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豊臣秀吉は、なぜ将軍にならずに関白になったのかを疑問に感じました。実は、私は家庭教師をしていて、生徒から質問されたのですが正直うまく答えられませんでした。どなたか、正確にわかる方がいらっしゃいましたらお答願いますでしょうか。

A 回答 (6件)

「将軍にならなかった」理由は, はっきりとはしていないはず. 理論上は関白になってしまえば将軍になどなる必要ないけどね.



あと「征夷大将軍は源氏のものしかなれない」という俗説はあるけど, これは当時の意識ではないです... というか, 信長だってその気になれば征夷大将軍になれたわけだし. そもそも家系なんてものは金とコネで何とでもなります. 実際家康は何とかしたわけで.
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征夷大将軍は、源氏のみ任命。

出世前に平氏の家系と言っといて、天下取れそうだから、源氏に変更します。と言う節操のないことはなかなかできません。
それより、関白のほうかなりやすかったのでしょう。
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当時から官位というのは金で養子縁組をして買うものでしたら、秀吉だって源氏の養子を金で調達して征夷大将軍になることは可能だったはずです。



ではなぜ関白を選んだか、

一説によると秀吉は「信長候ができなかったことを自分がする」ということを念頭において行動していた、という考え方があります。信長は天皇を廃止して自分が新皇になり、大陸に攻め入るつもりだったといわれていて、秀吉の朝鮮出兵は信長の野望を実現させたものである、ともいわれています。当時は鎖国の前の時代で、シンガポールなどに日本人街があったり、武士が傭兵として海外に行った時代ですから(それも結構強かったらしい)、大航海時代の西洋のやり方を見て大陸に進出しようと思う人がいてもおかしくは無かった時代です。まあ、信長は発想が桁違いですしね。

その海外遠征のために、日本の武家の長である征夷大将軍よりも、関白を選んだ、という説があります。
関白は公家の最高位で、天皇に直接奏上できる権限がありますので、朝鮮出兵から大陸平定をした後には、天皇に領地を譲り、しかし実質的には関白である豊臣家が大陸の領地を納めるつもりだったのではないか、と考える人もいます。

そうかんがえたほうがつじつまが合うと私も思います。

逆に、朝鮮出兵の危険性を昔の白村江の戦いと比較し、西洋の危険性も含めて鎖国を実行したのが家康であり、かれは征夷大将軍という鎌倉幕府以来のやり方で幕府を開いて日本の安定を優先したのかもしれません。
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秀吉が関白になった経緯は割とはっきりしています。


ただ、「どうして征夷大将軍にならなかったのか」は実ははっきりしていません。

関白は公家の最高位(後に太政大臣になることを含めですが)であり、
征夷大将軍は武家の最高位ですから、官位としては関白のほうが遥かに上です。

将軍になるには清和源氏であること(秀吉は足軽の出なので源氏にはなれない)云々という説も広く浸透しているのですが、それを言い始めたら関白だって本来は摂関家しかなれないわけで。

手法こそ違いますが、秀吉も家康もやろうとしたことは同じで、「いかに朝廷を押さえつけるか」でしょう。
将軍になれば武家は抑えられますが、結局朝廷からの横槍で政権が崩れてきたことは充分承知のはずです。
天皇を中心とした朝廷という組織を何とかしなければ日本は動かせないと思ったわけです。

秀吉は関白となり、朝廷の内側から全てを支配しようとしました。
家康は将軍となり、朝廷の外側から全てを支配しようとしました。
結果だけを見れば家康が正しかった事になりますが、
目指していたゴールは同じはずです。ただ道が違っただけ。
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家庭教師をしてるのなら、自分で調べたらいいやん


1分も掛からず判る事ですよ
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