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いいや もともと自分のチカラを発揮するよう努力する過程で

ライバルの存在に出会った。というに過ぎないのではないか?

≪対抗意識≫は 才能とその実現とは無縁である。

対抗意識は 能力の発揮にとって余計なことである。

余計な意味づけであり余計な力づけである。

のではないだろうか?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    ▲ (萩野公介「報われた」苦悩の3年) ~~~
    http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/20160807000

    競泳は確かに個人競技だが、スタート台に立つまでには多くの人の支えがある。水の
    中に入ったら一人で戦うしかないからこそ、そうした支えが勝敗を分ける最後の要因
    にもなり得るのだ。萩野は平井コーチの問いかけでそのことに気づき、以降は自らの
    弱みも見せるようになった。
    ~~~~
    ☆ 萩野は ≪また〔瀬戸〕大也と競りたい≫と言ったように ライバル関係を持って
    います。

    けれども その対抗意識からチカラを出すことが出来たのでしょうか?

    好敵手であることと対抗意識を持つこととは 別です。
    対抗意識を持つこととそれを原動力とすることとは これもまた別です。

    勝負にこだわる行き方を乗り越えられた。互いに同志や仲間であることが 推進力と
    なった。

      補足日時:2016/08/08 08:29

A 回答 (4件)

No.2です。


「8. その意味では ≪ライバル関係における対抗意識≫というのは――無効果と言わずとも―― 才能を伸ばすための鍵にはならない。
と基本的に見たほうがよい。
9. けれども そうではなく ≪いやいや 対抗意識こそが鍵に成る≫というライバル理論が出てるんです。だから この問いが必要です」
→bragelloneさんが云いたいことは、8と9の両面についてですね。
大丈夫です。
その両面もあるということも理解していますよ。
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この回答へのお礼

あっ そうですか。ひとまづ 共同主観者があらわれて ありがたいと
思います。

考えてみれば 対抗意識と言えば 勝ちに行くということでしょう。

メダル争いだけの自己成長の話になるかと思います。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/08 20:55

≪対抗意識≫は 才能とその実現とは無縁である。


   ↑
動機付けや、やる気を増加させると
思いますが。

その証拠に、誰か抜群の力を持つ選手が
出た種目は、全体がレベルアップします。

また、スポーツ運動学でも、ライバルの存在は
有益であることが実証されています。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

対抗意識は:
★ 動機付けや、やる気を増加させると思いますが。
☆ ええ。動機づけ一般 やる気の増加一般について そう言える
はずです。

言いかえると
☆☆ 才能とその実現
☆ をめぐっては どうでしょう。これも 一般的なことだと言え
そうなのですが いくらか違っているところもあります。

水泳を例にとって話すなら 或る人(少年)がたまたま よく速く
泳ぐことができた。といった場合 それだから ただちにその能力
を磨け・伸ばせというかたちで ほかにライバルをその少年の前に
登場させる。

そして 対抗意識を持って 競争へのやる気を植えつける。といっ
たことがおこなわれると思われます。

つまり 言いたいことは そういう目論見が ≪才能の発見とその
開花≫に合っているかどうかです。

煮詰めて言って その人に固有の才能を引き出しこれを実現させる
のは 決してこの対抗意識などではなく 勝ち負けにこだわること
から抜け出てそれを乗り越えること。ではないか。

こういう趣旨の問いです。


★ ~~~~~~~~~~
その証拠に、誰か抜群の力を持つ選手が
出た種目は、全体がレベルアップします。

また、スポーツ運動学でも、ライバルの存在は
有益であることが実証されています。
~~~~~~~~~~~
☆ 反論としましては ひとつに ライバルを持つことと対抗意識
を燃やすことが つねに効果的であって成功するとは限りません。

もうひとつに 成功した事例は多くあるのでしょう。しかしながら
問題は その人が やってよかったと思っていて まわりもそう思
うかです。

谷(旧姓 田村)亮子を見てみてください。
勝ちの数を増やせばよいと言わんばかりではないですか。
高橋尚子に国民栄誉賞をあたえるというとき わたしにもくれと言
いました。

こういうのは 才能の開花とは言いたくありません。

お礼日時:2016/08/08 21:12

No.1です。


「だから ひとつの定理とすることができる。と考えますか? そういう問いです」
→その通りでいいでしょうね。

「つまり ライバルと言われる好敵手がいるとしても 対抗意識を持つまいとして 自己のチカラを伸ばすこともある。★ その可能性は高い☆ かどうか にわかには決められませんが その可能性がある。と言えましょう」
→だから、私の回答がそういうことです。

「と考えて来るなら たとえ対抗意識を持つことによって チカラを伸ばすことがあるとしても その可能性の率がどうかをふくめ何ら理論として規定することは出来ない。ということではありませんか?」
→そんなに力を込めなくても、それは当たり前のことです。

「ですから:☆☆(補足欄) 勝負にこだわる行き方を乗り越えられた。互いに同志や仲間であることが 推進力となった。☆ という見方のほうが 一般理論に近い。のではありませんか?」
→それでいいと思いますよ。
そんなに力を込めなくても、当たり前のことです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

自己のチカラをじゅうぶん発揮する・さらには伸ばすという結果を
得る場合というのは いろいろあり得ます。:

1. ライバルを持たない場合。

2. ライバルを持つが 対抗意識を持たない場合。

3. ライバルをもって 対抗意識をも持ちこれをチカラの原動力
としたい(また そうし得た)場合。

4. ライバル関係にあり互いに対抗している(つまり 互いが好
敵手である)場合にも 対抗関係については意識しないどころか 
そう意識することは間違いであると考える場合。

5. 特に(4)の場合に当てはまることであるが しかもほかの
(1)から(3)までにも当てはまることとして チカラの発揮に
ついての推進力は あくまで≪自己の――独りあるときの努力とし
ての――我が道を行くこと≫にあり 仲間がいるときには その≪同
志愛や悪友ぶりや近所の親しき人たちの存在≫にある。と考えられ
る。

6. (5)が 一般性を持つ理論となると考えられる。

7. その心は ≪勝ち負けにこだわる心を乗り越えること≫にある。


8. その意味では ≪ライバル関係における対抗意識≫というのは 
――無効果と言わずとも―― 才能を伸ばすための鍵にはならない。
と基本的に見たほうがよい。

9. けれども そうではなく ≪いやいや 対抗意識こそが鍵に成
る≫というライバル理論が出てるんです。だから この問いが必要で
す。

お礼日時:2016/08/08 13:39

「ライバルとの対抗意識が 自己のチカラを伸ばすのか」


→その可能性は高いと思います。
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この回答へのお礼

だから ひとつの定理とすることができる。
と考えますか?

そういう問いです。

つまり ライバルと言われる好敵手がいるとしても 対抗意識を
持つまいとして 自己のチカラを伸ばすこともある。
★ その可能性は高い
☆ かどうか にわかには決められませんが その可能性がある。
と言えましょう。

あるいはつまり ライバル関係などについては一切自分にはかか
わりを持たないという方針で 自己のチカラを伸ばすことがあり
得る。

と考えて来るなら たとえ対抗意識を持つことによって チカラ
を伸ばすことがあるとしても その可能性の率がどうかをふくめ
何ら理論として規定することは出来ない。

ということではありませんか?


ですから:
☆☆(補足欄) 勝負にこだわる行き方を乗り越えられた。互い
に同志や仲間であることが 推進力となった。
☆ という見方のほうが 一般理論に近い。のではありませんか?




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/08 10:56

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