プロが教えるわが家の防犯対策術!

大方の批判に耐えられるご自身の理論をお持ちですか?

ぜひお伺いしたいものです。

A 回答 (10件)

独裁者。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

そうしますと 神は 人間ですか?

あるいは 人間と同じ存在として扱うものなのですか?

あるいは 独裁者ではない別の一面もあるのでは?

お礼日時:2016/07/26 20:05

「神話」に喩えられるように荒唐無稽であり、怖さで信者を支配、現世が忙しいのに(金、仕事)来世を語られても・・・。


所詮は「信じる皆さん方」の自己満足の世界でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

いくつかの側面があるようですね。

なぜ:
★ 来世
☆ なのですか? 死後のことは ただおまけとしての如く付け足さ
れているだけではないのですか?

★ 怖さで信者を支配
☆ って いったい全体 神が目に見えるのですか? そのように恐
怖を起こすもののように あなたは感じるのですか?

それが どうして神だと分かるのですか?

ただ シュウキョウ屋の阿呆が勝手に言っているだけなのでは?

神は:
★ 神話
☆ とは 別ですよ。

確かに神話にも 神々が出て来ますが それらは たいてい人間のこと
か または 人間の能力や特徴を誇張し肥大化させてあたかも神のよう
な存在として ただ物語として語っているに過ぎないのでは?

つまりは 人間の思考や想像の産物としての神であって そんなものは 
まったくお呼びではないはずです。

そんな神の定義には わたしは満足しません。よ。

お礼日時:2016/07/26 20:12

No.1です。

(笑)
何を書いて欲しいか知らんけど。
書いちゃう。

なぜ人は神に祈る?
例:ああ神よどうか彼女ができますように。・・・・・・等々

俺からしたら、独裁者にしか見えん。人間じゃないだろ。
多分俺より強い。

けど、独裁者には従わない。あえて勝負する。まじです。
痛点、欲求、男前、AV、う○こ・・・・・・・等々
どこまで苦しめたい?
勝負するしかない。

なんでも神次第か?
勝負するしかない。

※答えなってます?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

分かりづらいけれど たとえば≪かのじょができますように≫と
神に祈るというとき その願いを叶える・叶えないは 神の側
に一方的にある。だから ≪独裁者≫だということですか?

ぢゃあ 祈らなければよいだけなのでは?

それが 
★ 従わない
☆ ということなのでは?

★ 勝負する
☆ って いったいどうやって その勝ち負けが分かるの?

誰が審判?

お礼日時:2016/07/26 20:26

No.3です。

(笑)
何を書いて欲しいか知らんけど。
書いちゃう。

ぢゃあ 祈らなければよいだけなのでは? ← 祈る気ないよ。全く。勝負する。
いったいどうやって その勝ち負けが分かるの? ← 俺が知るか。
誰が審判? ← どうしましょ。江頭2:50とか?

※答えなってます?
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この回答へのお礼

おもしろいけど 答えになってない。

自分でふっておいて 問い返されたら おれは知らんと言っている。


というよりも ≪神とは何か?≫ これを自分の定義として述べてく
ださい。という問いですよ。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/07/26 21:07

No.4です。



えっ。
神とは「独裁者」でダメだった?


(ToT)
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この回答へのお礼

≪独裁者≫って 人間のことぢゃん。

神のどこが 独裁者なのかも はっきりしなかった。

神が 見えるわけがないのだし。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/07/26 21:27

人間が望む進化の最終形

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この回答へのお礼

わるいが あり得ません。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/07/27 16:12

人間は生きていて、大きな威力を持ったものを知覚します。

それは、海であったり火山であったり太陽であったり、森であったり、想像の獣であったり、誰か強い人間であったりもするようです。自分ではどうにもならないような力と関わって生きているということです。
 私たちは生きていて、うまくいかなくて苦しくて、そんな何ともならない苦しみを、そんな偉大なる力があるならば、もしかしたら「何とかしてくれるのではないか」「救ってくれるのではないか」と考えたのではないでしょうか。そうして「対象」は作り上げられていく。場合によって、それは恐怖の存在でもあり、支配者であるのかもしれません。それを「神」などと呼んだりしたのではないでしょうか。
 それは「教義」であったり、「術」であったりもするようです。そんな教育や社会的利用のために「教会」や「モスク」や「寺」「神社」は建てられ、「しきたり儀式」「ある種の技術」「教科書」なども作られているようです。
 そうして出来上がってきている「神」や「教え」は、人が生きている基準となってしまいます。絶大なる安定のために「全知全能なるもの」という絶対なる力を基準に置くこともあるようです。
 それら自体に矛盾点があったとしても、間違いが明確になったとしましても、信じる者がそれを受け入れることは難しい。
 そして「神」を必要としない宗教でありましても、教義とか儀式とかは、上手く生きていくための「技術」という基準になります。
 どちらにしましても宗教全般におきまして、それは「真理」の表現であったとしましても、生きている人間の思いからのものであり、その思いにかかる、ある種の「技術」のようです。
 社会的に都合の良い道徳、規律、価値観にもなっているようです。支配に利用される技術であったりもしているようです。
 私は宗教学や文化人類学の専門家でもございません。釈迦に説法でした。根拠も曖昧に勝手な考察を申し上げてしまいました。ご容赦の上、ご指導いただけましたら幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ・・・そんな偉大なる力があるならば、もしかしたら「何とか
してくれるのではないか」「救ってくれるのではないか」と考えた
のではないでしょうか。
☆ 考えたでしょうし じっさいそういった経験を積み重ねて来た
のではないかとさえ 思われます。

