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ネイティブ・アメリカンはスピリチュアルなイメージがありますが、
一方で西部劇では好戦的な民族として描かれています。
彼らの歴史について全く知らないのですが、
日本の戦国時代のように部族間抗争の連続だったのでしょうか?
それとも縄文時代のように平和な共存社会が続いていたのでしょうか?
あるいは文字文化がないのでわかっていないのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

ネイティブアメリカンと一言でいっても


500を超えるともいわれる多くの部族があって
戦闘的、尚武的な部族もあれば
平和的な部族もあり、
さまざまですが、人間社会というものは
どこも同じようなもので
部族抗争は定期的に行われていました。

特に気候の厳しい北部は狩猟文化で
獲物を取る”なわばり”の境をもめる部族同士の対立が激しく
西洋人が流入したことによってもたらされた
ウィルス疾患で人口が激減したのを機に
勢力バランスが崩れたことから
大規模かつ複雑な部族戦争がおきて
それがもとで多くの部族が滅んだという経緯があります。
「ブラックローブ」という映画はそういう
あまり知られてないカナダインディアンの滅亡の歴史を
少し垣間見させる映画ですが、
アメリカ大陸では、白人が来る前から
かなり血生臭い抗争の歴史があったわけです。

一部否定的な学者もいますが
カニバリズム(人食習慣)や人間を生贄にする習慣などもあったとされます。
また南北アメリカ大陸で特徴的なのは
ここでの戦争は主に生贄や奴隷にするための捕虜を
とることが目的であって
ユーラシア大陸の戦争と違って、征服を目的にしません。
だから武器は比較的致命的でない生け捕りにできるものがよく
戦闘には神事としての意味合いもあったので
戦いでは殺すというより血を流させるための武器が
好まれました。

それから平和的部族の代名詞とされる
チェロキー族など南の平原部に住む部族は
トウモロコシなどで農耕を行っていました。
感謝祭のルーツで有名な話も
ネイティブアメリカンがピルグリムたちに
大陸にあった農耕を教えたという話です。
だから農耕の習慣がないというのは間違い。
北米インディアンの農耕文化は紀元前300年頃には
始まったとされています。


北東部から五大湖にかけて、
モヒカン族、モホーク族、ポーハタン族、セネカ族
ヒューロン族、オタワ族、イロコイ族
ソーク族、フォックス族、マイアミ族、オジブワ族などなどは
農耕と狩猟の両方を行い、
勇敢な部族として知られるものが多く、
早くから白人と交流して
英仏の戦争にも参加し、大半が疫病と部族抗争で絶滅します。

南東部のチェロキー族、クリーク族、チカソー族
チョクトー族、ナチェズ族、セミノール族などは
比較的平和で、白人の目からみても文化的な部族で
友好的でしたが、それがもとで一部は同化され
残りは強制移住させられることなります。

大平原の有名なスー族、コマンチ族
アパッチ族、シャイアン族、ダコタ族、
ユート族、ショショーニ族、ネズパース族、スポーケン族などは
バッファローに依存した狩猟周遊生活や
鮭を取る季節的な漁労生活を送っており、
一部の部族は過剰なほど戦闘的で、
白人ともしばしばたたったことでも知れれます。
しかし彼らは白人の侵入以前から
狩の場所をめぐって
他部族や身内同士で戦っていたことが知られ
友好的な部族ではありませんでした。

南西部にはナヴァホ族、プエブロ族、ホピ族、ズニ族などは
農耕を行い、乾燥煉瓦の家に住みました。
この地域は現在未解明の古代文明があっとことが知られる地域です。

白人の侵入と持ち込まれた疫病、
白人からもらった武器で、他の部族を攻撃したことで
ネイティブたちの勢力地図が激変し
西への大移動が始まります。
世界の歴史同様、抗争は周期的に行われ
災害、飢饉、人口の増加などで戦争が起こるものです。
ネイティブアメリカンもそういった世界の常識の
例外ではなく、理想的な平和共存社会というのは
幻想にすぎません。
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No1の補足です。


