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織田信長は,長篠の戦いなどで,野戦応急築城+鉄砲の大量使用(三千かどうかはさておき)という,非常に有効な手段で勝利しました。
野戦応急築城の戦法などは,世界史的にも,画期的なところがあったと思います。

しかし,そういう,きわめて有効な戦法が,その後,継承された形跡がないのは,なぜでしょうか。
信長の武将の多くは,長篠の戦いで,その現場にいたはずなのに…

A 回答 (2件)

そういう些少な戦術は、すぐに見切られるのです。



鉄砲の有効性が確認されれば、皆鉄砲を
整備するようになります。

応急築城など、奇襲戦法と同じで、一度やれば
二度と通じなくなります。

信長の優れたところは、そんなところには
ありません。

桶狭間だけでした。
相手より劣勢の軍勢で戦ったのは。
他の戦争は、常に相手の数倍の軍勢を整えて
からやりました。
だから負けません。
数倍の軍勢を整えるためには、経済力です。
信長ほど経済を重視した武将はおりませんでした。

こういう合理性を何故他の武将が真似なかったのか。
そっちの方が本質的だと思います。
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賤ヶ岳、小牧長久手といった戦役では、大規模な野戦築城が行われています。

両軍ともに行った結果、戦線が膠着し、長期滞陣型の戦役になったと考えられます。
鉄砲の運用数に関しても、長篠の合戦がトリガーであったかどうかはともかく、以後の戦いでは増えているようですね。
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