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人間とは何か お金とは何か 価値とは何か

と言うのは自分なりに分かる様に思うのですが

存在 という言葉が何を意味しているのか?

自分でも定義してはみましたが 今一つ掴みきれません

存在とは 何なんでしょうか?

A 回答 (27件中21~27件)

お礼ありがとうございます。


質量を「性質」と書いたのは、哲学的には間違いでしたね。
哲学的な定義(意味)では、「性質」と「量」は対立概念で、「性質」は「量」では図りえない、概念です。
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この回答へのお礼

ありがとう

しかしよくよく考えてみると 質量というものはエネルギーの一状態とも言えます

エネルギーの一性質と考えることもできるかもしれません

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/05/15 10:55

何が知りたいのでしょうか?


人はそれぞれ自分の創造した世界に生きています。誰もが等しく同じことを経験したり、客観的な世界に生きているわけではなく、自分自身の趣味、関心に従って世界を意味づけ、そのようにして世界を知り得ています。人は自分が意味づけした世界に生きており、世界を不断に創造しているともいえます。私的感覚の世界は確かに個人が構成したという意味では仮想であったとしても、それとは別の絶対的な基準となるような世界を想定し、それのみが真実である、と考える必要は無いとも言えるのです。したがって存在も非存在も自分の感覚でしかないといえるでしょう。
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この回答へのお礼

そうですか 自分の感覚でしかない という訳ですね。

でも実際に人工衛生や芸術が共感を呼ぶのは やはりちゃんと繋がっているからではないでしょうか

地球は一つです。ひとりひとりに地球があったら地球とはどういうものか何時まで経っても分かりません

そして、その考えで行けば、自分が死ねば全てが終わりですから どう生きようと最後は死で終わりです

死んでもあとに残る社会があるのです。そうは思いませんか?

お礼日時:2016/05/15 10:53

お礼ありがとうございます。


エネルギー自体は、実はそれなりに難しい概念なんです。
文字通り、物理学的定義としての、「エネルギー」だとしたら、それは力学的現象を特徴づける(なんらかの法則化が可能である概念としての)保存力を意味します。
つまり、それは力学的な意味しか持たない事になります。
アインシュタインの相対性理論では、物質の持つ質量がエネルギーと等価である事が示されますが、それは物質がエネルギーと等価であると言うよりも、物質の持つ質量という「性質」がエネルギーと等価であると言う事です。
また、光は質量を持ちませんが、その振動数に応じた運動エネルギーを持ちます。
質問者の意図が、物理学的エネルギーを「存在」の対象が持つと言う事であれば、誤解をして申し訳ありません。
「性質」の定義に関しても、あくまで「存在」の対象が持つ性質そのものだとしたら、主張されたい事の意味を考察された方が良いのでは無いでしょうか?
単純に、現象として、「存在」の対象が「エネルギー」と「性質」を持つ事は、想定しえるでしょう。
では、それが、質問者にとって、どのような意味を持つのかと言う事です。
「エネルギー」を持つとはどういう事なのか?(それは、力学的に作用する保存力を持っていると言う事です)
「性質」を持つとは、どのような事か?(「性質」そのものを語るならば、それぞれの「性質」に関する意味付けが必要でしょう)
回答と言うより、質問の解題になってしまって、申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ありがとう

>物質の持つ質量という「性質」がエネルギーと等価であると言う事です。

質量は性質でしょうか?私の語感にはありませんが。

エネルギー保存則によって質量から光から波動からポテンシャルまで変化するのがエネルギーです。

性質はエネルギーの働き方を言うのだと思います

誤解され易い定義なのでなかなか理解されません。

お礼日時:2016/05/14 21:19

存在は自身の意識です。

自分の周りに客観的にいろんなものが存在していても、自身が意識していないものは目に入りません。つまり知覚されないのです。それはあたかも存在していないかのように。したがって、客観的に存在しているという事は何の証明にもなりません。人間の五感で知覚されるものだけが存在しているわけではないからです。
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この回答へのお礼

