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人間とは何か お金とは何か 価値とは何か

と言うのは自分なりに分かる様に思うのですが

存在 という言葉が何を意味しているのか?

自分でも定義してはみましたが 今一つ掴みきれません

存在とは 何なんでしょうか?

A 回答 (27件中1~10件)

ハルさんの関心が、ちょうど形而下と形而上の中間くらいにあるせいで、なかなか判然としないのかも知れませんね。


私も酸素分子は安定的でないと言われても知らないので、あぁそうなんだ。としか思いようが無いですが、ハルさんは科学的知識を欲しておられるのかな?と少し思いました。
どうなのでしょう?
私は、哲学と言うのは科学とは違う問いを持つものだと思っていますが、ハルさんは科学が問い求めるような、存在とは何か、の答えを求めておられるのでしょうか。
確かに何故万物が在るのかと問われて、宇宙の生まれを解明できるのは科学であって哲学では無いように思えます。
しかし、この存在の意味を与えられるのは哲学の方ではないでしょうか。科学は事実を解明しますが、その存在の意味まで見出すことは無いように思います。科学者ではなく、あくまで科学は、と言うことですが。哲学はハルさんの仰るように、日常に使う言葉によっても生み出されえるものであるとの見解に私は同意します。学術的な厳格な言葉の使用による哲学の構築も勿論ありますし、それは尊重すべき事であるとは思いますが、同じくらい、日常の言語による普通の人が持てる哲学もまた、尊重されるべきだと思っています。

今回の問いでは、私は日常的に使用する言葉による哲学が問われていると言う前提でお答えしました。
もしハルさんが、そうではない学術的な哲学用語による解説や、科学的知識を求めていたのであるなら私はお答え出来ませんので、その旨ご理解頂きたく思います。
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この回答へのお礼

Thank you

科学では言いませんが 存在することに意味があるのです。存在することに意義があり、存在することが目的で

存在することが価値なのです。存在することが正義であり、愛の目的も存在です。

これは科学でも既存哲学でもありません。

しかしわれわれにとって非常に大切な考えなのです。

人生の目的は金ではありません、欲望でもありません、力や知恵だけではありません。存在する事がどこまでも目的なのです

千代に八千代に 永久に永遠に存在するものを目指しているのです。それは完全なエネルギー循環と意識です。

世界は存在をせめぎ合っています。人間は存在を創り出すことができます。命はまた命を産むのです。

私は難病患者で他にも病気があって夏までは何とか活動できそうですが冬には生きていられるかどうかわかりません

存在の危機を感じているのです。

お礼日時:2016/05/16 21:29

一言で命があることです

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苦しみです。


これが究極の答えです。
本来ない方がいいようなものです。いや、あるべきではありません。
ですから生きていることが大変なのは当然なのです。
もう一つの見方としては「物質」です。
生命体は物質です。この物質について生きていると言っているわけです。またそこから生じる「感覚」です。
これらを乗り越えようとして「宗教や神」があるわけです。もっともこの宗教というアプローチが正しいかどうかはすべて各人の理解によります。
死というのは存在がなくなる事です。
ですから存在は「物がある」という事です。
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この回答へのお礼

成る程。よくは分かりませんが 生命は物質で死んだら生命じゃなくなる と言う事でしょうか?

どうもよく分かりません。

お礼日時:2016/05/19 20:26

悠長な事は言ってられないですね。

人の一生は長くは無いですし、いつ死ぬかも分かりません。
一人の人に出来る事はそう多くはないですし、青春を過ぎてしまえば衰える一方です。
その様な中で何を目指すかはその人の個性によるところだとも思えますが、人として望むべき何某があり得ないとも思えません。

自分は本当には何を望んでいるのか、最低限の事を先ずは明るみに出して、それに従って生きて行く中で、また景色も変わって来るのでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとう

