プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私には『嫌な自分』と分類している自分がいます。それは対話中の相手の人の心の声(悪意)が聞こえてきたり、通行人の視線が酷く突き刺さる様に感じたり。被害妄想が増す時期があります。いないはずの物や人が見える(霊感があるのかな?と思っていました)『嫌な自分』が現れて一番困るのは、やる気が全てとられてしまうことです。気持ちは前に進みたいのに、悔しいほど頭と身体が伴わない自分です。

しかし、それは私の性格的な問題で精神病だとは思っていませんでした。私は周囲からは『悩み事なさそう、苦がなさそう、明るいね』と言われるほど社交的な性格ですし、面倒みもよいです。異性からは『可愛げがなさ過ぎる』と注意されるほど、甘え下手で割と自立心があるほうだと認識しています。

『嫌な自分』が現れれば、いつも自分で新しい事に取り組んだり、ドライブや飲食、趣味に没頭することで解消し、私は自分の性格的な問題だからと上手に付き合ってきたつもりでいました。

また、私は昔から家族はもちろん、友人、先輩、パートナーなど周囲の人に弱さを見せることへの抵抗がありました。

『嫌な自分』が出来た要因も自分なりに解釈しています。それは幼少期のトラウマ(可愛がってくれた祖父の自死・父の家庭内暴力・可哀想な子だと冷ややかな大人たちの態度や言動への抵抗から明るく振る舞う)や現在までの性格形成されていく過程(非行へはしり薬物乱用・パートナーからの監禁や暴力・妊娠死産・レイプ・友人の裏切りなど)だと自分で認識しています。

また、全ての要因となるものは私自身が選択したものであり、他者を責めるわけでもなく、むしろ自分を責めて生きていました。

私の分岐点となったのは『妊娠・死産』でした。楽な死に方を探し続けていた私に『生きる意味』を教えてくれたと、無駄にしてはいけないと、薬物も辞め、交友関係、環境、考え方も。過去の自分を捨て0ではなくマイナスから自分を見つめ直すように努めました。

自分を変える、過去を精算することは安易ではなかったですし、噂や定着してしまった私へのイメージに何度も心折れそうになりました。その度に歯を食いしばり涙を拭いました。『自分のペナルティ』だと言い聞かせ、月1~2回はお墓参りをし、その度にブレないよう保ってきました。ボランティアや慈善活動にも参加するようになりました。

『綺麗事・八方美人・馬鹿らしい』そう批判をされながらも、前に前に進みました。そうしているうちに、私を評価してくれる方々、会社では役職を頂き、新しい環境が少しずつ出来ました。

『変わりたい』と気持ち次第で人は変わる事が出来るし、笑うことは出来ると思います。なるべく簡潔に書きましたが、私は今までつまづいても自分なりに上手く解消出来るように考えて処理していました。

しかし、新しい評価を頂いた中で、昔を知っている知人や友人の中には、今の私への妬み、引きずり落とそうという悪意をもつ人も居ます。

やはりそんな人と嫌でも関わる機会があると『嫌な自分』が現れます。それがどんどん頭の中の引き出しを開けていき、過去がフラッシュバックしてきて漠然とした恐怖、不安で押し潰されそうになります。

いつしか今まで出来ていた『嫌な自分』への対処方法では解消されなくなり、これはおかしいと自覚した為に避けていた心療内科を受診しました。

上記にお話しました内容を詳しくお話した上で、病名は告げられずにただ『今までよく頑張りましたね。これからお薬で治しましょうね。』そう言われました。処方されたお薬には『リスペリドン』というものがあり、調べてみると統合失調症などに処方されるお薬だと記載がありました。

2度処方通りにお薬は飲みましたが、動機や眩暈、吐き気、喪失感に自らお薬を辞めました。職場からは、少しゆっくり休みなさいと配慮頂きました。

昨年末から回復しており、『嫌な自分』はまだ現れていません。薬剤師をしている友人からは『調子の良い時にもう一度受診しなさい。』とアドバイスを頂きました。

こちらに質問させて頂いたのは、皆さまでしたら『受診するか、しないか』と私が精神病なのか。以前受診した心療内科の先生に『先生は漠然とした不安をもつことはないですか?』と質問したところ、はっきりと『ない』と答えましたが、私は20数年間生きておりますな、悩みや不安は皆がもっているもので、精神病と言えばきりがないと認識していました。私が精神病であれば治療したほうが良いのでしょうか?

