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日本では高校で漢文を習いますが、学習する意義は
学力測定面を除けば、単なる「素養」でしょうね。
日本の高校教育において、漢文を掘り下げたところで、ラテン語起源の言語国が、ラテン語を学習する様な効果は、余り得られないでしょう。

しかし、もし、中学校から英語の代わりに中国語を学習していれば それに近い効果は得られるかもしれません。日本人にとって中国語を学ぶことは、英語学習と同じで、漢文を学ぶことも、ラテン語を学ぶ様なものです。

ところで、中国語は人口大国の言語であり、話者が多いことは確かですが、現時点では中国,台湾以外に公用語とする国はなく、国際言語ではないので、義務教育に織り込むべき言語でもないと思いますが、、、。
かといって 高校でラテン語にまで発展学習したとして、英語学習上、さほど有益とは思えません。

結局のところ、ネイティブにとって、母国語の起源を学習するのは意味がありますが、初等外国語の教育過程において、その外国語の起源を学ぶのは、日本人の幼稚園児に、日本の古典を教える様なもので、余り意味はないのではないでしょうか?

現在の高校における漢文学習は、あくまで国語学習の一環であって、中国語学習の素養になり得るとしても、その目的で行われているものではない点は、確かでしょう。


そこで質問ですが、漢文を学習する意義は 他にありますか?

A 回答 (4件)

素養であるかどうかは、本人のその後の進路によるので何とも言えないけど、教養であることには間違いありません。


昔、阿部公房が湯川秀樹にインタビューをしたときに、湯川秀樹が小さい頃、祖父に無理やり漢詩の素読をさせられていたという話になったのだが、湯川はそれらの漢詩の意味するところなんて読みながらさっぱりわからなかった(そりゃ4歳や5歳でそんなの読まされてもわからんわな)。しかし、そういう経験が人生において大きな影響を与えてくれたという話をしてました。で、最後に湯川秀樹曰く、「一見、何の役にも立たなくて無駄に見えるものこそが人生を豊かにする」
つまり、実務だけでは人生豊かにならないってことです。

だから意義を考えることがいつも良いとは限らない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/12 17:45

単なる「素養」でしょうね


   ↑
素養ですが、「単なる」ではありません。
素養は大切だから、高校で学ぶことにして
いるのです。

役に立ちという点では英語に劣りますが、
すぐに役に立つモノはすぐに役に立たなく
なります。

人生において、右か左かの選択に迫れたとき、
役に立つのは素養なのです。


漢文を学習する意義は 他にありますか?
  ↑
ハイ、国民としての意識を持たせる意義が
あります。

国民としての意識など、当たり前のような気が
するかもしれませんが、これがしっかりと構築
されているのが、先進国なのです。

途上国の国民にはこれが無い、あるいは薄いのです。
イラク、アフガンなどを観てください。
国民に国民意識がないことがあのごたごたの最大の
原因です。

同じ言語を使い、同じ歴史、同じ文化を共有している
という意識が国民という意識の醸成になるのです。

平安時代の公文書は漢文でした。
漢文を学ぶのは、水平的には今生きている日本人
としての同胞意識を、垂直的には古代人の心に
触れる、という意義があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/06 17:39

日本の古典文学や歴史的な文献にも、漢文で書かれたものは少なくありません。

『懐風藻』などの漢詩集はもちろん、『万葉集』も和歌以外の部分は漢文です。『古事記』『日本書紀』をはじめ、平安時代の『続日本紀』や鎌倉時代の『吾妻鏡』などの歴史書も、漢文で著されました。

日本の古典や歴史を研究する上で、漢文はどうしてもはずせません。大学に入って、初めて漢文を見るようでは、読めるようになるまでに時間がかかりすぎます。せめて漢文の基礎くらいは、高校までに身に着けておく必要があります。

もちろん、一生古典や歴史に興味をもたない人は、漢文が読めなくても困らないでしょう。が、それを言ったら古文も同じです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/12 17:46

> 高校で漢文を習いますが、学習する意義は、学力測定面を除けば、単なる「素養」でしょうね。



素養ってなんだか、人によっては意味や価値付けが変わってしまうような気がします。 文科省の高等学校学習指導要領では次のような説明がされています。

第5 古典A
1目標
古典としての古文と漢文,古典に関連する文章を読むことによって,我が国の伝統と文化に対する理解を深め,生涯にわたって古典に親しむ態度を育てる。
2内容
(1) 次の事項について指導する。
ア 古典などに表れた思想や感情を読み取り,人間,社会,自然などについて考察すること。
イ 古典特有の表現を味わったり,古典の言葉と現代の言葉とのつながりについて理解したりすること。
ウ 古典などを読んで,言語文化の特質や我が国の文化と中国の文化との関係について理解すること。
エ 伝統的な言語文化についての課題を設定し,様々な資料を読んで探究して,我が国の伝統と文化について理解を深めること。
(2) (1)に示す事項については,例えば,次のような言語活動を通して指導するものとする。
ア 古文や漢文の調子などを味わいながら音読,朗読,暗唱をすること。
イ 日常の言語生活の中から我が国の伝統と文化に関連する表現を集め,その意味や特色,由来などについて調べたことを報告すること。
ウ 図書館を利用して古典などを読み比べ,そこに描かれた人物,情景,心情などについて,感じたことや考えたことを文章にまとめたり話し合ったりすること。

漢文は、白文ではなくて、日本語の一部です。中国語でも,外国語でもないです。漢文は古典と言えば古典でしょうが、現代では文学としての古典としてではなく、故事成語、熟語、あるいは話題や例証に使用する教訓や戦略を簡易に表現するフレーズとして使われるものを漢文で学ぶことが多いです。また漢文の語調やリズム感は日本語ではかなり重要なものと私は思います。 天文、物理、化学、生物、数学、政治経済、地理、音楽、美術、体育などでも、高校で学ぶもの(内容)は、現代日本の社会で文化を共有しコミニケーションや娯楽、業務遂行を円滑にするための基礎学習だと思います。 漢文学習で学ぶ(発音や構文以外の)内容も、こうしたものと同じで、現代日本の社会で文化を共有しコミニケーションや娯楽、業務遂行を円滑にするための基礎学習だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/04/28 10:20

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