私はもうお腹が痛くて この冬は乗り越えられそうにありません

私の考えた存在性思想を伝えてから寝たきりにでも何にでもなろうと思います

存在物において性質がエネルギーに態を与えて存在を実現しているんですよ

そういう存在させる性質の事を「存在性」と言います。

存在してる物は全てこの存在性によって存在しているのです。

存在性はエントロピーを減少させると言っていでしょう

宇宙はエントロピーが増大する法則に貫かれてるとされていますが

実は存在性は存在しようとする方向に向かうのです

これは単なる太陽エネルギーのネゲントロピーではありません

等など 伝えたいことはHPに満載です。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/05/18 20:02

ちょっと文章が散らばっていて、何がおっしゃりたい事の骨子なのか判りかねますが、ハルさんが病気で、存在の危機を感じており、その危機をなんとか解消したいという気持ちは伝わりました。



私は、何十億年積み重ねられてきた過去よりも、また、より進化した未来の人類の事よりも、今ある自身の人生を大切だと思っているので、今回のお礼では気持ちは理解出来るけど、共感はあまり出来ませんでした。しかし、ハルさんにとっては、今というのはとても辛いものなのでしょう。故に未来に希望を繋げたいという気持ちになるのも無理は無いと思います。
病気から回復すれば、考える事も、望む事も、また変わってくるのでしょうね。

私の、如何に生きるかが重要だという回答も、私の置かれた境涯を反映しているものなのでしょう。昔も似たような事を考えていましたが、今はそれより強く思うようになっています。年をとる事でその置かれた境涯もまた変化していますから、考えも変わっていって当然なのかもしれません。

私も偉そうな事を書いてしまったかなと、もっと肩の力を抜いた回答が出来れば良かったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

私も確かに存在の危機を感じ 今何が出来るかを考えていますが

誰しも死ぬのです 死の予見が必要なのです

皆 死ぬまでに何が出来るかが問題なのです

あまり安穏と構えていたら 現実は今より悪くなります 存在・存続してるものも無くなってしまいます。

環境破壊とか温暖化とか人口爆発で世界の環境は大きく変わってきました もう取り戻すことはできないでしょう

自分が死ぬまでに何が出来るのか、どんな可能性があるのか? それを追求することが必要なのです。

人は今を生きているうちに老人になります。少年老いやすく学成り難し。

哲学の道もそうです、誰かが考えるだろうと思っているうちに役立たずな学問 として忘れ去られます。

お礼日時:2016/05/18 14:48

この世には残酷な事が存在しています。

生き物を食べると言う事は残酷な事です。しかしこれをしなければ人類含む捕食者は生きていけません。
また、命は有限であります。いくら存続しようと、存在し続けようとしても、人を含めた生き物には寿命があります。
存在が価値であり正義だと言うけれど、存在と言うものは儚く、しかも残酷な事でもあるわけです。その様な存在として生まれた故に、どの様に生きて行くのかが問題であるのに、存在さえしていれば良いんだと言うのは余りに単純です。

如何に存在するかが大切なのであり、ただ存在している事に価値があるわけではないのです。

命は如何に使うかでしょう。
ただ存在するだけなら、道端のアスファルトの欠片だって存在しています。それにも価値があるのでしょうか。それにも正義があるのでしょうか。

生き残ることが生命の至上の目的であり、それを達成することが正義だなどと言う人は他にもいますが、そんなものは正義でも目的でもありません。只の成り行き任せです。様々な、時にはあくどい手段を行じてでも生き残れば良いというのでは、永遠には到達する事はできません。善悪の無い自然世界の要請を満たすだけでは、人は幸せにはなれないのです。

存在することが大事なのでは無く、人として如何に生きるかが大事なのです。いつか死ぬのは皆同じです。有限であるからこそ、有限を超えた永遠を目指したり、それを知る事ができるのでは無いですか?