皆さまのご意見お聞かせ下さい。

A 回答 (3件)

質問者様は、過去の私よりもいい状態になっていると思います。

私よりも強い人と感じました。まぁ、医者に行けば精神疾患といわれるでしょう。
でも、その治療は医者任せだけではだめだと考えます。むしろ、自分で解決できるならそのほうがいいと考えています。

長文失礼します。時間があったら読んでください。

ハッキリ言いまして私は医者が嫌いでした。今でも全ての医者が好きなわけではありません。ので、偏った考えだと思って読んでください。

医者が「私が正しい」という態度。それは、こちらの安心感にもつながりますが、私「だけ」が正しいと思っている医者は医者ではないと感じております。
もし、精神病であっても薬を使わず治す方法はたくさんあります。知らないだけです。
一つの薬を出してそれだけに頼るような医者は、患者を人間とも思っていないのではないかと感じてしまうことがあります。
医者にかかるべきかどうかは、その人の状態によると思います。
気力が沸かなくて、自分ではどうすることもできない場合は、医者も必要でしょう。
ただ、精神科の医者が精神病にかかってしまっていることもあると聞きます。
踏ん張れるのならば、自分の力を信じたほうが良いというのが私の考えです。

私は、質問者様ほどの多くの辛い体験はせずに生きてこれましたが、それでも辛い出来事をきっかけに「漠然とした不安」「手足の震え」「胸に風穴が空いたような感覚」「不眠」「拒食」になったことがあります。
が、そんなことより医者が嫌いだし、信じようともしていませんでしたから病院は行きませんでした。

こうなったのは自分が原因。と、感じましたので、自分が変わらなければならないと考えました。
薬で変わるものじゃない。と考えていましたから医者には行かず、自分で何とかする方法を探しました。
が、最初はうまくいかず、不安定な時期でしたから騙されたようなこともあり、責任が取れないという思いも浮かび自殺まで考えました。

自分で何とかするなんて考えていたのに、命を絶とうとまで考えてしまったのですね。

直前に直感で「死んでも変わる保証はない」と感じました。
死んだらこの世の苦しみから、自分の今の不安感、無力感から解放されるのかと疑問になり
「死んでも変わらなかったらどうしよう」
から「結局、自分が変わらなければどこへ行っても苦しいままじゃないか?」
だったら「死んだ気になって生きてやる」という思いに変わっていきました。

自分を変えるため・・本当の自分を取り戻すためにやったことは「がむしゃらに働くこと」でした。
私の場合考えすぎて不安が沸き起こり飲み込まれそうになりましたから、とにかく体を動かせる仕事に就きました。
朝から晩まで重い荷物を運びました。
明日のことなど考えられないくらい、過去を思い出す余裕がないくらい、今に意識を集中していないと体が辛くて持ちません。
体が辛くなると、心が辛いままではいられないようです。(暴力に耐えるとかではないです)
自分から体を動かすのです。筋肉を使うのです。その時は筋肉疲労で手足が震えるほどでしたが、気持ちを「今」に向けていると力が湧いてくるものです。
とにかく荷物を運ばなければ仕事が終わらない。

家に帰れば、考える間もなくすぐに眠りにつきました。朝は早いです。その繰り返しでした。
数か月経つころには、気持ちは軽くなっていました。仕事の「達成感」からか「安心感」も感じるようになりました。自信も取り戻せてきました。
が、仕事にも慣れ体に余裕ができれば、今度は考える隙ができてしまいます。再び過去のことを思い出すようになりました。

でも、自分を責めるような心の働きにはブレーキを掛けます。
頭の中に浮かんでくる「映像」に意味を与えず「ただ眺めました」
頭の中に浮かんでくる「思い出」に意味を与えず「ただ眺めました」
それでも、
心に沸き起こる「あの時の感情」も出てくることもありましたが、それにも意味を与えず「ただ味わいました」

時間は流れています。
同じような時間を繰り返すのは、過去の出来事に「同じような意味を」自分で与えてしまうからです。
だから
昔の思い出、それから沸き起こる感情は「済んだこと」として新しく意味を与えず、以前と同じような意味を新しく付け加えず「ただ過ぎ去るのを待ちました」。

過去のことは済んだこと。と頭ではなく、体の反応と心がわかるように、過去のことにそれ以上の意味を与えないのです。
そうすれば、必ず過ぎ去ります。生きているから時間が流れてくれるのです。心に浮かんだことも必ず過ぎ去ります。

そして、ご飯を食べるときはご飯を食べることに集中し、車を運転するときは運転に集中し、歩くときは歩くことに、とにかく自分の今していることに気持ちを向けて、過去のことは浮かばないように心掛けて、それでも過去のことが浮かんだら意味を与えず、自分を責めず流れるのを待ちました。

今は、どんなに思い出しても心が辛くなることはありません。
「安心感」しかありません。
あの時の自分は、あれで精いっぱいだった。仕方ない。もっと頑張れたかもしれないけど、あれはあれで良かったんだ。過ぎたこと。今を大切に生きよう。という思いに至れます。

