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関東や東北の名馬の産地で馬体も大きくて、そこに住んでいる人(特に武士)は騎馬戦闘が得意で勇猛果敢で軍事力があった。一方の西日本は、小さくて貧弱な馬しかおらず、軍事的に弱かったって聞いたことがあります。信憑性はあるのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 打ち間違えの誤字があることをお詫び申し上げます。「関東や東北は」です。それとタイトルの「西日本のする墨・池月伝説」はこれに関連するのですが、奥州馬といった名馬の産地である東国だけでなく、貧弱な馬しかいないと言われる西国(西日本)にも馬産地の伝説があるのを疑問に思ったからです。

      補足日時:2016/06/22 00:03

A 回答 (3件)

事実の確認がそう出来ているわけではないようです。

 人間でも、人種による体格差がありますが、個人差もあります。 
日本の中世までは(近世でも)、だいたいは日本の馬は現在からみればとても小さかったようです。
でも、近畿には結構大きな馬もいたみたいです。
関東や東北にも大きな個体はいたでしょうが、個別に確認出来たのはあまりないようです。
「文献上では、『続日本紀』霊亀2年(716年)6月7日条に、新羅国の丈五尺五寸(165センチ)の紫の驃馬(ひょうば・強い馬)2匹を献上した記述があり、事実とすれば、国内にも大形馬が極々一部渡来していた事になり、中央に集中していた事にもなる。」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
「出土する骨から推定される当時の馬の体高は120センチから140センチ程度で、現在の競走馬と比べるとかなり小柄である。『平家物語』に登場する「池月(いけづき)」や「摺墨(するすみ)」などの名馬は比較的大柄だったようだが、それでも体高150センチ程度だったらしい。」  http://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/uma …
摂関家や有力貴族は、近畿や西日本に牧を持っていたので、そうしたところの武士は大きな馬を使っていた可能性があるでしょう。 
日本で馬が大型化するのは20世紀に入ってかららしいです。 http://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/uma …

「古墳時代では小形馬が主流であり、一部中形馬が存在し、奈良時代になると平城京を中心に中形馬が増加するが、小形馬も地方を中心に依然として残る分布状況であったとみられる(したがって、古代では近畿圏の方が馬の体格は大きい)」らしいです。

当時の軍馬は、いまからすれば小さいですね。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1220067.html
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小佐々学さん(日本獣医史学会理事長:東京大学大学院農学生命科学研究科獣医病理学研究室日本獣医史学会事務局)の「日本在来馬と西洋馬」(2011 日獣会誌)からの抜粋です


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鎌倉時代末期の遺跡から出土した128頭の馬骨の推定体高の平均は129.5cmで,最小は109cmで,最大は140cmであり,中世から現在まで日本在来馬の体高はほぼ変わらなかったことが分かる.
『平家物語』などの軍記物に登場する名馬でも,源義経の青海波は4尺7寸,畠山重忠の三日月は4尺7寸余,佐々木高綱の生は4尺8寸(145.4cm)で,145cm余がその当時に名馬とされた大馬の限界になっている.
競走馬のサラブレッド種では体高160~170cmで,またアラブ種の体高は約150cmであることから,日本在来馬は小さく,全てポニーに分類される.

時代劇映画やテレビの大河ドラマなどに登場する大型馬の騎馬軍団は,存在しなかったことになる.
サラブレッドに乗って颯爽と疾駆している鎧武者の姿は虚像であり,実際には小型のポニーに跨っていたのである.
長年にわたって戦国期の日本に滞在して合戦を見てきた宣教師フロイスは,ヨーロッパでは馬上で戦うが,日
本では馬から降りて戦うと記述している.

軍記物に出てくるような体高145cmに近い当時としては格別の大馬であれば,先陣,乗込,乗切など騎馬武者の個人的な技量により馬で戦うことが可能であった.
一方,多くの馬は戦闘よりも,重い鎧を着た武者を戦場まで運ぶ輸送用の乗物としての役割が大きかったと考えるのが妥当であろう.

詳しいことは後述するが,日本在来馬は去勢されていなかったので,牡馬同士が集まると直ぐに喧嘩するため,西洋の騎兵隊のような大型の去勢馬による統制が取れた騎馬軍団としての行動は難しく,戦闘馬としての資質に大いに欠けていたのは事実であろう.

戦国期最強とされる武田の騎馬軍団が有名であるが,その根拠は『信長記』の「勝頼が軍勢は皆馬上達者にし
て…」という記述に由来すると考えられる.
これはあくまでも個々の騎馬武者の乗込や乗切の技量のことであって,騎馬隊としての集団行動を評価したものではない.
武田軍には個々の技量が優れた騎馬武者が多かったのは事実と思われるが,西洋の騎馬隊のように統制が取れた騎馬軍団は存在しなかったということができよう.
日本在来馬はその体型から山道や坂道での歩行に適しており,特に山国であった甲斐では乗用馬や荷駄馬が重
視されて軍用に多用されたため,武田の騎馬軍団説が生まれたものと考えられる.
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無いと思います。


江戸時代までは西も東も日本の馬は小さくて、今のポニーくらいの大きさだったらしいです。だいたいデカくて有利ならば西の武将も手に入れたことでしょう。
日本の馬は、今では北海道のばんえい競馬(荷物をひく競馬)の馬に名残がある程度でしょうか。
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