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人間は人間としての認識パターンから抜け出せない。ここに人間の限界性はあるとみてよいですか。

たとえば、物事のありやなしやというのも、人間の認識パターンなのだということが言えませんか。
神のありやなしやとか、その他いろいろ。

A 回答 (12件中1~10件)

「そのものの限界」が「それ」を規定しているのだから、「人間の限界」が「人間というもの(存在)」の在り方を決定しているといえるでしょう。



「定義」することは、その「限界」を設定することです。「A」の限界が、「A」を「A」たらしめているのです。
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この回答へのお礼

分かりやすかったし、その通りだと思いました。

お礼日時:2016/06/26 20:55

四つのイドラとかも言われますが 限界はあるでしょうね。



問題はどこまで見抜けるか、理性的に認識できるかという事でしょうね

でも人間は今まで生きて来たのですから 認識が完全でなくても より良い生き方ができれば良いんじゃないでしょうか。

神はある人にはあるし 無い人には無い 心の中にあるのでしょう。
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人間は、その限界の外側にこそ真実があることを知っています。


そしてその外側には、何もないことも知っています。
真実が存在しかつ何もない。

認識のパターンは、その中で自分を写しだす鏡として現実を見せてくれています。
限界とするか、無限の可能性とするかはあなた次第でしょう。
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>人間は人間としての認識パターンから抜け出せない。

ここに人間の限界性はあるとみてよいですか。

そうだと思います。
人間が人間の認識パターンを理解していると言う問題が最初になりますね。
どこまで範囲の広がりがあるかを認識しなければ、限界は論じられないですよね。

今のところ「限界だ」と人間が決めているところが限界でしか無いってレベルですから。
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根本的には、人間が現象を理解するのは、感覚器からの入力を脳の「認識パターン」で把握するわけですから、現象理解に関しては、質問文にあるとおりです。

(限界と言うか、その「認識パターン」でしか把握できない)
ただし、感覚器以外の認識方法として、人間は測定器などを開発して、認識できるものに変換して認識する事も可能であり、科学的理解により、それを把握する事も可能です。(肉体の感覚器だけに頼っていては、人間は電磁波などは利用できなかったでしょう)
現象に関しては、人間が生きていく上で必要な部分に関しては、感覚器がきちんと認識できる形で意識に投影しているわけですから、そこに限界があっても問題は無いでしょう。(逆に、不要な感覚は切り離していると考えても良いと思います)
人間の脳の情報処理能力は、その神経数の限界から、物理的な限界があるはずですから、必要な機能以外は切り離して、それを他の機能(たとえば、言語処理や抽象化など)に割り当てていると思われます。
神などの概念(いわゆる観念のみの形而上の存在)は、現象としては通常は認識出来ない事柄です。(一部の宗教や、神秘主義者はそれを現象として認識出来ると説いている場合もあります)
そのような事柄に関しては、基本的には、それを受け入れるもしくは、選択するという以外の合理的方法は無いとは言えます。(ただし、受け入れるという個別の事項に関しては、それを無条件(アプリオリ)に認識パターンとして持っている人もいると言う学説もあります)
個別な認識パターンは、一般化は不可能ですから、特殊な人であれば、それを認識できる可能性はあると言えるでしょう。
方法論として、どのような事が、将来において発見されるかは、わかりません。
限界はあるにしても、まだ限界かどうかはわからないでしょう。
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私はリンカーンやイエス先生とお会いしたことがあります。


あれには私があれに思えると思います。
私が言えることはあなただから限界があるのだと。
リンカーンやイエス先生について言えることはどこまでも普通なのだが、普通と違う。
あれには分かりません。
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犬が全く知らないところに連れて行かれても自分の歩いて来た道を臭いで嗅ぎ分けてちゃんと帰って来られますね。

これって、貴方にとって驚異的ではありませんか。だって、貴方にそんなこと出来ませんからね。

でも、こう考えて見たらどうでしょうか。もし貴方が歩いた後に何時も黄色い線が残っているとしたら。もちろん、その黄色い線を使って貴方は確実にもと来た道を戻れるでしょう。実は、犬に取って臭いが残っていると言うことは、われわれ人間に取って黄色い線が残っていることと同じなのです。だから、犬の方とすれば、人間が何故道に迷ってしまうのか、そちらの方が分らない。

どうです、人間て人間としての認識パターンが犬とは全く違っていて、犬のは全く違った世界を見ていることがお分りになりましたか。

その反対に、犬から見ると人間て魔法使いのようにとんでもないことができる存在だと見ていると思います。だって、犬は犬としての認識のパターンから抜け出せずに、犬の限界性があるからです。

人間が人間としての認識パターンから抜け出せぜずに人間の限界性はあるのは、犬に限界性があるのと同じで、何ら不思議でなく、当たり前なことです。

んで、何が問題なのですか。
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AIがあります。



チェス、将棋、囲碁など、人間が想像もできなかった
差し手で、人間を圧倒しました。


○星新一のショートショートから。

人類がその持てる資本と技術を駆使して
最高の電脳を開発した。

その電脳に最初の質問をした。

「神は存在するか?」

すると、その電脳は神々しい光を発して
答えた。

「今こそ神は存在する」
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たとえば



 相対に対して 絶対
 有限に対して 無限
 可変性に対して 不可変性
 無常に対して 常住ないし永遠

 あるいは
 善悪に対して 善悪の彼岸
 〔形ないし存在の〕有無に対して その経験相対を超えた非経験の場
 因果関係に対して 特異点をも超えて 非知なるナゾ

といった概念を持ち得ています。
これらであっても・つまりそれぞれの前者だけではなく 後者の概念を
も持ったとしても これらは
★ 人間としての認識パターン〔であり そこ〕から抜け出せない
☆ でいるということでしょうか?

≪非経験の場 ないし 非知なるナゾ≫は
★ 神のありやなしや
☆ という問いに対するコタへですよ!
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量子論的世界像によれば、存在の原理的実体は


確率的なもので、ある性質を決定しようとすると、
それに実体を与えるべき他の性質が、無限不確定
(=無)に発散する事が知られています。
つまり、有限的な存在性は、認識する事で派生し
ているのです。
「見えている物質世界のどこに、心はあるのか?」
ではなく、「見えている世界全てが、心の中の
現象」なのです。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、
無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限
の闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の
運動(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=
宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識
するのです。
自我仮説(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間
仮説(予測=空間の広がり=未来=光速下)の相補分化。

存在=見えている物が、自己の射影に過ぎない以上、
抜け出す=客観的実体などというものは「無」い。
「人間は人間としての認識パターンから抜け出」の回答画像3
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この回答へのお礼

自分としては、大変興味深い分野のお話しではあるのだけれど、内容が高度過ぎて、私の理解力が及ばないので、仰って件について、また質問として出してみます。

お礼日時:2016/06/26 20:54

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