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稲作は、水田の水のコントロールが不可欠だと聞いております。
次のころ、水田が開墾されたのは、川のどこでが著しかったのでしょうか?
 ①縄文時代末期からから弥生時代初めにかけて、稲作が導入されたころ
 ②水田の拡張が著しかった中世時代

 A.上流 B.中流 C.下流

A 回答 (2件)

最初の稲作は下流域の扇状地、泥が堆積している川の近くの湿地帯で始まったと考えるのが妥当です。

ここなら畔を整備して稲を植えるだけで収穫できるからです。

しかし、このような土地は夏に川が増水すると水のコントロールができないので、次第に中流と下流の間の「水が管理しやすくて、そこそこ川幅をコントロールできるところ」に変わっていったと思われます。

実際、日本で最も古いと言われる長崎県の菜畑遺跡も、弥生時代で最も古いとされる福岡県の江辻遺跡も、山(つまり上流)から川が下りてきて平地を形成する中流域の割と上流側にあり、下流に向かって他の川と合流する前に、水田を作って水をコントロールしたと思われます。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
最初、下流の扇状地、畔を整備して(洪水も心配ですね)
後、中流と下流の間、「水が管理しやすくて、そこそこ川幅をコントロールできるところ」

お礼日時:2022/05/28 12:34

水田に限らず 人間が住み始めたのは、デルタ地帯では。


上流・中流では、水の問題の先に 農地の確保が 難しいと思いますよ。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
まずは<農地の確保>のため、<デルタ地帯>なのですね。

お礼日時:2022/05/27 09:26

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