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江戸幕府について、調べています。


1.家康は、「東照大権現」となったといいますが、これは家康が神様扱いされた、と考えてよいのでしょうか? 仏教みたいに、信仰の対象になったんですか?

2.鎖国をスタートしたのは、家光よりもむしろ家康だと考えてよいですか?

3.家光を「三代将軍」と決定したのは家康でしたよね。秀忠にはそういうことを決める権限はなかった(?)ような印象を持っているのですが。

4.キリスト教を禁止したのも、家康であって、家光は(島原の乱などをうけて)この流れを一層強化した・・・という考えてあっていますか?

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

1.家康は、「東照大権現」となったといいますが、これは家康が神様扱いされた、と考えてよいのでしょうか? 仏教みたいに、信仰の対象になったんですか?


   ↑
神道の影響で、日本では偉い人は神様に
なるのです。
家康の他に、秀吉も、乃木大将も神様に
なっています。


2.鎖国をスタートしたのは、家光よりもむしろ家康だと
考えてよいですか?
   ↑
他の方も指摘していますが、鎖国というのは
正しくありません。
ドイツの学者がそう言っただけで、実際はオランダ
中国、韓国などと貿易していました。


3.家光を「三代将軍」と決定したのは家康でしたよね。
秀忠にはそういうことを決める権限はなかった(?)
ような印象を持っているのですが。
    ↑
家光がアホだったので、側近達が弟を押す雰囲気が
あり、家光の乳母、春日局が家康に直訴して、秀忠に命じました。
能力制にすると権力闘争が発生しやすくなるのを
怖れたのです。


4.キリスト教を禁止したのも、家康であって、家光は
(島原の乱などをうけて)この流れを一層強化した・・・
という考えてあっていますか?
    ↑
秀吉の時代に、キリスト教を禁止しました。
秀吉は、当初は好意的でしたが、日本人が
奴隷として彼らに売買されていたのが発覚し、
禁止する方向になった、と言われています。

それが家康に受け継がれ、家光の代になって
強化されました。
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この回答へのお礼

わかりやすいご回答を、ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/02 14:36

1と3について。


家康は将軍位を自らの血統で世襲することを幕府運営の基本としました。
室町時代というのは誰が将軍になるか、誰が政治の実権を握るかで
散々揉めてきましたから、政権の安定が平和を維持する要だと
考えたのでしょう。そのために将軍の位とそれを継ぐ家康の血筋を
特別なものにすることを意図して自らを神格化したものと思われます。
また将軍の位を3年で息子に譲るとともにその長男を次男とは
差別して育てることで長子相続をルールとして内外に示したものと
思われます。家康の長男は信長の命令で切腹、次男結城秀康は
他家に養子に出していましたから、あくまで秀忠を長子として
扱い、その長男家光は名実ともに長子相続の象徴にしたのでしょう。
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この回答へのお礼

室町を参考にした可能性・・・。
こう考えると、歴史がいっそうおもしろく感じます。
ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2016/03/02 14:38

1:信長を見習う形で、自らにおいて神となりました。



2:そもそも江戸幕府は鎖国などしていませんよ。
  この点は良く掘り下げて勉強してください。
  入ってきて言い国を悪い国に分類しただけですから。
  後に出入国も制限しました。

3:そういう表現では間違いです。家康にそういう決定権はありません。
  そうするように暗に示しただけです。
  しかも実際に任命するのは朝廷です。

4:この点についてはまったくもって3番さんが仰るとおりです。
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この回答へのお礼