自ら死せるものであって、死せるもののみを求める、これを非聖求と言う。
自ら死せるものであって、死せざるものを求める、これを聖求と言う。

古代の愚かな皇帝のように、不老不死の妙薬を求めてもそんなものは無いのです。できるのは、有限にあってそれを超える事、生存にあってその執着を超える事、なのです。

ただ存在するのではなく、善き存在を求めると言うのであれば話は分かります。存在にも正しい方向性と言うものが必要でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

私は存在の基本を書きました。アスファルトの切れっ端でも存在意義はあると思います

命を殺して食べることを「残酷だ」と言われますが この生態系では全てそうなのです、肉でも魚でも野菜でも

命を取って食べているのです。本当に残酷なのは心あるものを殺すことです。主に人間ですが

人間を殺して食べるのは残酷です。人間には他にも色んな可能性があるし 人を食べれば人から食べられます。

また ただ存在するだけでも大変なのです。殆どのものが変化し変わっていく中で存在しているのは貴重です

人だってホームレスは大変です。病気になります、暑いし寒いしただ生きてるだけでも大変なのです

難病の人でも人間存在として生きていることに意味が在ると思います、人間は色んな可能性があるのです

生きていれば何かになります。生き仏ともなりましょう。

存在しない事には正義も不義もありません。存在しない事には話にもならないのです

それを過去の対戦は物語っています。勝てば官軍なのです。だから戦争をやめなければ安心できません。

確かに人間は永遠に生きる事は難しいでしょう。しかし人間としては数百万年、生命としても40億年

タスキを繋いできたのです。未来はは永遠です。永遠を目指す人がいてもおかしくはない

自分が永遠でなくても人間のたすきを繋ぎ、ロボットやアンドロイドとなっても永遠に存在を勝ち取って行く

それが人間と言うものです

良き存在というのが 自律していて調和していて愛のある存在なのです。それはより確かな存在であり

存在・存続を求めるなら、そのような存在を求めるでしょう。

存在しない事には何もありません だから存在を求める、存在が目的なのです。この世は如何にに存在するかです

より良い存在、より強いよ存在、より美しい存在を求めます。存在が価値なのです。

朝で頭が働きません。こういう存在ではいけません より明晰な存在であるべきです。

この世は存在するか しないかしかないのです。

お礼日時:2016/05/18 10:55

№19です。

その末尾にこう書きました。:

☆☆ 25. ところで この世界を超えた場はあるか? 存在
とは われらがヒトあるいはかれが知り得る世界だけであるか?

26. この問題は 広がるのではなくむしろ狭まるのではない
か?

27. ヒトなる存在がその自然本性において・および環界の自
然とともに 今度は文化的に(言葉の海を航くごとく)人間とな
る。

28. このとき他に人間や文化はないかというのではなく そ
うではなく 人であるのは共通だが なぜわたしはわたしであり
あなたはあなたであるのか? という問いが持たれませんか?

29. これも 存在論の重要な主題でしょう。

30. これは 早い話が 自然本性のうちの《意志》に焦点が
あたる問題だと見ます。

31. 二人や三人があつまってようやく人間としての意志が成
立しそれとしてやっと結論も決まるというものではありません。

32. 民主制として話し合いを持つときにも すでに《ひとり》
である人間がそれぞれ――その意志自由において――意見を形成
して来ておりそこで互いによりよき結論へと問い求めて行くのだ
からです。

33. あなたがあなたであるのは 意志にありそのつどの判断
とその実行にある。

34. つまり 存在論としての実存の問題があります。

35. 民主制とは おのおの《実存》としてのワレどうしの話
し合いである。

36. 議論をとおしてよりよき結論へ到るというその議論をも
しけんかと呼ぶとするなら 民主制は けんかである。

37. このけんかをしない存在は 実存ではなく 煮詰めて言
えば人間ではない。ヒトではある。にんげんの《に》までの状態
にある。のではないか?