そういう考えが哲学には伝統的にありますが それでは何も始まらない

相手が居るとも分からない。世界も社会も全て自分の頭の中です。

どうにもそれでは当たり前のことが説明できないのです。

お礼日時:2016/05/14 21:18

お礼ありがとうございます。


お礼から判断した所、質問者は「存在」と言う概念そのものと言うより、「存在」する対象に対する定義を求めてらっしゃるようです。
そこにあるキーワードは、「性質」、「エネルギー」、「個性」ですね。
「エネルギー」に関しては、物理学での力学系を特徴付ける保存量と言うのが、物理学上の定義です。
質問者が想定する「エネルギー」とは、物理学的な意味では無く、「存在」する対象が内在する「能力」、つまり「潜在能力」もしくは、「潜在力」と称した方が適当でしょう。(その方が、物理学的な反論を避ける事ができますし、通俗的な「エネルギー」の概念とは違う事が明確になるでしょう)
「性質」に関しては、「存在」する対象を、その他の「存在」する対象と識別する為の尺度と考えて構わないと思います。
その意味するところは、対象と対象以外を識別する尺度と言う事です。
「個性」とは、「性質」で特徴づけられる、識別記号と考えて良いでしょう。
したがって、新たな解釈により、質問者の意図する「存在」する対象は、以下の言説で表現されます。
「個性」と「潜在力」を持った「存在対象」が「存在」する。
質問者の意図としては、全ての「存在対象」が「個性」と「潜在力」を持つと言う事を示したいと言う事でしょう。
その為には、全ての「存在対象」が、「個性」により識別される事と、「潜在力」を持つ事を示さなければいけません。
「潜在力」を、「存在対象」相互が、作用しあう能力と定義するのならば、全ての「存在対象」が相互に作用しうると言う事を示せば良い事になります。
実を言えば、この概念は、普遍的な「存在対象」が「存在」しない事を示さなければいけない事を示唆します。
ただし、普遍が抽象的な概念であると想定すれば、それからは逃れる事は可能でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

何か難しいですねえ。僕としてはエネルギーはそのまま科学で言っていたエネルギーという

知られている言葉を使ったつもりでしたが。

そしてこの宇宙にはエネルギーと性質しかない と見た訳です。

「エネルギー」という言葉も「性質」という言葉もポピュラーですが誤解されがちな言葉です

多少私独特の意味合いもあると思います。

例えば「性質」という言葉はただ識別する為の言葉ではなく 性という働きを持った意味合いです。

エネルギーがどう働くか と言う事です。

まだまだご理解を得ていない定義ですが 考えてくださってどうもありがとうございます。

お礼日時:2016/05/14 20:31

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。


この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。

我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。
無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性(記憶=時間の流れ)」の相補としての「空間仮説性予測=空間の広がり」。
「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に物事を捉え、本質的に決定しないことにより有限的存在性は生じるとする不確定性原理といったものを伴う時空、ということです。

即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去=経験=時間)と光速
(未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。
即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。
「「存在」とは何でしょうか?」の回答画像2
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この回答へのお礼

その量子的な不確定性というのは 本当なのでしょうか?今は通説のように言われていますが

不確定性が現実だというのも何か変ですねえ。

確かに存在するのは現在ですが それから色んな仮説が出てくるので 本当かなあ?と思ってしまいます。

先生の論としては纏まっていますが 私のはどうもよく分かりません。

お礼日時:2016/05/14 17:08

「存在」とは何かと大上段から質問されると、それを回答する事がはばかられますが、質問文にあるように、個々に「存在」する物や、「存在」する概念については、それなりに考察する事は可能ですね。


では、何故「存在」という概念そのものを回答するのが難しいのかと言えば、それが意味するのが、「状態」でしかないからです。
「存在」する「状態」の意味を追求するならば、その「状態」がどのように作用するかを考えなければいけません。
したがって、作用する実体としての「存在」と切り離して、「存在」そのものを論じるのは難しいと言う事です。
「存在」しない事を意味するのは、一例としては「虚無」(それは文字通りに「無」であると言う意味です)でしょう。
「存在」の一つの定義としては、「虚無」では無いと言う事になります。
では、「虚無」では無いとはどういう状態なのかが問題として生じてきます。
哲学では、長い間、その事を追求してきています。
「存在」とは、そのような概念とは言えますが、それに状態以外の意味付けをするとしたら、それを問う主体との関係性が問題になります。
その本質を問うとしたら、あまりにも、その範囲が広すぎます。
哲学である以上、それは哲学者の方法論により、その範囲は狭められていくでしょう。
まずは、質問者にとっての「存在」がどのような意味を持っているかを提示されるのが良いのでは無いでしょうか?
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この回答へのお礼

誠意ある回答をありがとうございます。

私が考えた存在は 私が見たところこの世に在るもの それは 性質を持ったエネルギーです

性質を持たないエネルギーもないし エネルギーのない性質もありません

従って 存在とは 性質を持ったエネルギーである。と定義しました。

物質もエネルギーと性質で出来ていますし 精神も性質ですが、その性質は脳の物質の反応の性質です

更に 存在とは 個性ある性質を持ったエネルーギー・物質 としました。

性質には個性があります 性質がその存在の個性を表します。 また科学の方では物質とエネルギーは違う

とお叱りを受けます。それでこのように記しました。

確かに存在は 無ではないということです。無ではなく何かが在る と言う事です。

お礼日時:2016/05/14 17:03

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