私の私見かもしれませんが、ネイティブアメリカンは彼らなりに恵まれた自然環境の中で生活していたと考えます。

彼ら以前に中米ユカタン半島付近にマヤ文明、現在のメキシコ付近にアステカ文明が存在し、共に王国として統一され、文字も有していました。
アステカはチャンバ農法を採用し農耕を行っていましたのでその伝播を受けた南西部のネイティブアメリカンは農耕も行っていましたが全体に波及はしませんでした。

マヤ、アステカ文明は広大な石造都市を建設し、都市集中や人口の動員力があったことは想像されます。
これらは現在都市遺跡として発掘されています。

これに対しネイティブアメリカンの社会は総人口としては十分国家を形成出来る規模でしたが、多数の部族社会を形成しても、その中の好戦的な部族も勢力を伸ばして国家を形成する発想もない進化が停止した状態でした。
これは現状で吉とする相対的に恵まれた環境にあったからだと思います。

この為メキシコ以北の地には都市建設の必要がないか、発想そのものがなく都市遺跡は皆無で、あるのは自然遺産と恐竜の化石くらいなのです。
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こんな本がありますが、



アメリカ・インディアン悲史 朝日選書 21
藤永 茂 (著)

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022591 …
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ジェロニモで有名なアパッチ族などは 砂漠の略奪者異名を取る程の好戦的且つ略奪を生業としていたので それなりに抗争は有ったと思います。



縄文時代のように平和な共存社会>と言うのも縄文時代から三内丸山遺跡(青森県)等のように堀に囲まれた集落も日本にもありましたからそれと同じくらいと言えばそうなるかもしれませんが・・・
http://www.aritearu.com/Influence/Native/Nativeb …

参考URL:http://f4.aaa.livedoor.jp/~indian/apatti.htm
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文字が無く、口述による言い伝えが主なのでよくわかっていません。

状況から想像の範囲で答えると・・
>日本の戦国時代のように部族間抗争の連続だったのでしょうか?
金属や馬(数千年前に絶滅)などの家畜、といった抗争が激化する要因がない。但し、農耕は一部で行われていたとの主張があり、土地を争っての抗争はありえる。
>縄文時代のように平和な共存社会が・・
 縄文時代が平和かはわかりませんが、金属や家畜がなく、文字も無い。
一部、農耕の形跡があるという状態は日本の縄文時代に近いように見えますね。
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ネイティブ・アメリカンは本来平和に暮らしていました。


彼らの食料は膨大な生息数のバッファローで弓矢でも十分倒せたので十分で満ち足りた生活を送っていたのです。

車輪の知識がなく移動は徒歩が多く、野生馬を捉えて乗馬出来るのは鐙の知識がないので男性に限りました。
従って部族として移動出来る距離はそれほど長距離に達する社会ではなかったのです。

農耕の習慣がないので土地に対する価値観が育たず、多くの抗争の原因となる土地争いが存在しませんでした。

一部好戦的な部族は存在しましたが本来深刻な対立原因はなく略奪婚の争いくらいでした。

この平和な世界に争いを持ち込んだのは白人でした。
彼らは毛皮を集める為だけにバッファローを銃で殺戮し皮を剥いだ死体は放置したのです。
この行為はネイティブアメリカンにとって食料をムダに略奪する行為と受け取られ、死活問題でした。

さらに白人種は農耕のため土地を囲い、共有財産である野生馬をかこいこんだのです。
そして部外者を侵略者とみなし銃で追い払いました。

この為おおくのネイティブアメリカンは自衛の戦いをはじめるようになったのです。

ネイチブアメリカンの敗北は必至で以後隔離生活においこまれます。

ネイティブアメリカンには言語は部族単位に存在しますが体系的文字を持たない為、記録は伝承されるものしかありません。  しかし近年研究は進んでいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ネイティブ・アメリカンの歴史的遺物(建築物、土地、王朝跡、墳墓)などはあるのでしょうか?
移住生活しかしてなかったので文明らしきものは何も残ってないのでしょうか?
中南米ではインカ帝国などがあるので、同程度のものがあっても不思議ではないとおもうのですが。

お礼日時:2006/07/07 18:04

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