信長を見習う…。
これもおもしろそうな話です‥。

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2016/03/02 14:38

歴史に決めつけは百害です。


1.信仰の対象になった、との一言には不安を感じます。万民の信仰の対象になったわけではありません。徳川一族にとっての守り神とした、とは言えるでしょう。
2.何をもって、家康が鎖国した、と判断されましたか、配下にウィリアムアダムス等を抱え、大いに貿易したのが家康です。
3.秀忠は親孝行者だったから家康の言うことをそのまま実行した、と言うことが正しい。それを決める権限がなかった、とは言えるでしょうが、あまりそういう言い方はなじまない。
4.キリスト教を禁止・・・何をもって禁止というかでしょうね。
キリスト教を禁教としたのは秀吉以降の流れです。家康が出発点ではありません。家康は貿易のこともあるので、キリスト教を禁止したわけではない。日本人がキリスト教徒になることを禁じたことはあるでしょうが、オランダ人に棄教を迫ったわけではありません。
決め付けは不可。理解を妨げる
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この回答へのお礼

教科書に書いてあるからといってうのみはいけませんね。
ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2016/03/02 14:40

> 仏教みたいに、信仰の対象になったんですか?


元々仏教の教義みたいなものですね。
人は悟りを開いて仏になる。
即身仏が典型。

戦国時代は、武将は引退すると仏門に入るのが常識。
豊臣秀吉など、それなりに権勢を得た後に寿命で没したら豊國神社の様な寺社を建立して、豊国大明神などとして祀るのが当時の主流ですね。

> 2.鎖国をスタートしたのは
間違いと談じる証拠は無い。
ただ、「鎖国政策」の施行は寛永16年(1639年)ですから、家康死後20年以上後の事となっていますので、その年代の将軍が代表者として最初に上がるのは必然でしょう。

> 3.家光を「三代将軍」と決定したのは家康
今の時代でも普通にある。
大きな会社の創業者が二代目を指定した後もそれなりの影響力を持ち、三代目の指名にも影響力を持つ現実。
普通に想像できる話。
逆に、初代に指名された二代目が三代目を初代に逆らって指名できるほどの力を持つのは極一部と言うのは普通にある話。

> 4.キリスト教を禁止したのも、家康
間違いではないですね。
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この回答へのお礼

いかにも。
創業者が影響力を持ち続ける‥というのは、ありそうです。

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2016/03/02 14:40

1 時の権力者は、それぞれ自分を神格化します。

本人による場合もあれば、側近縁者が祭り上げる場合もありますね。
  豊臣秀吉は、母親が妊娠した際太陽が腹に入ったとか、伊達政宗は龍の生まれ変わりとか、
  逸話がたくさんありますが、家康の場合は、鎌倉・室町の滅亡経緯を知り、自らを国家鎮護のため江戸の北東に埋葬し、
  神として幕府(徳川)を見守るため、日光への埋葬を指示したと言われています。

2 家康の時代には、寧ろ積極的に朱印船貿易を展開していたので、家光が主導したと考えられていますが、欧州の船の来港を
  長崎に限定したのが1616年、家康が死去したのが1616年ですから、家康が始めたというより、
  秀忠の代で少しずつ制限し始め、家光の時代で完成という考え方が宜しいかと思います。

3 秀忠の2代将軍は、家康が決定し、三代目の家光も家康が決めたといわれています。
  ただ、家康は、個人の力ではなく集団指導体制を構築使用しており、老中を設けていますので、
  形式上は老中の会議で複数名推挙させ、秀忠が決したという形を取っています。
  しかしながら、秀忠在任中に、家康は大御所として陰で幕政に関与していたといわれていますので、
  その影響・発言力は大きかったと考えられます。

4 家康は、幕府開設当時、ポルトガル・スペイン(カトリック)等との朱印船貿易に積極的で、どちらかという無視していましたが、
  新教(プロテスタント)の宣教師が現れ、キリスト教徒が急激に増えてきた直に、大坂の陣を控え、1612年に禁教令を
  発しています。
  家康が始め、家光で完成という理解で宜しいかと思います。

 参考までに。
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この回答へのお礼

時の権力者は、それぞれ自分を神格化します。本人による場合もあれば、側近縁者が祭り上げる場合もありますね。
 →まさにこれっぽいですね‥。

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2016/03/02 14:43

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