思われますが ただし だから どう定義するのか? とは少し違
うのではないか。とも思われます。


つまりは そういった体験からの説明については いくつか問題が
あると思います。


★ 「救ってくれるのではないか」と考えた〔ところの〕「対象」
は作り上げられていく。
☆ というとき では神は 人間の思考や想像や願望によってつく
られたものであるのかどうか? と問わなければなりません。

思考の産物であるなら そんな人間のこしらえた神が 神であるは
ずがない。となりましょう。

神は 人間のおもちゃではないはずです。

それでが 人間の能力(想像の世界をふくめて)以上のチカラを 
神にあてはめることは出来ないでしょう。

神は 何ものをも超えているはずですから。

★ それは「教義」であったり、「術」であったりもするようです。
☆ つまりは人間のチカラの範囲内で思い描かれた神でしかない。と
なります。

まさに:
★ どちらにしましても宗教全般におきまして、それは「真理」の表
現であったとしましても、生きている人間の思いからのものであり、
その思いにかかる、ある種の「技術」のようです。


☆ つまりは けっきょく人間が自分たちの箱庭の中で 庭いじりを
しあっている。だけになります。

ずばり 神は 人間やその世界を超えているのではありませんか?
おままごとの神ではない。はず。ですよね。


★ 「全知全能なるもの」という絶対なる力
☆ とは どういうことか? という問題にもなると思います。

お礼日時:2016/07/27 16:33

人間を創れるようになった人間が神です。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

依然として ≪人間である≫ことに変わりはないと思われますが
そうであると同時に ≪神である≫とも見なされるようになる。
といった趣旨でしょうか?

つまり そうすると それまでにおいて≪神≫と言われていたも
のは どうなりますか? なかったのだ・まったくの間違いで
あったのだと見方が正解なのだよ・・・ということでしょうか?

つまり ≪人間を創れるようになる≫前の時代においての見方は
どうだったのか? どうなるのか? です。

そこのところを抜きにしては なお定義の内容がじゅうぶんで
はないように思われるのですが。

お礼日時:2016/07/27 22:16

「人間の認識能力の閾値以下まで司るものとして存在する可能性を否定できない絶対者」

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

ううーむ。それらしいのですが 反論としては まづ:
★ 人間の認識能力の閾値以下まで司る
☆ と言えるとしたら その≪閾値以下≫のことを 人間が認識
しえたということですよね?

≪認識能力の閾値≫を超えていることがらが何であるかが分かる
のですか? という問いがまづ来ます。

分からないと思うのですが 分からないのに何ものか(つまり
神のことですが)が それを司っていると言えるのかどうか。

ただしそこのところは たしかに 絶妙に規定しておられるよ
うです。その:
★ 存在する可能性を否定できない絶対者
☆ というふうに 上手に規定しておられます。

ということは ≪司っていると認識し得てはいない≫と同時にそ
の≪可能性がつねにある(可能性を否定できない)≫のだと。

その≪可能性≫とは では 一体どういうことか?

いつまで経っても ≪可能性≫としてある(あるいは ない)と
いうことですよね?

微妙ですね。

いっそのこと そういう可能性について人間は≪認識し得るか認
識し得ないか それが 認識し得ないナゾ≫であると言ってしま
いたくなるのですがねえ。

お礼日時:2016/07/27 23:34

鰯の頭も信心からと言うくらいだから、鰯も神足り得るのではないでしょうか?



神といっても人格神とも限らないし 単に信仰の対象になる 力あるもの 祟るもの 有り難いもの

と言うところじゃないでしょうか? アッラー、ゴッドから山の神までいますからねえ

天照大神もエホバも同じ神という名前で呼ぶのが間違ってますねえ。
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