38. 存在とは何か? は人間としてはここまでを論じること
になるかと思われます。

39. 《ひとり(一人・独り)》として存在するということ。
ここに 経験世界を超えた場をひとは想定する所以があるようで
す。

40. というよりは ワレがひとりであるということがそのま
ま 《かみ》という言葉につながっているようなのです。

41. そんなものはしゃらくせえーと言う向きには 《無い神》
が 結果的に 用意されていたという現実が待っている。

42. だから 神という言葉は ひとの存在論と切っても切れ
ない関係にあると考えられます。

43. わが実存にとって 神とは 無根拠です。そういう関係
にありましょう。

44. 存在については このように説明するのが分かりやすい
と考えます。
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この回答へのお礼

ありがとう

すみません よくわかりませんm(_ _)m。。

お礼日時:2016/05/18 15:00

私は言葉の用法の問題かなと思ってこの度の質問に答えていますが、その延長で少しお話を。



>ところが では「酸素分子」という存在は何か? 恐竜という存在は何か?と言い出すと

哲学的に言うと量子論的に電子運の確率分布的に酸素分子というのは・・・・・何なんだ?

恐竜?本当に存在したという証明はできるのか? となって では存在って何なんだ?

ということになります。<

ここらへんに、ちょっと錯綜があるのかなと思います。

・酸素分子という存在は何か?
・酸素分子とは何か?

この2つの文章の意味に違いはあるでしょうか?同じく、

・恐竜という存在は何か?
・恐竜とは何か?

この2つの文章に、なにか意味の違いはあるでしょうか?
酸素分子や、恐竜といった個別の存在について、それらが存在していると言う事は、重ねて言うまでもないことだと思うのです。

酸素分子とは何かと聞かれたら、酸素は元素の一つで、酸素分子はそれが二個結合したもので空気中に約30%含まれており云々・・。
恐竜とは何かと聞かれたら、この地球の太古の時代に生きた生物で、大きい物は全長30mに達する。その進化の果ては現代の鳥類であり、云々・・。

となり、これらは別に哲学的問ではありません。

哲学的問とは、そもそもこの世界の一切は、「何故」存在しているのだろう?とか言うものではないでしょうか。

>なんか随分哲学に詳しいと自称する人が 「存在」とは中身がないもので意味もない 何が何だか分からないものだと

書いておりました。そこで私は この遷ろう存在をどう捉えるのが普通の意味か考えたのです

その結果思ったのが 酸素分子という個性のことを存在の単位としているのだなと。それなら酸素分子と言えるなと

思ったのです。<

この遷ろう存在をどう捉えるのが普通の意味かといえば、この世は無常であるとか、流れとどまらないものであるとか、万物流転など色々表現はありますが、そのように捉えて良いものであります。ハルさんは、ここに、存在のアイデンティティを求めるならばという添え書きをされて居られますが、名称が存在する時点で、アイデンティティは求めるまでもなく在るのです。いちいちそれを二重に語る必要はどこにあるのでしょうか。
 ハルさんの仰る「酸素分子という個性」この時の個性という語句の用法が一般的ではないために、齟齬が生まれているのではないでしょうか。酸素分子と言った時点で、それが他の何分子でもない酸素分子のことであるのは自明です。いちいち、それを個性だと言う必要はありません。他の存在についても同様で、恐竜と言えば、それは他の生き物、鹿でも虎でも猿でも魚でもなく、恐竜を指し示しているのです。改めて、恐竜という個性、などと言う必要があるでしょうか。
 恐竜という個性、これをあえて語るなら、それは仰るように一種の型式、形相、イデアのようなものであると思えますが、もし、日常の言語から哲学を生み出したいというのであれば、別にここを突っ込む必要はないと思うのです。ハルさんの語りたい中心題材は、ここではないでしょう?ハルさんの語りたいことは、人間の目的とか、恒久平和のためにとか、そういうことではないでしょうか?ハルさんの目的に適う問とは、人間とは何か?とか、恒久平和とは何か?と言った問であるように思えるのです。
 であればここはスルーしていい問題のように思えるのです。アリストテレスは偉大な博物学者でもありましたが、博物学は形而上学ではありません。ハルさんのこの度の問は、形而下の事を問うてるのか、形而上の事を問うているのか、不明瞭であります。