頭だけではなく、心も体の反応も「あれは過去の出来事だった」とわかっているからです。

質問者様は、自分をどこかで責めておられますね。
それが、今回のつらい症状の引き金になっていると感じます。

責めている限り、過去のことは「過去のこと」にできません。思い出した時に新しい意味をつけてしまうからです。

私は宗教家ではありませんが、信じていることがあります。

「この世に起きたことは「神様の許した訳」がある」

です。
神様がなんだかよくわからないのですが、きっとこの世は人間だけの勝手な考えだけで、行動だけで進んでいるのではないと感じるのです。
人がいつ死ぬかはわかりません。生まれてくることも人間にはコントロールしきれません。
できることは、過去の情報から傾向をつかみ事前準備し努力するだけです。人間に許されているのはその部分だけで、物事が起きるかどうか、実現するかどうか、生まれるかどうかは神のみぞ知るです。

質問者様がすごいのは、そのご自身の体験の中でも前を向き、環境を変えたほど努力したことです。

これは、弱い人にはできません。自分の力を発揮しています。本当の自分の力を引き出しています。

ご自身が精神疾患か?と悩んでおりますが、私が思うに

現代人に精神の病んでいない人はいない。と思うのです。
金を追い、異性を追い、勝利を追い、優越感を追い、他人と比較ばかりして生き、足ることを知らず、他人の悪口を平気で言い、自分は幸せになれないと嘆きます。
(多かれ少なかれこんなことをずーっと人間はしてきています。)
皆が病んでいます。

薬で治るなら、この狂気とも思える欲望を治してほしいものです。

私には「安心感」があります。過去のことについてはそれしかありません。
未来のことを考えると「不安」もあります。
これが私の普通です。

病んでしまうのは、この過去や、未来にとらわれてしまうことに始まりがあるように思います。

過去のことについては、上記の通り、自分を責めず(自分を責めても過去は変わりません)思い出はただ流れていくのに任せます。
もし、可能ならばその過去たちに「ありがとう」を言います。
新しい意味をつけるのです。
その過去たちがあって自分は前を向いて生きていくことができてきた。その過去たちは「今」の私になるためには必要だったと、自分を責めずに受け入れてしまうことです。
最初は心が抵抗するでしょうが、「ありがとう」と真剣に感謝を送ると、過去に力はないことが分かります。
過去に今の自分を変える力は無いのです。
不思議なもので、過去があって今があるのですが、過去に執着していると、過去を思い出した時に辛い感情が沸いているうちは本当に過去が今を変えてしまうのですが、
その過去に、ありがとうと言えるような「今」を選択(生きる)と過去に力はなくなります。それどころか辛い過去が、自分には必要だった「大切」な過去になり過去の方が変わってしまいます。「今」が過去を変える力を持っています。

未来のことについては、「今」が未来を創るんだと理解して、心を今に向けることです。
未来を心配して「今」未来のことを考えて「心配」していたら、「今、心配を積み重ねている」わけですから、心配した通りの未来になるでしょう。
これを変えるには、今のことに集中して努力するしかありません。質問者様が仕事を頑張ったように。自分に課したことをブレずに実行したように。ボランティアに参加したように。

物事が起きるかどうかは神のみぞ知ると書きましたが、起きた物事に意味を与えるのは人間の力です。良くもできるし悪くもできます。

過去の悪友とは縁を切れるならば切ったほうが良いです。
が、会わなければならない状況ならば、そのときは「今」に集中するのです。

難しいかもしれませんが、過去の悪友にも「今」新しく悪友の意味を与えないようにします。ただ過ぎ去るのを待ちます。
その方たちは、あなたを過去に引きずり戻したい過去の産物ですから。
本当の友ならば、新しい「今」を一緒に生きてくれるはずです。
悪友に流されて、再び自分を責めないように注意します。
その者たちは、過去に生きています。「今」に生きていません。
注意してください。
薬ではここを変えることはできないと思います。

運動もいいです。深い呼吸も。感謝、今に生きる。これを心がけてください。
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精神疾患かどうかを診断するのは専門の医師にしか出来ないことです。


自分がどういう状態なのか知りたいのであれば再度病院へ行ったほうが良いと思います。

私もリスペリドンを服用しています。
数年間 精神科に通院していますが、1度も病名を伝えられた事がありません。
その事については、担当医がその方が良いと判断したのだと解釈しています。

質問とは関係ない事かもしれませんが、先日 テレビで精神疾患患者の特集番組を見ていました。
その番組の中で1人の精神疾患の方が「担当医に “あなたの病気は一生治りません”と言われ、なんだか安心した」と言っているのを見て泣けてきました。その人が羨ましかったです。
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悩みは誰しも持っているものですが、人によって悩みへの負担が違います。


素人判断で、精神病ではないと判断はできないと思います。
一度、医者に薬が合わないので変えてほしい(または、もう飲まなくても良いか聞いてみる)と言ってみてはどうでしょう?
何日か飲んで効果があるものだったり、薬を1度でも飲んだから『嫌な自分』が出てこなくなったのかもしれません。
ぽち。さんが納得できるよう、医者(専門家)に説明してもらうのが良いと思います。
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