動いていると考えました。

 このロボットの入力機能は五感だと思いますが、我々が意識していない気圧や湿度などの変化も捉えているのではないかと思います。生まれた直後の入力機能は全て出来上がっているわけではなくて、聴覚などの一部を除き、幼少期の短い間に出来上がっていくのではないかと思います。

 次にCPUですが、脳内にCPUは複数あってそれを統合しているメインCPUがあるような気がします。また、これらのCPUの基本性能について個体差はあまりないのではないかと思います。それは、視覚や映像の認知に関する差が人によってあまりないからです。
 メモリについては、人によって記憶力に差があると感じますが、記憶容量については無限には記憶できないので、人によってあまり差はないのではないかと思います。

 そうすると、天才を除いた我々普通の人間の知能や個性などに大きな違いが出てくるのは、もちろん遺伝的な要素もありますが、後天的に獲得する入力機能と経験により獲得したプログラムが密接な関わりを持っているのではないかと思いました。

結論です。
 知能とは理性の領域であって、心の領域の方がもっと重要だと思います。知能は単に知識を獲得しているだけに陥ることが多く、脳の中は、感情を主体とした心と理性がごちゃごちゃに絡み合って連携していて、それが脳内のネットワークになるのだと思います。
また、知能は間違いなく心に動かされています。

以上は、自分自身の経験とNHK番組「昨年12月に放送された認知症に関する特集」、「7、8年前に放送された放浪の画家山下清に関する特集」を参考にしています。

 最後に若い人たちにエールを贈ります。
韓国の1泊2日というバラエティ番組で、韓国大学の学生に40歳以上の俳優が熱く語ったことを、字幕版ですが、紹介します。

一人の学生が、今やっていることよりもっと好きになれるものがあるんじゃないか?と言ったことに対して、
「好きかどうかわからない? もっと行けよ。進んでから言え。まだ始まったばかりだ。もっと突き進めばいい。若いから引き返せる。いくらでも挑戦しろ。
つらいことは必ずある。君たちが好きなことを仕事にしたとしても、とてもつらくて悩む時がきっとくる。それでも絶対に譲れないものが現れる。
つらいことが多くても、たった1つのことで幸せを感じ打ち勝つ力が湧く。
それを見つけろ。すると、その仕事をずっと愛せる。
全てを好きになれるわけではない。」
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この回答へのお礼

はたして心とは何か、感情とは、理性とは。簡単に知能という言葉を使ったのが間違いだったかもしれません。

お礼日時:2016/02/22 01:12

知能は遺伝しても、知識は遺伝しない。


…のだろう。

・・・
ってか、朝日新聞が報じているなら、むしろ捏造の可能性が上がるんだけどw(捏造記事や自作自演記事、偏向記事を得意とする朝日新聞だよ?)
カラパイアの情報ソースが朝日新聞だけなら信用してはいけない。
あのサイトは全て真実が書かれているとは限らないのだ。(オカルト的にはおもしろいサイトではある)
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この回答へのお礼

知能が遺伝するということすら意識していなかったのでそれだけで驚きだったのです。

お礼日時:2016/02/22 01:11

知能は遺伝しないと思います。


但し、絶対音感、画像データをドットレベルで記憶するなどの能力は、身長のような身体的基礎能力と同じように天性的なものがあると思います。


以下、参考です。
2. Back to The Future3のラストシーン「白紙に戻った紙」の意味
 映画Back to The Futureは全作楽しめましたが、最も面白いと感じたのは、ラストの3作目でした。最も記憶に残ったのは、博士とクララの恋と白紙の紙に戻るシーンでしたが、あの時は、単純に確かに未来は誰にもわからないんだから白紙だよな、と感じただけですが、今は全く違うことを考えています。
 それは、人間が生まれた瞬間、脳内は白紙だということです。具体的には以下のことです。

(1)人間の体の中には、全て両極に位置するものがあって、それでバランスを維持している。
(2)生まれた時には、脳内には最低限必要な機能とプログラムだけが埋め込まれている。

 ・生命維持と種の保存に必要な体の機能
 ・生命維持と種の保存に必要な原始的な感情
 ・脳内で理性や感情を育てる機能
 ・脳内で理性や感情をネットワーク化して総合的な人間性を育てる機能

※1人間の体の中にはいろいろな機能維持のために両極のなにかが必ず存在していて、それでバランスを取っている。

※2そこを突き詰めていくと、悪しき感情とされている「怒り」は原始的な感情であり、その対極に位置する「やさしさや思いやり」のような感情も原始的な感情。なお、うそをつくことも原始的な感情というか本能のようなものです。ですから「うそをつくな」と言うこと自体、もともと人間には無理なことです。

※3人間に埋め込まれている本能のようなものの中で、種の保存に関することは、後天的に芽生えるようにプログラムされています。これは不思議だと思うとともに面白いとも思いました。酷い言い方をすると時限爆弾プログラムですね。
人間の欲望の中には、本能に根差したものがあって、それには逆らえませんが、金銭欲や出世欲のようなものは本能とは無関係なので、別の目的の手段として執着するのは良いのですが、こういうのだけに執着したり異常な欲望を持っている人は要注意だと思います。
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この回答へのお礼

脳のメカニズムはまだまだ解明されていない分野だと思います。感情は成長ともにより発達し複雑になっていきますし、知識同様に感情も後天的に育まれていくことも何か意味があるのかもしれませんね。

お礼日時:2016/02/22 01:10

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