この度のご質問の「存在とは何か?」の回答は、それは無常なものであるとか、或いは恒常普遍のものであるとか、無限のものであるとか、有限のものであるとか、知りえぬ事柄であるとか、知られた事柄であるとか、一切万物のことであるとか、そう言った答えを望んでいるのか、それとも、存在という言葉の意味や用法を尋ねているのか、私は言葉の意味や用法について悩んでいるのだと推察して回答いたしました。

この説明でいくらか、混乱した「存在」にまつわる思考を紐解けたのなら回答した甲斐があるというものです。

追伸:
他の回答者さんへの御礼で、「存在とは無数の個性を持った宇宙を越える全て」であるとハルさん自身が答えて居られますが、これは「存在とは個性ある性質を持ったエネルギー」であるという当初の表現と趣向がやや異なっています。この辺りの整理がまだついていないことが気にかかります。
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この回答へのお礼

ありがとう

ん~~~ 酸素分子が存在することなど当たり前だ と言われれば 成る程 ということになりますねえ

酸素分子ってそんなに安定してないんですよ。では酸素原子は存在するか?と問えば 同じように書かれるのでしょうね

では何故酸素分子はその様な個性をしているのか?それは一つは存在として安定しているからです

安定してないと直ぐ変化してしまいます。安定というのは存続するということです。

存在する事と存続することは違います。存続しなければアイデンティティなど在りえません

存続するにあたって 存在性も必要になってくるのです。

当たり前だと言われたら 返す言葉がないですねえ。

お礼日時:2016/05/16 19:28

№9です。



12. 自然本性のうちの《心(精神)》が 《記憶・知解・意志》の
三つの行為能力から成るというとき この役割分担は 国家における三
権分立に呼応するように見られる。

12-1. 《自己組織としての秩序作用》なる記憶行為は 司法。
《精神が精神する作業とその結果得られる整合的な情報》なる知解行為
は 立法。
《情報の取捨選択・その判断および実行》としての意志行為は 行政。

13. もしこのようだとすれば ヒトなる存在は 個別の《われ》と
してのみ成り立っているものではないと考えられる。

13-1. 人間たるワレの存在は そのような存在の関係である。つ
まり人間はいわゆる社会的動物である。

14. 個別の――なぜなら特には《意志》の相対的な独立性ゆえ個別
の――存在たる人間は 同時に関係的存在である。 

15. この《関係性》からすると 世界は そのような(つまり互い
に関係しあう)場であると捉えられて来る。

16. ヒトおよびその他のあらゆる存在から成る世界は モノ・コト
の関係であるか。縁起共生とも言われる。

17. 世界関係は 科学がそれを成す要素にさかのぼって認識する。

18. 自然科学は 基礎を成すモノ(コト)を探究する。

19. 世界という場が 基本的なモノによって成り それがコトを起
こす。か。

20. 初めに《場》があった。これが コトを起こすモノとして出来
ていた。

21. 場が全体として・あるいは一部としてユラギを起こす。コトで
あるが そこから個別のモノが生じるのか。

22. これらが 時空間としての世界を成しているのか。

23. われらがヒトも この世界に所属している。

24. 《われらが》とわざわざ言うのは このような世界認識をおこ
なうのは ただ今のところ われらがヒトだけであるから。

25. ところで この世界を超えた場はあるか? 存在とは われら
がヒトあるいはかれが知り得る世界だけであるか?
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この回答へのお礼

ありがとう

われらがヒトが居たから このように世界も説明されようとしているのだし

我らの知らない場はあると思います。宇宙の中にもあるでしょうし

宇宙の外にもあるでしょう。存在とは無数の個性を持った宇宙を越える全てですから

われわれが知らない世界が果てしなく広がっていることでしょう。

お礼日時:2016/05/16 15:56

「諸存在とは、それぞれ個別の特徴を持った活動態の事である」


次いでこんな意訳も思い立ちましたが、余計難しくなった気もします;^_^A
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