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大河ドラマ真田丸を見ていると真田幸村が単身で小田原城に乗り込み無血開城を説得した筋書きになっています。かたや数年前の大河ドラマ 軍師官兵衛では黒田官兵衛が単身で乗り込み無血開城を説得したとなっていたように記憶しています。脚本家が違うので自分の担当のドラマの主役が活躍したように書いているものと推察します。実際の史実ではどちらが正しいのでしょうか?
また二人は同時代に秀吉に仕えているものと思いますが、真田丸では黒田官兵衛は全く姿を見せませんが、同じ場所に滞在した期間が少なかったからでしょうか? 石田三成は両方のドラマに出てきて活躍していました。

A 回答 (4件)

何れのドラマも脚色の一つ


実際には、軍使レベルの人間が行き来して決した

どちらが正しいではなく、どちらも正しくはないということ

史実に登場した人物を全てドラマに登場させたら、エピソードが増えまくりで話にまとまりが無くなります
週に一度の45分と言う枠内に収めるためには、不要なエピソードを削ぎ落とし必要なエピソードを膨らますという作業が必要です

削ぎ落とされた結果が勘兵衛であり
膨らました結果が、開城の説得じゃないですか?

三成を外してしまうと、筋が成立しないし
彼を狂言回し役に使うと何かと便利なので外せないのでしょうね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%82%E8%A8%80 …
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この回答へのお礼

貴見のとおりだと思います。ドラマの内容が史実ではなく、脚本家が勝手気ままに味付けしているという理解で今後はドラマを楽しみます。ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/21 18:22

軍事交渉はトップシークレットだと思います。

太平洋戦争の終戦の時も誰かが顔を合わせて日米交渉したはずです。それが誰だったのか今は誰にも分かりません。はっきりしているのは、北条が秀吉に降伏したという事実だけだと思います。
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>7月5日、氏直は雄利の陣に向かい、己の切腹と引き換えに城兵を助けるよう申し出、秀吉に氏直の降伏が伝えられた[


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0 …

歴史は検証が行われ新しい説が出てくるので、当時と今では違うのではないでしょうか。
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史実では一般的に黒田官兵衛が説得したとなっています。

これは脚本の三谷幸喜も分かった上で今回の筋書きにしていたと18日の朝日新聞のコラムに書いています。

信繁を小田原征伐で活躍させたい。信繁が小田原征伐に参加していたのは事実だがどんな活躍をしたかは不明。だったら秀吉の命により開城を説得したという筋書きならどうかと。ただ、実際は官兵衛が説得した事実は曲げられないので、秀吉からのオフィシャルな命を受けたのは官兵衛。裏で秘密裏に動いていたという設定にした(実際家康もその動きに参加していたという話もあり)と書いています。官兵衛が出てこないのは全体のストーリーにはあまり関係ないからでしょう。三成は当然官兵衛や今回の真田幸村とも大いに関わってくる重要人物ですから出てくるのは当然だと思います。

コラムにも書いてありましたが時代考証はストーリーを作る時都度何度も専門家に聞いて脚本を作っているそうです。
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