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弥生時代の稲刈りで稲穂の部分だけを刈り取るのはなぜ?

A 回答 (6件)

水稲には水稲技術の輸入も不可欠です。



中国では青銅器や鉄器による稲作が普及していましたが日本では普及しませんでした。
稲作技術自体は一気に拡散したと見なされています。

日本では田打ち自体から問題があると思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%B5%B7% …

また、収穫量が想像以上に低水準ですので、

治水、灌漑技術に大きな問題があった。
従来の居住地では賄えなかった問題があった。
なども十分に考えられます。

石包丁をハサミにしても、稲自体を刈る事は難しいと思います。

また、米は多くても食料の3~4割の比率でしかありませんから、
これにかける費用は狩猟に多く回されたはずです。
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 まず、弥生時代の水田遺構ですが、潟や沼地の自然地形を利用した水田だったことがあるのではないでしょうか。

つまり、水が深く根元は刈り取り難かったのでしょう。
 次に、当時の稲モミは穂から落ちやすかったようです。となると、穂先だけの刈り取りか、籾だけの採取を行う方が収穫量は多くなります。
 三番目の理由ですが、近年の研究で、弥生時代の水田には、本来陸稲の熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカが個別無く植えられていたことが分かっています。最初は晩稲ばかりだったようですが、弥生時代には早稲が交配で誕生しています。早稲は熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカの交配で誕生するとされていますから、ひとつの水田に、結実期の異なる早稲と晩稲の温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカが同時に栽培されていた可能性もあります。他のお方もご指摘のとおり、刈り取り時期の違いに対応するするのにも穂先で切り取るのが都合が良かったのだと思います。
 最後の理由は、弥生時代には稲作は存在しても、『稲作文化』は無かったと考えられているからです。後の時代には、稲の茎(茎幹部)を使って、筵、藁靴、注連縄、藁灰等の生活を豊かにする文化が誕生しますが、この時代には稲作文化はなかったので、わざわざ根元から刈り取る必要はなかったのだと思います。
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収穫時をバラしたからです。



いちご狩りに行かれた事はあるでしょうか?
イチゴを根こそぎ引っこ抜いて、収穫することはしませんよね。
弥生時代の稲がそんな感じ。それぞれの株で、バラバラに熟したのです。現代の稲刈りのように収穫したのでは、熟したものと熟してないものが混在します。

ならば、熟した稲穂だけ選んで取った方が効率良く熟した稲穂を収穫できます。
だから、稲穂だけ刈り取るのです。

参考
http://www.tokushima-maibun.net/modules/xpwiki/? …
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根元から刈り取ることができる鎌(かま)という道具がまだ普及していなかったからです。


石包丁では穂先しか刈れません。
鎌が普及するようになると穂先しか刈れない石包丁は廃れました。
根元から刈った方が稲を束ねて効率良く乾燥できますし、稲ワラも縄などに利用できて穂だけ摘み取るより便利だからです。
ちなみに弥生時代の遺跡からは鎌も出土します。
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必要なのは籾です


余計なものは要らない
刈り取って持って帰って脱穀なんて二度手間です
現代の脱穀も田んぼでやります
藁を持って帰ると処分に手間がかかります
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千歯こきのような道具がまだなく、根元から刈り取っても分離する手間がかかるから、かな?。

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